side.シキ
「えー!?もう帰っちゃうのシキくん!遠慮しないで、二度と来なくていいからね」
「いえ、まだ帰りませんよ。ショウゴの部屋見てませんし」
朝食の席でしつこくおれを帰らせようとするショウゴ兄を宥めながら、作ってもらった味噌汁を口に運ぶ。
自分で作るものよりどこかほっこりする味がして、思わずほうっと息をついた。後でレシピ教えてもらおう。
そもそもレシピを教えてもらったとして、その通りに作ったところで全く同じものを作れるかは分からないけれど。それでもちょっとくらいは近づけるかな。なんて。
油断していると左隣から声が掛けられた。
「なんだシキ、俺の部屋見たかったの?ならご飯食べたらおいでよ。ちょっと散らかってるかもだけど」
「へ、いいの」
「うん。あ、五分、いや三分だけ片付けさせてな」
「いや、それは全然…いてっ」
「どうしたのかなぁ?シキくーん」
「あはは、ちょっと椅子に足の指ぶつけたみたいで…」
こんのブラコン野郎め…。おれが彼の部屋に入るのがそんなに気に入らないのか、割と思い切り足を踏んづけてきやがった。
思わず声を上げてしまったおれをショウゴが心配そうに見てるじゃねえか。踏みつけ返してやろうかと一瞬考えたけど…やっぱやめた。
そんなことよりやっと彼の部屋が見られる喜びの方がヤバい。顔がにやけるのを抑えなければ。
ショウゴ兄からの視線は鋭いが、そんなことも気にならないくらいそわそわしてしまう。
どうしよ、一大イベントでは?
そうして食後、待ちに待った彼の部屋へ。
「昨日案内できなくてゴメンなー。ここが俺の…シキ?」
「いや、ちょっと待って。待ってね」
「お、おう…?え、具合悪いの?」
「いいや大丈夫!寧ろ良すぎて困ってるっていうか…」
「…そっか?」
あの後、言ってくれた通りに自分の部屋に案内してくれた彼はほんのちょっと恥ずかしそうに自室の扉を開いた。入る前、「ちょっと待っててね」と先に中へ入り、ガタゴトと音を出して片付けをしていたのすら愛おしい。愛い。尊い。
背後にずっとつけてきてる気配と鋭い視線は無視してる。今はそれどころじゃないんだ、ホント。
それから彼が「どうぞ」と開いた扉の先には、聖地中の聖地があった。いや分かってたけど、実際見ると色んな感情が込み上げてきてすごい。写真すら撮れない。
寮の部屋より物がほんの少し多めなのは、彼がここで十数年過ごしてきた証…。
駄目だ、おれが気軽に立ち入れるところじゃない。
ショウゴ濃度が濃い、寮の部屋よりもずっと…!
後ろでショウゴ兄がふふんと何故か得意気に嘲笑うのを感じつつもおれは彼の部屋の前でくずおれた。それを見て、ショウゴが心配そうに駆け寄ってきてくれる。
「シキ!?やっぱり具合良くないんじゃ…」
「ここが…サンクチュアリ…」
「サン…なんて?」
「心配するなショウゴ。こいつただの変態なだけだ」
あまりの尊さと愛おしさで何も言えないおれの代わりに、ショウゴ兄が説明してくれた。
ホント要らん説明どうも。間違ってはないと思うけど。
「シキ、無理して部屋入らなくてもいいよ?また今度でも」
「今!入る。次もその次もそのまた次も、」
「待て変態!無理をするな!」
「止めないでくださいお義兄さん!」
「だからお義兄さん言うなて」
「入るの入らんのどっち」
「「入ります」」
またハモった。
ショウゴ兄、お前は来るな。
とりあえず深呼吸して落ち着いて、漸く入ったショウゴの部屋は彼で満ち溢れていた。まさにサンクチュアリ。ここに住みたい。いや、尊すぎて住めない。ここに入る前に足を洗うべきたったのでは?というか、おれの髪一本落としてはいけない気がする…。気が抜けないな、でもすんごく落ち着く。
もう一回深呼吸した。やっぱり彼の匂いで溢れてる。物理的な匂いだけでなくて、物とか、壁の汚れ具合とか、机の上に乱雑に置かれてる書類にも写真にもクッションにすら、全てに彼の気配がした。しかもその中心に本人がいる。
ヤバい。とてもヤバい。語彙力は旅に出たらしい。
正直邪魔だと思ってたけど、ショウゴ兄が居て良かったかもしれない。こいつが居ると思うと正気に戻れるから。
部屋を見渡して何も言わなくなってしまったおれをまた気遣うように、心配そうにショウゴが見上げてきた。彼の後ろにはベッド。恐らく何年も何年も使い古されてきた彼の匂いが染み付いた…。
ありがとうショウゴ兄。
貴方が居て本当に良かった。その今にも「ぶん殴るぞ」という視線と冷たい空気でおれはショウゴを押し倒さずに済んでいます。
「シキ、やっぱつまんなかった?部屋出る?」
「いや、もっと見てたい。やっと慣れてきたし…」
「慣れ…?もしかして汚すぎて、とか…?」
「違うよショウゴ、こいつただただ変態なだけだよ」
「やだなお義兄さん、この子限定ですよ」
「ぶん殴るぞ」
「ケンカやめてよ」
「「ゴメンなさい」」
結局ショウゴ兄のおかげというのは癪だが、おれは彼の部屋をじっくり見ることができた。
ここで育ったんだなぁと、今の彼には小さいだろう壁に掛かった制服やボロボロになっている通学鞄を見て感慨に更ける。あれ多分中学の時のものなんだろうな。
真面目な彼はきっと置き勉なんかせずに、毎回重い教科書を学校に持って行っては持って帰って来てたんだろうか。
写真にはおれも知らない人物が何人か並んでいた。肩を組んだりピースしてたり。友だちだろうか。幼馴染みとかかな。
ちょっと、いや結構妬けてしまうな。
おれだって小さい彼を見たかった。何なら生まれるその瞬間からずっと隣に居たかった。
でももしそうだったとして、今のような出逢い方でなかったとしたら。今と同じ風にはなっていないかもしれない。
彼も、今と同じ性格には育っていないかもしれない。そんなことはないだろうけど。
とにかくどんな出逢い方だろうとおれは彼に恋をするし、どうしたってその隣を願ってしまうのだろう。
この家で良かった。
この部屋で、家族で、あの味で。
その全てが今ここに、おれの目の前に居る彼を構成しているのだと思うと泣きそうになった。けれど必死で堪えた。
彼をこれ以上心配させたくなかったし何より、おれがそんなことを考えて泣くところなんてショウゴに見られたくなかったから。あと普通にショウゴ兄にも見られたくなかった。腹立つから。
ショウゴが、一つ一つ部屋の中のものを手に取って思い出話を聞かせてくれる。昨晩ショウゴ兄に聞いた話と被るものもあったが、本人から聞くと全く違った。内容は同じでも、何というか…重みが。
そうこうしているとやがて下からショウゴ兄を呼ぶご両親の声が聞こえてきて、彼はかなり名残惜しそうに下へ降りていった。視線がもう「手を出したら分かってんだろうな」としつこく言っていたがそれは無視で。
漸く、ショウゴの部屋でおれとショウゴの二人だけになる。おれは部屋に来た時より随分落ち着いて、ラグに座りながら彼の話に耳を傾けていた。
「でね、これが」
「うん」
宝物みたいな時間。
彼と居る時間は全てそうだけど、その中でも特に。穏やかで優しすぎて、泣きそうになるくらい愛おしい時間が流れる。マジで泣きそうなんだけど。
温かい彼はどこまでも温かい。そして優しい。
あとかわいい。見た目というか、もう何もかもが。
久しぶりの自分の部屋に浮き足立っていたのか、話に夢中になりすぎていた彼がいつの間にかものすごく近くに身を寄せてきていた。
ふと肩が触れる。瞬間目が合って、真ん丸くなった瞳におれの影が映ってて。
それだけで胸がいっぱいになって、気づけば口づけていた。触れるだけで、すぐに離れる。
ここは彼の実家で、他にもひとがいて、寮の部屋とは違う。おれの理性はしっかり状況を理解しているのに、目の前の顔はいとも容易くそれを揺るがそうとしてくるから困ったもんだ。
かあぁっと顔を赤くさせ、瞳を潤ませた彼はぱくぱくと口を開閉させると、やがて「うぁ…」だなんて声にもなっていない声を出した。
かわいい。抱き締めるとすぐに腕に収まる。
ダメだかわいい。かわいい。
「あ、の…シキ…」
「ゴメン、ちょっとだけ」
ちょっとだけ。数分だけ。数十分だけ。
できれば数時間、いやもっと。
止めるものがなければ本当にずっと抱き締めていたいと思ったけれど、止めるものはすぐそこに居た。
「なに、イチャついてんの?人の部屋で?」
「あ…兄ちゃん」
「いや、抱き締めてるだけですが」
「離れろこの変態がっ!!」
ショウゴの実家の部屋、ものすごく好きだけどやっぱり、二人きりでイチャつける寮の部屋もいいもんだなぁとおれはしみじみ思った。
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