やっと、自覚した想い。伝えられた気持ち。
今まで当たり前のように近くにあった体温が今は一番近づいて、俺の視界いっぱいに泣きそうな…というかすでにちょっと頬が濡れているシキの顔があった。
俺の目尻からも同じように雫が伝う。
それに気づいた彼の顔がふっと降りてきたかと思うと、目元をぺろりと舐められた。
擽ったくて恥ずかしくてベッドの上で身を捩る。
ほんの数滴。たったそれだけなのに彼は全部きれいに舐め取ってしまった。
美味しいんだろうか…。そんな訳ないよな。
そうして顔を離して、パチリと目が合うとまた、柔らかな感触が降りてくる。
今までの『スキンシップ』と違う…。全然、ちがう。
シキは今まで、こんな気持ちで俺に触れていたんだろうか。
本当に、同じなんだろうか。壊れ物に触れるように、慎重に、けれど遠慮もなく。
僅かに衣擦れの音がして、ひやりと脇腹に冷たい何かが触れた。それは意思を持って、俺の温度を奪おうとするように撫でてくる。
何か言おうにも食むだけのキスが続いて、口を開けられそうになかった。
…兄ちゃんにレクチャーされた漫画で何となく似たシーンがあったなぁ、なんて。恥ずかしさのあまり若干の現実逃避をしながら、俺も頬にかかる黒髪をほんのちょっと指で掴む。
こんなに柔らかかったっけ。脇腹を撫でていた手が段々と温かくなって、上へと進んでくる。
流石にちょっとびっくりして薄く口を開けば、唇をなぞるようにシキの舌が触れた。
「………あ、シキ」
「………」
ブーッ、ブーッ。
頭上で忙しなく振動するのは間違いなく俺のスマホで…。
俺もシキも、音に驚いてちょっとフリーズして…そしてまた、唇が触れる…。
ブーッ、ブーッ、ブーッ。
「………あの」
「お兄さんだろ。出てやれば」
「うん、でも」
まだ、だって、もっと…。何て言えば思っていることが全部伝わるのか分からずに、半分涙目でシキを見上げる。
顔はまだすぐ近くにあって、ほんの数センチ俺が身を起こせばまた触れ合える距離にあった。
まだこうしていたい。でも兄ちゃんに余計な心配をかけたままなのも申し訳ない…。
シキは、電話に出ろって言った。多分これを放っておいても、お互い気になってしまってどうしようもないだろうし…。
「ショウゴ」
「…うん、わかった。わかってる、んだけど」
あまり考えたことなかったけどシキの睫毛って長いんだなぁとぼんやり思いながら、俺はほんの少し身を起こした。
避けなかったシキの唇と俺のとが掠めるように触れて、すぐに顔を離す。ベッドに寝転んだまま手でスマホの位置を探し当てて、鳴っては止んでを繰り返していたそれを手に取った。
ちらりと、俺に覆い被さったままのシキの顔を窺う。と、その目はまあるく見開かれていて、パチパチと瞬きを繰り返していた。
そして俺を捉えたかと思うと…めちゃくちゃ大きな溜め息と共に彼は身体の力を抜いてしまった。
「ちょちょっと!重…」
「はぁああー…ちょっと待ってどういうこと…」
「どういうって、あ、電話だ」
「なにいまの…妄想…?おれの妄想が現実になった…?」
ブーッ、ブーッとまた震えだしたスマホを片手に、もう片方の手では俺よりも身長のある彼の背中を撫でる。
何かブツブツと呟いているが大丈夫だろうか。いつもたまにこんなんなるけど、さっき俺からしたのが原因だろうか…。
ふっと上がりそうになる口角を抑えて、漸く電話に応答すると向こう側からすごい剣幕の声が飛び込んできて驚いたし、俺の上の身体も一瞬ビクリと跳ねた。
『無事か!!!頭打ってないか!?というかお前、今その、とりあえず大丈夫なのか色々と!!』
「ちょっと落ち着いて兄ちゃん、本当に大丈夫だから。心配かけてゴメンな」
『ホントだよ…。そんで?マジで大丈夫なわけ?』
「大丈夫だって、ベッドだよ。どこも怪我してないよ」
『…押し倒された、とかじゃなくてか?』
「………へ」
『さっきのルームメイトくん、そこにいるんじゃねぇの。お兄ちゃんちょぉっとその子とお話したいんだけど』
「あー、っとぉ…」
ちらりと視線を下に落とすも、見えるのはシキの背をポンポンと撫でる自分の手と、彼の背中だけ。
顔は俺の耳元にあって、俺が電話をしだしてからは何も呟かなくなったけど…。
まだちょっと、ダメみたい。
『ショウゴくーん?今、ナニしてたのかなぁ?』
「何も!?ルームメイトは今その、ちょっと電話に出られないっていうか…」
『なんで』
「えと…晩ご飯の支度しに行っちゃった!」
『………本当に?』
「ホントに!兄ちゃんのおかげで仲直りできたよ。…まぁそもそもケンカじゃなかったけど、とりあえず、解決?はしたっていうか」
『ふうん。お前が喜んでるなら、まぁいいけどさ』
な、納得してくれたぁ…!
兄ちゃんにまた嘘を吐いてしまった…。ほんのちょっと罪悪感があるけれど、本当のことを言うにはまだちょっと俺自身も色々と整理が追いついてない。
本当のこと、シキのこととか、学園でのこと。いつかきっと、ちゃんと全部話すから、今だけは…。
身体中に伝わってくるこの体温に俺も酔いしれていたかった。
「兄ちゃん…ありがと。また日本に帰るとき連絡してね」
『そんなこと言わず毎日電話するよ』
「あはは、いいよ。時差もあるし、お仕事も大変だろうし」
『…本音は今すぐそっちに行ってショウゴのこと連れ去りたいんだけどなぁ』
「ふふっ、やだよ。学校どうすんの」
『そんなに楽しそうなお前の声聞いて、実行出来るわけないだろ。でもひとつだけ』
「うん?」
『そいつのことが嫌になったら、いつでも兄ちゃんに言いな。お前!うちのショウゴを泣かせたら問答無用で引き離すかんな!!』
「うぇ、兄ちゃんうっさ」
まるでシキがここに居ることを見抜いたみたいに、突然の大きな声を出した兄。俺はびっくりして思わずスマホから左耳を遠ざけてしまったけど、俺の右耳辺りに顔を埋めていたシキは低い低い声で返事をした。
「………わかってますよ。ぜってぇ離れねぇけど」
「………!」
今の…兄ちゃんにも聞こえたんだろうか。とりあえず一つ言える事は、大声でも小声でも耳元で喋るのは出来ればやめて欲しいってことかな…。
シキのあまり聞かない低音ボイスに思わず背筋がぞわりとした。息が、声を出したせいなのかそれともわざとなのか、耳にかかる。
ぞわぞわするからやめて欲しい。
『………とりあえずまた、近いうちにそいつと話させて』
「うん」
『あんまりうるさくすると嫌われそうだから…兄ちゃん電話切るけど…』
「うん、ありがとう。嫌わないよ」
『俺も愛してるよ!!!』
「分かったから耳元で大声はやめて…」
『じゃあマジで、本当に本当に本っっっ当に大丈夫なんだな?というかマジで毎日電話しない?』
「それはちょっと、俺も学校あるし…。じゃあ、そっちも寒いと思うから体調気をつけてね」
『そっちもな。本当に切るよ?ショウゴ、またすぐ連絡するか、』
「さよーならぁ」
「あっ!」
突然伸びてきた手が勝手に通話終了ボタンを押すと、スマホから兄ちゃんの声は聞こえなくなった。
まだ何か言ってる途中っぽかったし、これまた心配かけちゃうんじゃないか…?
上半身を上げて両手を俺の顔のすぐ横につき、さっきと似たような体勢に戻ったシキは何ていうか…めちゃくちゃ不機嫌だった。
「ゴメンな、色々と…」
「別に?おれの方がずっとずっとずうっと愛してっし」
「………ふぇあ!?」
突然の大告白やめて欲しい。いや、好きだとかは今までもたくさん言われてきたけれど、これはダメだ。
何かちがう、顔が熱い。まともに目が見られない。あたふたしていると、ふふっと頭上で息が漏れた。
「かぁわいい。こりゃあお兄さんもブラコンになるわけだ。…限度があるけど」
「うぅ…。もう勘弁して…」
一瞬にして上機嫌に戻った彼はふふふっと口角を上げたまま、やがて膝立ちになって俺の上から退いた。
離れる瞬間、本当に薄いガラスの膜にでも触れるかのように俺の頬を撫でる。
これくらいのスキンシップならばいつもだってやっていることなのに、その指先だけでこんなにもどぎまぎしてしまうようになるとは。
「ホント、悩ましいよなぁ…」
「へ、なにが…?」
「別に、大事にしたいなぁって話だよ」
おかしなことを言う。
俺はいつだって、自分で言うのもなんだが、シキに大事にされているのに。
ベッドから立って部屋から出て行こうとする背中を見るとどこか寂しくて、知らず知らず俺の手は彼の服を掴んでいた。
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