mitei あてにならない | ナノ


▼ 26

授業中も昼休みも放課後も、シキはずっと普段と変わらない態度で過ごしていた。特に先日のことを話題に出すでもなく、かと言って俺に触れるのを躊躇うでもなく本当にいつも通りに振る舞っていた。

ただいつもとひとつ違うのは、俺が彼の『スキンシップ』から反射的に逃げてしまっていたというところだ。

部屋を出る直前のいつものハグ、教室へ向かう途中に伸びてくる手、教室に着いてからも送られる視線…。俺はまともに彼の顔すら見られないでいた。

いつもなら頬に額に手の甲に柔らかな感触が降ってこようが、肩に手が回ろうが腰を引き寄せられようが、いい匂いするなぁくらいにしか思わなかったのに。

今更になって、あの時の俺ってマジでどうなんだと心から思う。シキはこんなにも全身全霊で気持ちを伝えてくれていたんだ、なんて。

そんなことを、本当に今更じわじわと実感してしまって、本当に何でか分かんないけど…俺なんかのどこが良いのかまだてんで分かんないしそれを言おうもんならまたすごい形相で睨まれるだろうけど…。
とにかく、このひとは本当に俺のことを大切に想ってくれているのだと、指先一本だけでも痛いほど伝わった。

だからずるい俺はそれを感じたくなくて、逃げた。居心地が好くて温かい彼の無償の好意を今までのほほんと、ただ本当に呑気に受け取っていただけの自分がどうしようもなく恥ずかしくなってしまって…。
なのに今更、やっと意識しました、なんて言って許されるのかも分からなくて。

…俺の気持ちが本当に彼の求めているものと同じなのか、不安になってしまった。

触れようとする度に避ける俺にシキは何も言わない。ただそっと伸ばした手を引っ込めて、警戒する野良猫が近寄ってくるのを待つみたいに目を細めてまた、いつも通りに振る舞うだけだ。

…痛い。それも彼の優しさだろう。多分、俺がこの先もずっと同じ態度を取ったとしても彼は怒らずに待っていてくれる。

そう期待してしまうほどに、俺は彼に、彼の気持ちに胡坐をかいていた。

言われるまで気づかないなんて、兄の言う通り俺ってやっぱりどうしようもなくぼんやりしているのかも知れない…。
そうだよ、俺は明らかに嫉妬してた。無自覚にシキの親しくしている電話の相手が気になっていて、その人のことを羨ましく思ってたんだ。
俺だってこんなにも大切にされていたのに…贅沢すぎるなぁホント。

寮への帰り道。
いつもはしっかり繋がれる手はあの理事長室以来繋がることはなく、指先がちょんと触れては俺が離れてを繰り返している。

それでもお互いの距離が離れすぎないのは、シキが丁度良い距離を保ってくれているからだろう。今までだって、多分。
本当に、今までどうやって手を繋いでいたんだろう。あの時は何とも思わなかった行為が今は…こんなにも難しい。

そうして一日の半分以上が過ぎ、二人の部屋へと帰ってくるとすぐにシキが問いかけてきた。

「ショウゴ、晩飯の買い物行ってくるけど、どうする?」

「あー、俺はちょっと、宿題やってる…」

「わかった。一時間くらいで戻るから」

「うん。いってらっしゃい…」

いつもは、どうするなんて訊かないのに。何も言わなくても一緒に行ったじゃん。
それに買い物に一時間もかからないじゃん。

なのにそれをわざわざ言うってことは、シキはやっぱり俺のことを気遣ってくれている。気にしてくれている。
というか…気を遣わせてしまっている…という言い方が正しいのでは。

………うぁあ。
ダメだ。一人じゃ悶々と悩んでしまう…。

今、向こうは何時かな。起きてるかな。
アプリで見てみたら案の定夜中だった。仕事で疲れてるだろうし、寝てる…よなぁ。
一応、メッセージだけ入れてみよう。スタンプだけでも。

そう思ってお気に入りの犬だか猫だかと言われたスタンプを送ってみる。すると一瞬で既読がついてちょっとびびった。
起こしちゃったか…?

恐る恐る指がスマホに伸びる途中に、ブブブッと小さく振動してまたびびった。画面には、「兄ちゃん」と表示されている。
まさかスタンプひとつで秒で既読がつく上に、向こうから着信まで来るとは思わなくて正直引いた。ウソごめん、ありがたい。けどちょっとびびった。

「も、もしもし?」

『ショウゴ!!どうした?何かあったか!?元気だったか!!飯は食ってるか?友達は?勉強は?というか』

「ちょっと待って落ち着いて」

『あ、悪い悪い…。お前から連絡来るの珍しくて、嬉しくてつい…。で、何かあったか?』

「いや、別に何があったって訳じゃあ…ないんだけどさ…」

久々に聞いた兄の声はやっぱり変わらなくて、普段は元気過ぎるくらいなのに真剣な声音になると妙に落ち着きがある。
この声は好きだけど、それを言うとまたうるさくなりそうなので俺は何を話そうかと考えた。
何をって、白々しい。俺が悩んでることなんてひとつなんだけど…。

それを兄に話すのか、話すとしてどこまで話すのかを考えていた。
すると兄の方が先に口を開いた。

『…飯、ちゃんと食ってんの?』

「うん。食べてるよ」

『レトルトばっかじゃないだろうな?お前は自分のこととなると本当無頓着なんだから』

「違うよ。ルームメイトがその…めちゃくちゃ料理上手なんだよ」

『ふうん。で?そのルームメイトと喧嘩でもしたのか?』

「うっ、え、いや?そ、そんな…ことは…」

『お前…嘘吐くの下手すぎか…。かわいいなクソ』

「うぅぁ…」

途中まで何てことない会話だったのに…。世間話から一瞬にして核心を突かれてしまった。
そういうところ、我が兄ながら昔からすごいなと思う。俺が話し下手だったからか、兄は聞き出すのがめちゃくちゃ上手い。俺の勝手な解釈だけど。

『そんで、嫌な奴なの?そいつ』

「全然!めちゃくちゃ良い奴だよ!!本当…俺にはもったいないくらい」

『………ふうん』

え、何なに。何だか兄の声音がめちゃくちゃ低くなった。
電話口の向こうの温度が下がったみたいに、こちらまで一瞬ぶるりと震える。兄ちゃんどしたん。

「あの…?俺何かおかしなこと言った?お、怒ってる?」

『いや?お前に非がある訳ないだろ。でもそのルームメイトくんとやらには会ってみたいなぁ』

「な、なんで…?」

『何となく、勘だけど。俺に電話してくるくらいショウゴを悩ませてるのそいつだろ?十中八九そのルームメイトとやらが何かしやがったんだなって思ってさ』

「電話かけてきたのは兄ちゃんだろ…」

『そうだった!弟の声が聞きたくてついっ!』

てへっ!とまで言いそうな明るい声に戻ってちょっと安心した。というか本当に「てへっ!」と言った。うんよかった、いつも通りの意味分かんない兄ちゃんだ。

シキのこと話してる時は別人かってくらい低い声だったから、怒られてない俺でもちょっと怖かったもんな…。
兄ちゃんに直接怒られたことはあんまないけど、マジで怒らせると怖いんだろうなとは小さい時から度々感じてた。その片鱗が垣間見えてまたちょっとびびってしまった…。

『ショウゴくんやい』

「うん?なに?」

『ルームメイトが嫌なら、部屋変えてもらえよ』

「やだよ」

『出た、お前って昔っから無意識に自己主張強いよなぁ…』

「そうなん?」

知らんかった。

『まぁそれもかわいいからいいとして。仲直り、したいのか?』

「仲直りっていうか…喧嘩したとかじゃなくて…」

『ショウゴ、そいつのことどう思ってんの』

「うぇっ!?えぇっとぉ…」

だから、突然のド直球やめてよ…。どうって、そりゃあ…す…。す…?
あれ…?上手く言えない。言葉に、しようとしたら靄みたいにぼんやりとして形が分からなくなる。
本当にそうなのか?それってどういう意味で?こんなこと、俺が言ってしまってもいいのか?なんて…。

『………あーぁ、兄ちゃん寂しい。だぁからそういうのは二十歳になってからでいいって言ったじゃんんん』

「え、なにが?」

『別にぃ?それより、そんな難しく考えなくていいんだよ。一緒に居たいか、居たくないか。お前さっき答え言ってたじゃん』

「言ってたっけ」

『言ってただろ、部屋変えるの嫌だって。全く、苦労するなぁルームメイトくんも…。あ、待って襟の裏』

「襟の裏?」

そう言えばあの長文メッセージにも書かれてた気がするけど、何の話だっけ。

『ちゃんと見とけよ、ルームメイトなんだろ』

「なにが?」

『気をつけろよ、お前ぽやぽやしてんだから!』

「だからそのぷにぷにみたいな表現なんなん?」

『そのまんまの意味だよ。それにしてもぷにぷにって言う俺の弟マジでかわいいわぁ…』

「兄ちゃん、疲れてんね…」

兄ちゃんが俺のこと可愛がってくれてるのは分かるけど、たまに言動や行動がよく分からない時がある。
そういうところ、ちょっとシキに似てるかな。

さっきまでのもやもやはどこへやら、兄と話していると楽しくなってきて、俺は知らずふふっと笑みを零していた。
久しぶりの声はやっぱり安心するし、調子が良いようで色々と鋭い兄は俺の悩み事なんて簡単に掬い上げて吹き飛ばしてしまう。

甘えてばっかりだけど、兄ちゃんに電話してよかった。かけてきたのは向こうからだけど。

『解決しそうか?何なら俺、殴りにいくけど』

「要らない要らない、そもそも喧嘩じゃない」

『…ふうん。まぁいいよ、お前が楽しくやれてるなら』

「うん。あんがと」

『でも遠慮せず、もっといつでも電話してくれていいんだよ!うぇるかむ!兄ちゃんはお前のこと大好きだかんなっ!!』

「あっはは!ありがとう。分かった分かった、俺も大好きだよ」

電話越しの明るい声に励まされて、暗い気持ちなんてとっくにどこかへ旅に出ていた。
だから俺は、気づかなかった。

玄関の扉の開閉音にも、ビニール袋が落ちた音にも、扉の外にあった気配にだって。

焦るように扉を開ける音がしたと思ったら突然視界がぐるりと反転して、背中に柔らかい感触を受け取りながら、見慣れたはずの顔を見上げている。

気づけば俺は、シキに押し倒されていた。

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