mitei あてにならない | ナノ


▼ 36

「あの、今日シキは用事があるらしくて…」

「知ってる知ってる!すぐ終わらせてくるんじゃないかな!それまで僕とお茶してようねーショウゴくん!」

理事長に呼び出された当日。宣言通り俺を理事長室まで送り届けたシキは、すぐにどこかへ行ってしまった。用事があると言ってたけど、急ぐ用事なのかな。
親父さんはきっとシキと話したいんだろうに。

心配する俺の前に温かい紅茶がすっと差し出される。いつも理事長の側にいる、執事さんみたいな秘書さんみたいな人だ。
ピシッと着こなしたスーツと静かな立ち姿が格好良いなぁと、俺は密かに憧れている。

理事長といえばついこの間会った時と何ら変わっていなくて、本当にシキのお父さんなのかな…?と一瞬疑ってしまうほど明るく飄々としていた。
俺に対しても相変わらず気さくで、話しやすい。前の訪問からまだあまり時間は経っていないけれど、また他愛もない近況や仕事の愚痴なんかの話をしていた。
仮にも理事長が学園の生徒相手に仕事の愚痴って…大丈夫なのかな、とさすがの俺でも考えなくはなかったけれど、理事長の話し方が面白くてつい聞き入ってしまった。
そうして暫く談笑して一段楽した頃、紅茶を口にして机に置いた理事長の雰囲気が一瞬変わったことに気づく。

何か重要な話が来る、と直感的にそう思った。きっとシキのことだ。

「君、シキのことは好きかい?」

「あ………。はい、好き、です」

「そっかそっか、それは良かった」

理事長の問い掛けにすぐに答えられなかった。
多分ほんのちょっと前ならすぐに即答できたと思う。
なのに今そうできなかったのは、俺が抱える気持ちの大きさに気づいてしまったから。

好きなのは本当だけど、紛れもない事実だけれど、それを改めて誰かに問われるのは何だか心の内側の、とても柔らかいところを直に撫でられるような変な気恥ずかしさがあって。
自分の頬がほんのり熱を帯びるのを、理事長が気づいていないことを願った。

まぁ多分、気づかれてるだろうな。
さすがシキの親父さんというだけあってこの人も中々敏い人なんだと思う。

そんな理事長がふっと微笑うように息を吐いて、また一呼吸置いてからゆっくりと言った。

「嬉しいな。でもねショウゴくん、それなら尚更…あの子といて、こう感じることはないかい?」

理事長の顔を見る。唇がわざとらしく大きめに動く。その光景から目が離せないまま、耳にも音が届く。

「痛い」と。

つまり、何が言いたいのか。
俺がシキといて、「痛い」と思うことはないかと理事長は訊いているのだ。

「そんなこと…!」

シキと一緒にいてそんなこと思うはずがない。
シキは自分のこと以上に俺のことを考えてくれているし、何よりも大事にしてくれている。
そしていつしかクラスメートが言っていたように、彼が俺に暴力を振るうなんて論外だった。

そう、俺は咄嗟に否定しようとした。
だけどみなまで言えずに、口を噤んだ。

思い当たることが、あったからだ。

「当たりかぁ。やっぱりね。僕もたまに思うんだよね」

「俺、は………」

痛い、だなんて。
いつ思ったろう。彼は俺が痛がることなんて絶対に許さないだろうに。
何で、咄嗟に否定できなかったのだろう。

黙り込んでしまった俺を優しく見つめながら、理事長は続けた。

「ショウゴくん。あの子、面倒でしょう」

「シキが?面倒とは?」

思わず顔を上げる。シキとは無縁そうな言葉に困惑してしまった。面倒?彼が?
寧ろ面倒を掛けてるのは俺の方だと思うんだけど…なんて思っていると、俺の様子に僅かに微笑んだ理事長がまた続ける。

「あの子はね、自分のことが好きではないんだよ。そして優しい。優しいから、誰かを傷つける前に自分を傷つけてしまう」

「あぁ。それは、きっと…」

シキが聞いたら全力で否定するだろうと思った。「おれはたくさん傷つけてきたから」と。
でもシキの親父さんが言う事もよく理解できた。

そりゃまぁ確かに、殴られたり蹴られたりした人も痛かったろう。でもそれは物理的な怪我の話で。シキも怪我を負っているんだなと俺は思う。
彼も気づかないうちにきっと、シキは自分自身を誰よりも傷つけてきた。誰かを殴る度、ひとから色々な噂をされる度、部屋が変わる度、俺の想像もつかないくらい、きっとたくさん。

怪我をさせるのは良くない。ひとにも、自分にも。身体にも、心にも。
シキのそれは、多分だけど、ある意味とても厄介だと思う。だって心の傷は赤くなったり腫れたりしても、いくら血を流したとしても外からは見えない。
見えないから、気づかない。或いは気づいていても、その痛さに無意識にでも耐えようとしてしまう。

シキが優しいことなんて誰に言われなくても分かってる。痛いくらいに、彼は優し過ぎるのだ。
でもだからって、どんなことでも自分を攻撃していいことにはならないよ。俺が傷つくのはどうしようもなく怖がる癖に、自分を傷つけるのを厭わないなんて馬鹿げてるし、そんなの俺にも失礼だ。
俺にだって、シキがしてくれるみたいに彼を心配する権利はある。そんな権利、なくったって心配するに決まってるのに…。

彼は俺に触れるのを未だに躊躇うことがあるけれど、それもきっと彼の傷のせいだ。
彼のせいではなにもないのに、彼はまだ駄目だと自分に言い聞かせている。

俺の力ではまだ、彼の氷は溶かせないみたいだ。それが俺はとても悔しい。そうして彼の優しさに触れる度、心の冷たく凍った部分が見える度に「あぁ、痛いな」と思うのだ。
彼の痛みではない。それは俺の痛みだ。

きゅっと唇を引き結んだのが見えたのか、黙り込んでしまった俺を包み込むような声音で理事長は話し続けた。

「あの子と同室になったのが君で、本当に本当に良かったと思っているよ。ありがとう、ショウゴくん」

「なんで、ですか。だって俺は」

「だって君は、あの子をあんなにも笑顔にすることができるんだもの。羨ましいよ正直。パパにはツンデレのツンしかくれないのにさ」

「おれ…俺、役に立ってますか…?」

自分でも知らず知らずのうちに不安に思っていたことが零れ落ちた。シキは俺を選んでくれた。好きだと、言ってくれた。
触れるのを躊躇うほどに、大切にしてくれている。それでも俺は、それだけの価値が俺にあるのかまだ分からなかった。

するとシキによく似た笑みで、理事長はふっと息を吐いて、言った。

「君たちは余計なところまで似た者同士だねぇ。今の台詞を息子にも言ってごらん。その反応が答えだよ」

「あ…絶対怒られる」

想像に容易い。多分、デコピンすらもされない。静かにキレられて、大きな大きな溜め息を吐かれて、きっと暫く口も利いてくれなくなって、夕食もレトルトになる。
そうして俺が涙目で彼の名前を呼んだ時、これでもかときつい抱擁をされるのだ。

もし彼が同じようなことを言ったらどうだろうとふと想像して、あぁこれはひとの事は言えないやと思った。
だって俺も、彼が自分を蔑ろにする度にとても腹を立てているのだから。なるほどと一人納得しているとやがて理事長も笑った。
この人は本当にどこまでも、何でもお見通しなんだなぁとしみじみ感心してしまう。

「よし、そろそろ両方解決したかな。まだ話していたいけど、あいつが来る前に君を帰さないと一週間は既読無視されちゃうからなぁ」

「きっと読んでももらえませんよ」

理事長がやれやれと首を振ると、側にじっと控えていた執事兼秘書さんが揶揄うように言った。
それにしても理事長の言葉がちょっと引っ掛かる。「両方」って、何のことだろう。俺のこと以外にも何かあるみたいな言い方だな…。

「そこ!減給するよー」

「ふふっ、すみません」

俺が首を捻っている間にも和気あいあいとした雰囲気は続いていた。理事長はもう、この件について話す気はなさそうだ。

「あはは、そうしたら俺がなだめますね」

「よろしく頼むよショウゴくんんん!!」

「名前呼ぶなっつってんだろ」

「「「あ」」」

重厚な扉なのに開いた音も聞こえなかった。振り向くと、外でよく見る仏頂面の彼が腕を組んで壁に凭れかかっていた。
彼の視線は俺の視線にすぐに応えて、すっと手を差し出す。もう帰るぞということだろう。

「もう帰るぞ、ほら」

「あはは!正解だ!」

「何でそんな楽しそうなの…あとで聞かせてもらうから」

「んー、どうしよっかな」

「晩飯抜き」

「あ、冗談ですゴメンなさい」

握った手は視線ほど冷たくなかった。本当に晩ご飯をナシにされることはないだろうと分かってはいるけれど、言わないときっと不機嫌が長続きしちゃうんだろうな。
全部が全部は言えないけれど、かい摘んで話してみよう。例えば理事長の秘書さんも実は結構お茶目だったこととか。

「シキ、来るの早すぎるよぉ。もっとショウゴくんとお話したかったなぁ」

「名前呼ぶなハゲ」

「また来ますよ、理事長」

「お義父さんって呼んでいいんだよ!」

「帰んぞショウゴ」

「あ、待ってシキ…!お邪魔しました!」

「はぁーい!また来てねー!!」

「お気をつけて」

パタンと扉が閉まる。ほんの数日前まではやたら重々しく見えていた扉も、今では楽しい空間への入り口になっていた。

「…何の話してたの」

「えっとね、シキのこととか。色々」

「ふうん」

「そっちは?何してたの?」

「んー、掃除」

「また?」

「うん。こないだの汚れが取りきれてなかったんだってさ」

「ふうん?」

なら清掃業者さんを呼べばいいのにな。なんて思うがシキの横顔が晴れないみたいだ。これはきっと、疲れちゃった時の顔。
寮の部屋へ帰るまでの手はやっぱり繋がれている。そしてさっきの理事長との会話を思い出す。

部屋に帰ったら、思い切り彼を甘やかそう。料理とか、俺に出来ることはそんなに多くないかもだけど、俺にしか出来ないことだってきっとたくさんあるから。

「シキ、帰ったら充電しような」

「もう、この子ったらどこでそんな言葉覚えてくるんだよ…。さては親父か?」

「シキがいつも言ってる」

「おれかぁー」

一歩一歩、歩く度に元気になってきたらしいシキが片手で額を覆う。そんなオーバーな仕草もおもしろくて似合うけれど、その中にもまだちょっと何かあるなぁ…とか。

とりあえず俺にできることをしようと密かに決意しながら、まずはこれだけと、きゅっと指の力を強めた。

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