コンコンとシキの部屋の扉をノックするも、珍しく反応はなし。
いつもなら俺が居る時にこんな風に部屋に籠ることも、ノックに反応しないなんてこともないのに。
何かに集中しているんだろうか。勉強かな?
思えば多分、俺たちの距離感が近過ぎるだけで、他のルームメイト同士はこんなものかもしれない。
いや、今はただのルームメイトじゃないけど…。
ぽぽっと熱くなる頬を誤魔化すようにまた扉に手を掛ければ、今度はノックをする前にガチャリと開かれた。
ほんの少し暗い顔をしていた気がしたが、それも一瞬で消え去ってしまって幻だったのかと思う。
たまに、ほんのたまぁにこうしてシキは何かに疲れたような顔をすることがある。
それが心配で、何かあったのか訊きたくなるけれど何故だかそれはできなくて。
俺の知らないところで、俺がのほほんと過ごしているその裏で彼が何かを抱え込んでいるとしたら。
言うまでもなく俺はその助けになりたいのに、彼はきっと拒むんだろうな。だとしても。
「なぁ、お昼ご飯作った。うどん、食べる?」
「え。ショウゴが、作った…?」
「うん、作ったってか、冷凍のやつだけど。野菜もカットしてあるやつだし」
「天才か?」
「話聞いてた?」
「ショウゴが…作った…?え、天才か?」
「いやいや、シキもこないだ作ってただろ。それももっと手の込んだやつ」
「どうしよう、うちの子が天才…優しい…国宝?」
「なぁ、やっぱりうどんは後にしてちょっと寝た方が…」
「は?食うに決まってんだろ」
「あ、そっすか」
そうして食卓について、二人分の器からほかほか湯気が立つのを何となくむず痒く感じながら「いただきます」と手を合わせた。
いつも二人で食べているけど、自分が作ったってだけで何だかちょっと違う気分。まぁ絶対、確実にシキのご飯には叶わないんだろうけど。
それにしても…。
「………」
「シキさぁん」
「ちょっと待って。レンズ曇った」
「なぁ、もしやうどんめっちゃ好きだった?連写しすぎじゃないですか?」
「食べたらなくなっちゃうだろ」
「食べないと冷めるよ」
「それは困る…でも食べたら…。くっ!おれは一体どうしたら…!」
「早く食べればいいと思うよ。また作るし」
「また作ってくれんの!?」
「うっさ…。シキさん、いつものテンションどしたん、疲れてんの?徹夜した?」
「してない。感動してるの」
「なぜ…。シキだっていつも作ってくれてんじゃん」
「ショウゴが作るから特別なの。よし、食べよう!いただきます!」
「うむ。何で眺めてんの、伸びるよ」
「噛み締めてるの」
「食べなよ…」
そうしてやっとうどんを口にしたシキは、噛み締めるように目を閉じて本当に美味しいものでも食べているかのようにゆっくり咀嚼した。
うどん、最早咀嚼するまでもなく柔らかくなってると思うんだけど。
「…んまい」
「冷凍ですよ」
「天才」
「カット野菜だよ」
「毎日作って欲しい」
「やっぱり、料理ずっとさせてたの疲れた?今度から交代制にする?」
「んー違う、自分で作ってそれをショウゴが食うのもいいの。だがたまには逆もいいと気づいた」
「そっか…?」
「これがおれの血肉になるのか…」
「なぁマジで大丈夫?いや、いつも通りかな」
うん、いつも通りだ。いつものおかしな方のシキだ。よかったよかった。
あんなに食べ始めは渋っていたシキも、汁一滴残さないくらい綺麗に完食してくれた。これもう洗わなくてもいいのでは?というレベルである。いや洗うけどね。
それにしてもそんなに感動されるとは。俺そんなに料理してなかったっけ?
シキが料理をしてくれるからそれ以外の家事は頑張ってたつもりなんだけど、足りなかったのかな。
どちらにせよシキがあんなに喜んでくれるならまた何か、今度はもうちょっと手の込んだやつにでも挑戦してみようかな。
作らせたのだから洗い物はやると言って聞かないシキを押し退け、キッチンから追い出す。
キッチン越しに見ると彼はソファーにぼうっと座って、文庫本を広げていた。
これは勘だけど、多分読んでないんだろうな。
「ショウゴ、こっち」
案の定、片づけを終えるとソファーに座っていた彼にちょいちょいと手招きされた。学習能力のないらしい俺はそれにてててっと近づくと、あら。
やっぱりソファーに引っ張り込まれて向かい合わせに座らされる。本なんてもうとっくにローテーブルの上だ。今度は寝相じゃないらしい。
「どったん。やっぱ何か考え事?」
「あんねショウゴ。おれ、今すっげぇ毎日楽しいの。何でだと思う?」
「えと…よかったね?」
「ね。なんで、だと思う?」
「…なんで?」
「ふふっ、言い方変えようか。誰のおかげだと思う?」
「誰って…」
ふわふわと、お酒でも飲んだかのような笑みで彼は微笑う。
向かい合わせに座らされた膝の上じゃあ俺の方が目線が上になってしまって、珍しく上目遣いされている形になって。
いつもよりも彼の瞳が、よく見えるなぁなんて。
そこに映っている間抜けな顔をしたやつがきっとその「誰か」なんだろうなとぼんやり思うけれど、何故シキがそんな質問を投げかけてくるのか分からなかった。
だから俺も、シキの意地悪を見習ってみようと思う。
「あのねシキ。俺も、毎日毎日飽きないよ。悩むこともあるし、ルームメイトがちょっとヘンタイだけど、楽しいよ」
「それは褒めてんの?」
「うん。なぁ、何で…いや、誰のおかげだと思う?」
「んー。ショウゴ自身じゃん?あでででで」
「そういう回答は求めてないんだよなぁー」
予想とは斜め上の回答に思わずイラッときて頬を摘むと、シキは大袈裟に痛がってみせた。けれど口角は上がっている。
喜んでるんじゃないよ、全く困った恋人だ。
「お互い答えが分かるといーねー。ね、ショウゴくんやい」
「ホントにね。シキさんやい」
「んー、煽った?」
「煽ってないですね」
「そっかぁ。ではちょっと失礼して」
「おっと」
ぽすっと肩に重みがかかる。黒い髪が、俺の頬を擽る。
あぁ、シキの匂いだ。
やけに安心する、なのにどこかそわそわして落ち着かなくなる。不思議な匂いがすぐそこにある。
「…また深いのされるかと思った」
「んー…。今のは煽ったな。あとでする」
「するんだ…」
「でも今は、こうしてる」
「ん。じゃあ俺も真似する」
目の前にある無防備な肩に、俺もぽすっと顎を置いてみた。すぐ側でクスクス笑う声がする。
背中に回った腕が優しく動くから、俺も真似して撫でてみる。
こういうスキンシップも好きだなぁと、食卓で湯気を見たときのような感慨にしみじみ耽る。
お前が何を背負ってるのか知らないけれど、俺も一緒に背負いたいって思ってるよ。
口には出さず、心の中だけで呟いた。
だいすきだ、と。
零れてきたのは一体どこからだろう。まぁいいや。
なぁシキ。
こんなに温かいんだから、雪解けなんてきっとすぐだよ。
「早くとけてほしい?」
「やっぱもうちょいゆっくりでもいいかもなぁ」
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