「ありがとう。分かった分かった、俺も大好きだよ」
兄ちゃん。そう言おうとしたところで、部屋の扉がノックもなく突然開いた。
ベッドに腰掛けていた俺を無言で押し倒した彼は無表情のまま、ちらりと手から離れてしまったスマホに視線を送る。
『おいショウゴ!?大丈夫か!何があった!オイ!!』
「大丈夫ー!ちょっとつまづいただけ!また後でね!」
めちゃくちゃ心配そうな兄の声を斜め上に聞きながら、安心させるべく俺の声も送る。
つまづいたって言うの、あながち嘘じゃないけど、事実でもないな…。
しかしベッドに縫い付けられてしまった両手では通話終了ボタンが押せないので、俺は無表情を貫くルームメイトに視線で訴えた。
すると彼はすぐに手を離してくれて、そのまま上半身を起こす。ほんの少しだけ気まずそうに、顔を逸らして何か言いたげに視線を彷徨わせていた。
兄ちゃんとの通話を半ば無理矢理終わらせた俺はベッドに寝転んだまま、その様子をまじまじと見上げる。
ちなみに通話を終わらせてからも大量の心配メッセージが来てるから、後でしっかりきっちり説明しなくては。
スマン、兄ちゃん。
でもやっぱり心配させすぎるのは申し訳ないので、トトトッと軽く画面を操作した。
『ホントに大丈夫、転んでベッドにダイブしただけ』
『ルームメイト来たからまたあとで!』
一応、それだけメッセージを送っておく。
その一連の様子を今度はシキがじいっと見つめていて、その視線に気づいた俺はスマホを置いた。改めて状況を認識すると、やっぱりというか羞恥心みたいなものが込み上げてくる。
うーむ、押し倒されてる…よな。なぜ、突然。
帰ってきたよのサプライズとか?こいつそんなことするキャラだっけ…。
そもそも、俺を押し倒した瞬間の顔からは表情が抜け落ちているように見えて、決して楽しそうでも嬉しそうでもなかった。
それどころか何か…怒っている、みたいに見えた。
「シキ…。えと、おかえり」
「………ただいま」
「………」
「………」
一人はベッドに寝転がったまま、一人はそれに跨った妙な状態で律儀にも挨拶を交わす。彼はと言うと、ベッドの端にあるスマホをちらりと気まずそうに一瞥してまた視線をうろうろさせていた。
どうしたんだろう。
…まさか。
「あの…シキ、もしかしてその、嫉妬した…?」
「誰に?」
「俺の、電話の相手に」
「………うん。そう。そうだよ。めちゃくちゃ嫉妬したし今もしてるよ」
「ひぇ…」
「『大好き』だなんて、誰に言ってるのかと思って…。おれが欲しくて欲しくて、まだもらえてない言葉なのにさ」
そこまで言われてしまうとぶわわっと顔が熱くなる。
今まで俺が何度ももらってきた言葉。
態度でも雰囲気でも、音でもたくさんたくさんもらってきた言葉。
それを俺はひとつでも彼に返しただろうか。
何も、返せていない。だから言わなくちゃ。多分、今。
俺の言葉を。気持ちを。この、音を。
「あ、のさ…」
「うん」
「あの、あのな、今更かよって、思うかもしんないけど…」
「うん」
音に、しないと。俺は話すのが下手だけど、ぼんやりしてるらしいけど、今はそのどれもが言い訳にしかならない。
勝手に不安になってたけど、多分一番不安だったのはシキの方だったんだ。
俺なんかの言葉を、彼はずっと待ってくれていた。
ずっと、ずっと。そう思うと視界が滲んでくるけれど、それでもちゃんと聞こえるように心持ち声を張った。
「す………すき…だよ」
「うん」
「俺は、シキが、すきだ」
「…ん」
「同じやつか分かんないって言ったけど、まだシキのと同じ重さか分かんないけど…お、俺も…好きだと、思う」
ここまで言って、やっぱり顔は見られなくて両手で隠した。シキも何も言わないから、部屋がしんと静まり返る。
どんな顔してるんだろう。どう思ったんだろう。呆れただろうか。怒ってるだろうか。それとも…。
ちょっとでも、嬉しく思ってくれてたりなんて、するんだろうか。
顔を隠したのは自分なのに、相手の顔は見たいだなんてやっぱり俺はずるい奴だ。
そんなことを考えているとふっと身体に何かが覆い被さった感覚がして、腕をどかして目を開けた。
さっきまで目線の先にあった彼の顔がない。代わりに、頬に俺のじゃない髪が僅かにかかって擽ったく感じた。
耳元で吐息がする。顔の両サイドに肘をついて、シキは俺に全体重がかからないようにしながらも俺に覆い被さっていた。
身体がこれでもかと密着して、互いの振動が僅かに伝わる。両方ともちょっと速くて、どっちのものかなんて分からなかった。
表情は見えない。
なのに、泣いているような気がした。
「…シキ?」
「…ん?」
「あの、今日、避けててゴメンな」
「ん。いいよ」
「怒ってる?」
「怒ってない」
「呆れてる…?」
「ううん。びっくりはしたかな」
「そっか」
そっかぁ。まぁ、今まで言わなかったもんな。甘えてて、ゴメンな。びっくりさせちゃった。
なんて思っていると。
「まぁ知ってたけど」
「だよなぁ。知って…知っ………え、なんて?」
「いや、知ってたけど。いつ自覚すんのかなぁ、したとしてもいつ言ってくれんのかなぁって思ってたけど。それなのにおれじゃない奴に『大好き』とか言ってるからすげぇ焦っちゃった、悪い」
「マジか。知ってた…のかぁ…」
「やっと、伝えてくれて嬉しい」
「うん」
「ショウゴの言葉で聞けて嬉しい」
「…うん」
「ありがとう。おれも、大好きだよ」
「…お、俺も…」
恥ずい。けど何だか、これでやっと本当にシキと向き合えた気がした。
また視界がじわりと滲む。耳元でも鼻を啜るような音が聞こえた気がしたけれど、俺のものかもしれなかった。
彼の顔はやっぱり見えないから、本当のところは分からない。たださっきよりほんの少し落ち着いたリズムが二人の間に響いていて、あぁ心地好いなぁなんて呑気に考えていた。
暫くして、彼が口を開く。
「あぁ、でもおれと同じ重さってのは、かなりめっちゃすげぇ難しいだろうから無理しなくていいよ」
「何だそれ」
思わず顔を向ける。するとシキも顔を上げていて、パチリと音がしそうな勢いで視線が合わさった。
いつの間にこんなに格好良くなってたんだろう。いや、初めからか。初めからシキはずうっと格好良かったんだなぁなんてぼんやり考える。近づきすぎると見えなくなるのはちょっと惜しい。
額でも頬でも手の甲でもなく、唇に触れた熱は今までで一番柔らかく感じた。
そんでやっぱり、ちょっとしょっぱかった。
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