やっぱりここなんだ…。
もう安定の、定番の場所だなぁ。
だけど俺にとっては自分の部屋くらい、もしかしたらそれ以上に落ち着ける場所だ。普段ならば、だが。
聞けば藤倉も大変だったらしい。
あの後、俺の家から自分の家に帰れば強制海外旅行。からの自力で帰りの飛行機のチケットを用意し、予定よりも早く帰ってきたという藤倉。その辺はどんまいお父さん。
そして予定よりも早く家主が帰ってきた彼の家にはもちろん、俺と藤倉の二人きりしかいなくて。
…そう、二人きりなのだ。あの恥ずかしい勘違いとこくは…告白のあとで…。
か、帰りてぇー!!でもそんなこと言い出せる雰囲気じゃないし、何かいつにも増して藤倉の瞳が鋭い気がするし、それに、それに。
ここで帰ってしまったら折角の俺の決意も無駄になってしまう気がする。
やっと、やっと自覚したんだ。伝えなければ。
伝えてそれからどうするって感じだが、自覚してしまったからには伝えなければならないと思う。なかったことにできないのはきっと、相手が他でもないこいつだからだ。
「で、さっきの続きだけど…」
「お、おう!」
「その前に澤くん」
「な、なんだ!?」
「いや、遠くない?」
部屋の真ん中のベッドにどどんとあぐらをかく藤倉。対して俺は、部屋のドアに出来るだけ近い壁に背中を預けて正座の姿勢。
声は聞こえるけど、これ以上近づけない。
近づくと何か意識しちゃって無理。何が無理って藤倉なんかに意識してどぎまぎしてしまう自分が無理。やはり悔しい。だけど誤魔化せない。
やがて小さい溜め息を吐いて藤倉がベッドから立ち上がった。長い足はすぐに俺の元へ辿り着いて、同じ目線になるようしゃがみこんでくる。
これ以上後退りできない俺は、ただそのゆったりとした動作を見守っているだけだった。
「俺のこと、怖い?」
泣きそうな声音でそんなことを言うもんだから、俺はそんなことはないと全力で首を横に振った。違う、怖くない。そうじゃ、なくて。
「…触ったら、怒る?」
また、恐る恐るといった感じに訊いてくる。
まるで警戒している野良猫に話し掛けているようで、少しだけ申し訳ない気持ちが込み上げてくる。怒るわけ、ないじゃんか。
「怒らない…」
「よかった」
そう言うとすぐに頬が手に包まれた。冷たいな。さっき抱き締められた時は全身熱く感じたのにな。
自然に上がった顔は、やっと見慣れた視線を捕まえた。何考えてんだろ。そんなの、多分訊かなくても分かってる。分かってる、よな。
でも、言わなくちゃ。
「あのな、藤倉」
「うん」
「あの」
「うん」
「………………さみしかった」
あれ、言おうと思ってたことと違う言葉が出てきちゃった。と思うやいなやすぐに、全身がふわりと宙に浮いた。
俺の体重を受け止める背中の柔らかさも、衣擦れの音も、照明を遮る影も…もう何度もこの部屋で感じてきたから今更驚かないけど。
何か言う前に頬に猫っ毛がかかって、擽ったく思う間もなく唇が塞がれてしまった。
舌が唇をなぞる。誘われるまま自然に口を開けると、少し躊躇してから藤倉の舌が入ってきた。今度は、熱い。
あの時、俺の家に招いた時よりもずっと遠慮がちに舌と舌が触れ合う。じれったくて思わず藤倉の服をまたぎゅううっと握り締めてしまう。
もっと、なんて思い始めたところで唇が離されて、色素の薄い瞳が俺を見つめた。
「おれのこと、好きって…ほんと?」
「…ん」
「こういうことされても、すき?」
「すき、だよ」
「嘘じゃない?」
「嘘じゃないよ」
「うそだ」
「うそじゃない」
「だって…ホントに?おれだよ、藤倉だよ」
「知ってるよ。俺の好きな、藤倉だよ」
言うとまた、唇が塞がれてしまった。
いちいち塞がないと会話ができないのかと思うけど、その行動を拒むことをしない俺も俺だと思う。
分かるよ。言葉以外でも、全身から伝わってくる熱に泣きそうになるよ。 本当に俺はずっともらってばっかりだったんだなぁ。
「藤倉はさ…俺のこと、好き?」
「うん」
「どのくらい?」
「めちゃくちゃ…おれにも分かんないくらい」
「ふはっ、何だそれ」
思わず吹き出すと彼も緩く口角を上げる。
優しい、穏やかな笑みだがその奥に何かを隠しているような。それが何なのか、どんな形をしているのか俺には検討もつかない。
「お前のそれはさ、その…友愛なの?それとも親愛?それか、」
「ぜんぶ」
即答した…。
「お前は、俺とキスとか…その先も。恋人みたいなことしたいって思うの」
「…うん」
「どうして」
「欲しいからだよ。きみの、ぜんぶが」
「そっか」
「でもきみが嫌なら、何もしない。ただ今まで通り傍に居て、友達みたいにじゃれさせて。それも無理なら、せめて同じ空気を吸わせて欲しい。視界にも入って欲しくないのなら、澤くんの世界から消えるから」
それでもきみを想うことだけは、ただそれだけは赦して、だなんて。
「お前は…」
「…うん」
「俺が、俺が本当にそうしろって言ったら、もう二度と現れるな、なんて言ったら…本当にもう二度と会ってくれなくなるのか」
「うん」
半ば苛立ちながら訊いた質問にも真顔で即答されてしまった。ちょっとは躊躇ってよ。
そこは嘘でもさ。いや、嘘は嫌だけどさ。
「なんで?」
「それがきみの望みなら」
「じゃあ、傍には居て欲しいけど、触られるのは嫌だって言ったら?」
「絶対触らない。でも傍に居ることを赦してくれたら、それはすごく嬉しい」
「本当に、一生?」
「一生」
「…なんで…俺中心なの。お前の意思は?お前のしたいことは?どこにあるの」
スッと綺麗な指が迷いもなく指したのは、俺の胸。俺自身。そういうこと?
「なんで」
「あいしてるから、だよ」
それって本当に愛?
お前がずっと言ってきた「あいしてる」って、そういうこと?
自分のことは何もかも置き去りにして、ただ俺の言う通りに従うってこと?
何それ。
何だそれ。
「ばっっっ…かじゃねぇの」
俺が怒ってそう言うと、藤倉は無言で俺に向けていた指を自分の胸元へ戻した。そうして視線を合わせてから、ふっと微笑う。
どこか自嘲する笑みで。
「怒ってるのも、何に怒ってるのかも分かってる。でも、俺の意思はここにも、ある」
「分かってないよ、だって」
「分かってるよ。ちょっと前まではおれだって迷ったかもしんないけど、今はちゃんと分かる」
「なに、を?」
「おれが幸せになることが、澤くんの幸せでしょう?だから大丈夫なんだ」
俺って結構自分勝手なんだと、笑いながら溢したその言葉に何だかやけに安堵した。
なんだよ。
…よかった、よかった。
お前が自分の意思を、心を蔑ろにしてなくて、前に俺が言ったことちゃんと覚えてくれてて、自分の幸せも、考えてくれてて…嬉しい。
そう思ってたら頬につうっと何かが滑り落ちていった。すかさず綺麗な指先が下りてきて、それを拭っては口元へ運ぶ。
やがて赤い舌がちろりと見えて、しょっぱいはずの透明なそれを躊躇いなく吸い込んでゆく。
「舐める必要あった?」
「澤くんのだから」
………。俺の涙舐めるの、趣味なのかな。
やっぱり訳が分からない。 けど。
「なぁ藤倉?お前、いつの間にそんなに強くなっちゃったの」
「さぁね。でも一緒に居てくれるから」
「言っとくけど」
「うん」
「今までだって、フツウの友達の距離感じゃなかったんだからな」
「気づいてたんだ?ふふっ」
「別に、ちょっとだけ!おかしいなとは思ってたからさ…」
そうだよ。それでも嫌だとか離れたいなんて思わなかったのは他でもない、お前だからなんだ。
お前だけなんだよ。
気づくの、めちゃくちゃ遅くなってごめんな。
そう思いながら髪を掻き上げて、額にそっとキスをした。
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