「どうした?ショウゴ」
「行っちゃうの…?」
とにかくまだ離れたくなくて、隣に居て欲しくて伸ばした手の先で彼は困惑の表情を見せた。
それを見た俺も、ちょっと困惑する。
俺だけだったのかな。困らせちゃったのかな。シキは、俺と居たくなくなった…?
「おま、ホント、マジでそういう………はぁぁあああ」
「えっ、まためっちゃ溜め息吐くじゃん。今日は溜め息デーなの?」
「うんそう。誰かさんのおかげでな」
「いや、その…。ゴメン。シキともっとその…一緒に居たかった、んだけど」
「んんんんんっ!!こりゃお兄さんも心配だわっ!」
「え、なにが?」
またシキの情緒が…。額に手を当て、天井を仰いでまた大きな溜め息を吐く。マジで今日は深呼吸の日とかなん?俺が知らないだけ?
「あのねショウゴくん、ちょっとそこ座んなさい」
「え、なになに」
何が始まるのだろう。そこ、と指定された場所は今まさに俺が座り込んでいたベッドで、戻ってきたシキもまたベッドに腰を下ろす。
雰囲気的に、これからお説教なのかな。何だかデジャヴな光景…。今回は眼鏡ないけど。
溜め息デーのシキは片足だけベッドに乗り上げて正座している俺に向き合う。
「きみ、需要と供給は知ってるかね」
「知ってるけど」
「それが何かは分かってるのかね」
「えと、必要としてる人と、それを与える?人のこと?」
「まぁ平たく言うとそんな感じ。ここまでで分からんとこは?」
「何で今そんな話になってるのかが分かんないです、シキ先生…」
「煽るなっつってんだろバカ」
「どのあたりがっ!?」
今の会話のどの辺りでそんなにキレられたのかはまるで分からないし、そもそも何で需要と供給の話になってるのかも分からない。
シキは頭が良いから彼の中ではもうパズルは完成してるのかもだけど、俺はそこまでだからまだピースとピースを繋ぎ合わせるのに必死である。
「だからね、需要と供給はバランスが大事なワケですよ。分かる?」
「うん、それは」
「そんでね、端的に言うと、今は供給過多なワケ」
「供給、過多」
「そう。今のおれは与えられすぎてちょっと待って無理なんですけど状態。おれとしてはもちろんめちゃくちゃ嬉しいしこのまんま流れ作ってショウゴのことめちゃくちゃにしてやりたい気持ちもあるけど…」
「あぅ、ちょっと待って、なんて?」
「お前のことめちゃくちゃにしたい」
「あああやめてそんなこと真顔で言わないで」
恥っずかしい!!
キリッとした表情でとんでもないことを言い出したルームメイトに俺はそれはもう混乱した。いや、前々からこういうところあったけど今はその…状況が状況だし。
今までは俺の方が返事を待たせていて、シキも冗談半分なんだろうなって失礼ながら思うこともあったりした、けど…。
今はこれが冗談なんかじゃないんだと分かる。分かるから困る。困るから、顔を見られない…。
「もう一回言わせたのそっちなのに」
「もうちょっとオブラートに包んでくれるかと思った…」
「クッソかわ…。まぁいいや続けます。おれとしてはそういう下心もあるけど、多分まだショウゴはいっぱいいっぱいだろ?おれもですけど」
「まぁ、はい…」
「というわけでさっきは適度な距離を保とうとおれなりに努力したワケです。なのになぁんであんなかわいく引き留めるかなぁ?襲うぞ」
「ひぇっ」
何で怒られてんのかは何となく分かったけど、納得いかない。だってもう俺の気持ち伝えたのに。
まるで伝える前と同じみたいに距離を取ろうとする。ちょっとムカつく。
「だから、そういうことで、」
「俺は!シキのこと好きだって、言った…」
「わ、えと、ショウゴ?」
「がんばったのに…迷惑だった?」
「えぇ、そんなわけないけど!?」
「返事遅くて、もう俺のこと嫌になっちゃったのかと…」
「ねぇさっきまでのおれの話ちゃんと聞いてた?愛してるとまで言ったハズなんだが」
「聞いてた…。だから、俺はその…シキになら何されたって、んむっ!?」
「おれは学習能力があるので。あっぶねぇ…」
最後まで言う前に、バッと伸びてきた手に口を覆われた。言わせろよ、と眼差しで訴えるが彼は呆れ返ったように首を緩く振るだけだ。
「んー!んんんっ!」
「ダメだこれはこれで煽られる…クソッ!」
いや、「クソッ!」じゃないんだよもう。俺の口を塞ぐ手を両手で押し退けると、それは意外とあっさり離れた。
「だから、何がダメなの!」
「大事にしたいんだよ!」
「これ以上無いくらいされてるよ!」
「あぁぁもう!それでも!…お前が怖がったり嫌がったりすることはしたくない」
「何で怖がったり嫌がったりするって決め付けんの」
「想像だよ。想像だけで、嫌なんだよ…」
いつか話してくれた。シキは、過去同じ部屋になった人達からの好意に辟易していたんだと。その傷を彼は多分まだ引き摺っていて、それと似たような気持ちを俺にさせることを恐れている。
だからいつだって許可を乞うし、気持ちが通じ合ったと思えた今でさえ躊躇するんだ。
…これは、今すぐに解決できることじゃなさそうだなぁ。
だけど。
「なんかシキに信用されてないみたいでやだ…」
「そう…そうだよな、悪い」
「謝らないでよ。そういう優し過ぎるとこも好きだよ」
「…う、ちょっと待って」
「臆病過ぎるし慎重過ぎるなぁと思うこともあるけど、全部俺を想ってのことなんだろ?そういうとこも全部好き。…大好き」
「ちょちょちょっと待って無理なんですけど!?急になに、どしたん」
「いや別に?ただ、今までもらってばっかだった分、今度は俺からもちょっとずつ返そうかと思ってさ」
そうして、ちょっとずつ彼の心の凍った部分を溶かしていければなんて思ったりして。
俺に出来ること、他に浮かばないから。恥ずかしいのはちょっとだけ我慢して、出来る限り色んな方法で俺の気持ちを伝えていこうと思う。
それでいつか、俺に愛されてるって堂々と彼が自信を持てるように。
俺がシキにされて嫌なことなんてないって、前も言ったはずの言葉が本物だって信じてくれるように。
そう願いながら、軽くはない言葉を、気持ちを渡していこう。
音でも、態度でも、雰囲気でも。
「シキ、すきだよ」
「もう聞いたよ…」
「何回でも言うから、覚悟して」
「信じてるよ…?」
「まだ足りない。足りても、ずっと言う」
「はぁ…。おれはもしかして、とんでもない奴に惚れちゃったのかもしれない…」
「後悔した?」
「はぁ?するわけないだろ、おれのが断然好きだわ」
「ふふふっ、重さの違い?それはまだ分かんないから、もうちょっと待ってて」
「おれはずうっと待ってる…待ってたよ」
キスならば躊躇無くしてくれるらしい。今までのスキンシップの賜物かな。
俺はそれが嬉しくて、また彼が逃げてしまわないようにそっと首に腕を回した。
「…どうしてこんな積極的な子に育っちゃったのショウゴ」
「さぁ?誰かさんが毎日のようにくっついてくるから、そのせいかも」
「はぁ…、需要と供給…」
「バランス整えないとね、シキ先生」
「煽るなっつってんだろバカ」
やっぱり本日は溜め息デーの彼はまた大袈裟な溜め息を吐いてみせたけれど、俺が縮めた距離からは逃げようとはしなかった。
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