mitei あてにならない | ナノ


▼ 18.side-others

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コツコツと無機質な廊下に規則的に響く固い音は、エレベーターに乗って最上階へ上がると柔い絨毯に吸い込まれて聞こえなくなった。

職員室は、普段使用している一般教室がある棟の一階。その他の特別教室がある特別棟も、各部活の部室がある部室棟もこことは遠い位置にある。生徒達が普段生活している寮も。

彼が今居る場所は一般の生徒が本来立ち入りできる区域ではなく、特別な許可と権限が与えられている者のみが立ち入れる場所だった。
ただその特別な許可を得ている張本人は、今すぐにでも寮へ帰って同室者を抱き締めたい衝動を抑えていた。
充電したい。リラックスできるあの空間で、あの気の抜けた顔の隣で、一緒にコーヒーを飲みながらのんびりまったりしたい。
首筋に顔を埋めて思いっ切り匂いを嗅ぎたい。どさくさに紛れてまたキスマークをつけたい。
多分ちょっと怒られるだろうが。

ただその平穏な生活を守るためには、この呼び出しを無視する訳にはいかなかった。
かなり、とても、非常にこの上なく不本意ではあるが。

やがて重厚な扉の前に辿り着く。
彼は慣れた手つきでコンコンとノックをし、向こうからの返事も待たずに両開きの扉を自分で開いた。それほどまでに気持ちが急いていたらしい。

「失礼致します」

「どうぞ」

怠そうな雰囲気を隠しもしないまま、言葉だけは丁寧に挨拶をして部屋に入り、そのまま扉の近くに立つ。
彼が来ることを分かっていた部屋の主は快く彼を受け入れ、ソファーに座るよう促すがその生徒は頑なに座ることを拒んだ。
一分一秒たりとも長引かせたくないオーラを全身に纏わせて、扉の近くから離れない。
話が終わればすぐにでもここから出てやるぞという何とも分かりやすい、そして子供じみた意思表示であった。

部屋の主は何もかもお見通しといった風に目を細め、ふっと息を漏らす。

「座らないのかい」

「結構です。それよりも本題を」

「えー、久々に会えたのに冷たくない?」

「先月もお会いしたかと。では理事長、本題を」

理事長、と呼ばれた凛々しい紳士は残念そうに眉を下げるも、口元はふっと綻んでいた。

彼、シキが居るのは理事長室。
普通に学生生活を送っている一般生徒はまず立ち入ることなく卒業するだろう場所。
そして彼の前にいる紳士はまた、軽やかに口を開く。

「お父さんに対して冷たぁい!泣いちゃうー」

「本題を」

「坊っちゃま、理事長は貴方のご到着を心待ちにしておられました。出来ればもう少しお優しく…」

「るせぇ早よ終わらせろや!近況報告なら毎週してんだろがよ」

「本性出るの早ぁい!怖いよー」

「おっさんがきゃぴってんじゃねえぞ本題話せっつってんだろクソ親父」

「お父さんに向かって何だその言い方は!泣くぞ!」

「泣けよ」

「うわぁん!」

「はぁ…。理事長、本題を」

二人の側に控えていた執事のような男が理事長に目線を寄越す。と、一通りの茶番に満足したのか理事長…シキの父親がふうっと息を吐き出した。

「こほん。じゃあとりあえず、シキ。今学校楽しいかい?」

「…何が言いたい」

「イエスorノー。楽しくないんなら、色々と改善しないとなぁと思ってさ?だって可愛い可愛い息子の貴重な青春だもーん」

「で?」

「楽しくないんなら、部屋変えちゃう?一人部屋に戻してあげようかなぁ」

「おれからショウゴを取り上げたら、また色んな問題の揉み消しで忙しくなるぜ。別に揉み消さなくてもいいけどな」

傍に控えていた執事がひゅっと息を飲むほど、彼の周りの空気が一気に温度を下げた。
いつもなら誰もを魅了する切れ長の瞳が、その瞬間刃物の切っ先のような鋭さと剣呑さを帯びる。

だが息子のそんな姿に臆することもなく、飄々と理事長もとい彼の父親は言葉を続けた。

「分かりやすいなぁ。冗談だよー?変えないよ、だってめちゃめちゃ楽しそうなんだもん。青春だよーいいなぁ!」

「理事長、本題からズレています…」

「こほん!で、ショウゴくんね」

「気安く名前を呼ぶな…」

「我が息子ながらめちゃくちゃ面倒臭いな…。はいはい。で、僕も彼に会いたいんだけど」

「は?」

「厳密には面接の時に一回会ったんだけどね?もっとちゃんとじっくりゆっくりお話ししてみたいなぁって」

「真意は?」

「だって未来の息子になるかもじゃん?会いたいでしょそりゃあ!」

「………はぁ」

シキは力が抜けたように大きく嘆息した。
こうなれば何を言っても聞かないことは知っているし、彼自身の頑固なところはこの父親譲りであると言っても過言ではないだろう。

「やだって言ったら?」

「部屋変える」

「クソ親父が…髭全部むしり取るぞ」

「反抗期だなぁ」

「全力で反抗してやろうか?あ"?」

ピリピリとした空気を纏ったまま、彼はそれでも理事長の椅子に座る父から目を離さなかった。
固唾を飲んで見守る執事は、彼と理事長の似た顔を行ったり来たりしながら双方の反応を窺う。
全くこの親子は、二人とも素直であって素直でない。
それに分かっていてわざと息子であるシキの沸点ポイントを踏み抜いていくこの親も底意地が悪い。…給料が減るので言わないでいるが。

暫くして、口火を切ったのは父の方だった。

「理事長の息子だって、知られたくないんでしょう?」

「………」

「この学園の者は大体知ってると思うけどねぇ。君のルームメイトはまだ知らないんだ?」

「どっちでもいいだろ」

「どうして?知られたら何かまずい?」

「別に」

「ねぇシキ。その子は…ナナミくんは、君のことを知って態度を変えたりするのかな」

「それはない。絶対にない」

意地の悪い質問にはっきりと否を唱えた彼だったが、その言葉に一番驚いているのはその彼自身のようだった。
彼のルームメイトであり、想い人のナナミショウゴは…彼は人を見た目や噂などで判断する奴ではない。

シキは思う。
自分で言うのもなんだが、彼は初対面の時からシキの美貌にも無関心だったし、彼の良くない噂にも本気で怒って泣いて反論してくれた。
それから周囲の目にもとんと疎く、無垢と言えば聞こえはいいがもっとはっきり言うと鈍感だ。
鈍感で馬鹿で無防備で、なのに他人の感情の機微には聡くていつも優しい。

そんな彼が、今更「実はシキは理事長の息子でした」なんて聞いて態度を変えたりするだろうか。
恐らく、「マジで?そうなんだぁ」で終わりそうな気がする。何ならその後、普通に何も無かったかのように次の授業の話でもされそうな気がする。
容易に想像できて、シキは思わず笑ってしまった。やはり彼のことを考えると、頬が緩む。

そんな息子の姿を見てシキの父はにっと口角を上げ、心から嬉しそうな、楽しげな声で言った。

「じゃあ決まりだね!いつにしよっかなぁ?ね、とりあえず連れて来るまでにちゃんと話しなよ、シキ?」

「…わかった」

「いい子だ。お父さん…いや、お義父さん張り切っちゃうなぁ!」

「チッ…。余計なことすんなよクソ親父」

「やだ口が悪い!泣いちゃう!」

「もう帰っていいか。いいよな」

「えー、まぁいいや。また日時連絡するね!」

「わぁったよ。じゃな」

出て行く間際に聞こえよがしにはあああっと盛大な溜め息を零してから、シキは理事長室を後にした。
残された二人は目を見合わせ、頬を緩める。

「良かったですね、理事長」

「そうだねぇ。あの子を同室にして、本当に良かったなぁ」

ナナミショウゴくん。
編入試験で、理事長ということは伏せて一教師としてこっそり参加した面接。彼の第一印象はぼんやりしていてどこか抜けている感じもあったけれど、不思議と人を惹きつける魅力があった。
少なくとも、シキの父である理事長はそう感じたのだ。そして気紛れに思った。

ずっと独りぼっちを選び続けようとする息子に、もう一度機会を与えてみよう、と。
どうなるか、正直博打ではあったが事は上手くいったようである。しかし、まさか何事にも関心の薄かった息子があんなにも執着するとは…。

「さすがの僕も予想外だったなぁ…」

久々に見た息子の笑顔は、父親でさえこれまでに見たことがないほど優しく穏やかなものだった。

「あー駄目だ泣いちゃいそう…。ゴメン、ティッシュ」

「ハンカチで拭ってくださいよ理事長、ほら」

息子をあそこまで変えた本人はきっとまだ知らないのだろう。自分がどれだけすごいことを成し得たのかを。
そしてどれだけ…面倒な奴に捕まってしまったのかを。

「ベタ惚れなんてもんじゃないよ。ありゃあ大変だろうなぁ」

まぁ当人達がいいのならば何も言うまいが、とりあえずは現状をこの目で見極めなくては。
もし、仮に。息子が生徒に…ナナミくんに迷惑をかけるようなことがあれば、その時はまた彼を一人にする選択もしなければならない。例え嫌われようとも。
この学園の理事長として、そしてシキの父親として。

先のことを色々予想しながら、凛々しい紳士は居住まいを正した。
その様子を近くで見ていた執事がタブレットを手に口を開く。

「では理事長、この後の予定ですが」

「サボりたぁい」

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