部屋へと帰る途中もずうっと黙ったまま、手だけで感情の全てを伝えてくる彼はいつもより幼く、そしてどこか甘えているようにも見えた。
本当は、理事長…親父さんとのやり取りを見ていて「もうちょっと優しくしてあげてもいいんじゃないの」って思ってたけど、今はもうあれが彼なりの甘え方の一つなのかなと勝手に納得している。
シキの親父さんも親父さんでずうっと楽しそうだったし、執事さんも含めてとてもいい人達だった。
彼らは本当にシキのことが心配で仕方がないんだろうと俺でも分かるくらい、空気が和やかで優しかった。
それで勝手に安堵した。
いつも頑張る彼だから、学園でも俺との寮生活でも色んなことを頑張ってくれている彼だから、あんな風に甘えられる場所があって良かったなと思う。
…まぁ、シキに無理をさせない為にも俺がもっとしっかりしなきゃとも思ったけどさ。
来る時はやたらと長く感じた道も、帰りはあっという間だった。気づけばもういつもの部屋の前である。
片手でカードキーをポケットから出して翳すルームメイトを視界に入れながらぼんやりあの部屋を思い出す。また、行ってもいいんだろうか。理事長はいいよって言ってくれたけど…。
また、会いたいなぁ…。
そんなことを考えているとくいっと手を引かれて背後でパタンと扉が閉まる感覚がした。背中に、僅かに振動が伝わる。
見上げると黒い髪がさらりと俺の頬に垂れてきていて、ピントが滲むくらいの距離にシキの顔があった。片手で扉に手をついて、片手はきゅっと握られたままだ。
それにしてもなんだ、どうしてそんな不機嫌そうなんだ。
「…どうだった」
「どうだった、とは」
「おれの親父。鬱陶しかったろ」
「全然?めっちゃ気さくでいい人だなって思ったよ!」
そういうとシキはやっぱり拗ねたような表情で軽く「ふうん」と呟いた。
「まぁ優しいショウゴなら、そう言うと思ってた」
「俺は優しくないよ、優しいのは親父さんたちで…シキ?」
「んんー、ゴメン。自覚してる。おれ、めちゃめちゃ子供っぽいよな…」
「自覚あったんだ…」
言いながら恥ずかしそうに逸らした顔に俺がポツリとそう呟くと、繋いでいた手が漸く離される。
そうしてその手はすぐに、俺の頬を…というか顔をがっしり掴んだ。頬が寄って変な顔になるからやめて欲しいんだけど。
「生意気言うのはこの口か」
「ひょっほ!」
「ふふっ、変な顔」
あ、やっと笑った。悪戯な笑みだなぁ。
満足したのか俺の顔から手を離した彼が、今度は俺の肩に頭を預けた。
「シキ?疲れたん?」
「んー、そんなに」
「シキは、楽しくなかった?」
「楽しく…いや、複雑な気分」
「ふくざつ」
「あの人にお前が気に入られんのも、気に入られないのも両方嫌っていうか…。品定めされてる感じが、めちゃくちゃ嫌だったかな」
「品定め…理事長が、俺をってこと?」
「ん。本当はこんなこと言いたくなかった、悪い」
「いーよ。それで、気に入ってくれたんなら嬉しいな」
「ショウゴは優し過ぎるんだ…」
「優しくないよ。それに、品定めっていうけど、それも全部シキの為だろ?いいじゃん、心配なんだよきっと」
先程までの騒がしいやり取りを思い返して思わずふふっと笑うと、シキが気怠そうに顔を上げた。
さっきよりは元気が戻ったみたいで内心ほっとする。
俺も、言わないけど、普段は大人びている彼の子供っぽいところが見られてちょっと嬉しいんだ。それにシキの家族にもしちょっとでも気に入られたっていうのなら、それも嬉しい。
「………ばか」
「なぜディスられた」
「別に。あーあ、まぁためちゃくちゃ電話してくんだろうなぁ…。今度はショウゴの近況まで訊いてきそう…めんどいな」
「えっ」
「え?」
シキの言葉に、一瞬フリーズしてしまう。
でんわ。電話?近況、報告…?
「どしたんショウゴくんやい」
「いや、あのー、シキってよく誰かと電話したじゃん?その相手ってもしかして…」
「親父」
「親父さん、だったのかぁ」
そっか。そっかぁ。
それを知った瞬間何故だかすごく安心してしまって、胸のどこかに渦巻いていたもやもやなんてパッと晴れたような心地になった。
シキはずっと、親父さんと電話してたのか。だからあの態度…なるほどなぁ。
「………ショウゴくんさ」
「ん?」
「もしかして、妬いてた?」
「へぁ?や、何だって?」
一人納得してほっとしていたところに、思わぬ発言。無邪気な少年のように投げかけられた問いは問いというより、もう答えが分かっていて、その確認のようなものだった。
俺の困惑を読み取った彼の口角がにっと上がる。あ、この感じ…理事長にやっぱちょっと似てんな…。
「ね?嫉妬。してくれてたのかなぁと」
「一応訊きますけど…誰が?」
「ショウゴが」
「だ、誰に?」
「おれの、電話の相手に」
「………え、やい、え?」
「混乱してんなぁ、ふふっ」
「妬いて?お、れが…?え、何で…?」
「何でだろうねぇ?」
「なん、ちょっと待って、いや待って」
「おれはいつでも、すげー待ってるよ」
くいっと両手を俺の腰に回して自身の身体に引き寄せたシキの顔は、まだ電気を点けていない玄関でも分かりやすいくらいにきらきらと輝いている。
それに比例してか、俺の頬は多分触らなくても分かるくらいに赤く染まっていると思う。
「気のせいでは…」
「まぁしゃあねぇな。そういうことにしといてやるよ。今は」
「うぁ…」
いや、絶対答えは分かってるだろ。
確かにもやもやはしてたけど。誰と何の話をしてんのかなって、思わないでもなかったけどさ…。
しっと、してた…?
「あっはは!顔真っ赤!」
「ちが…あぁぁー」
「いいよ。まだ待ってあげる。その分、その時間」
「ずうっとおれのことだけ考えててね」なんて。
わざわざ耳元で囁いた彼はきっと今までで一番上機嫌で、俺の頬にちゅっと軽いキスを落としてからキッチンへ向かった。
俺…何で今まで、シキと平気で手を繋いでいられたんだろう。
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