mitei 夏めく手のひら | ナノ


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あれから勢いのまま走ってその場から逃げた俺は知る由もなかった。
まさか殴った相手が学校一、いやこの辺りでは最強と言われるかなり有名な不良であったことなど。まぁそういう人がいるから気を付けなよなんて、入学当初にちらりと聞いていた程度だったのだが…まさかあの失礼な奴がその有名人だったとは。最初に言っといてよ…せめて殴っちゃう前に!

正直友達から聞いた時はめちゃくちゃビビったし、めちゃくちゃ後悔した。俺はなんてことをしてしまったんだと。

だから、そう。
あの時の出来事は出来るだけ早く忘れようと努めていたのに。
もう二度と、鉢合わせることなどありませんようにと願いながらただ平穏な日々を望んでいたのに。

やっぱりというべきか、彼はあの日のように突然やってきた。

「なぁ、この教室にアキくんておるー?おったら手ぇ上げてー」

「ひぇっ」

あれから数日経った日の昼休み。
教室でいつものように購買のパンをかじっていた俺の背後で聞き覚えのある声がした。
間延びした、やる気のない声。
それでいてここらではあまり聞くことのないイントネーションの、そう、関西弁だ。

その人物の登場でざわざわとうるさかった教室内が一気に静まり返り、また別のうるささに変わっていく。

きゃあきゃあという黄色い声に、びっくりする声、俺と似たような怯えた声やひそひそと噂する声などなど…。

そして教室中の視線が俺に向かっているのが分かる。名前を呼ばれたからだろう。
俺の周りに居た友達の視線も無遠慮に俺に刺さって…それから一斉にゆっくりと上に移動した。

振り返れない…俺は。

「見ーっけ」

「ひゃあっ!」

「ははっ!めっちゃビビるやん、おもろ」

肩に手を置かれ、自分でもあまりに情けない声が漏れたのは致し方ないことだ…と思う。
気配はしてたけど、声も、俺のこと呼んでるのも分かってたけど…。

何で、今更?

「何の用すか…?殴ったことなら本当すんませんでした心から謝罪しますマジで」

「それは別に。てか何で敬語?同い年やんな?」

「俺…お金持ってない…です…よ」

「ははっ、カツアゲちゃうで?てかそんな怒ってるように見える?」

言われて、まじまじと視線を上げた。
なるほど黄色い声が上がる訳だ。

黙ってればカッケェんだなぁ。目の前にあったのは泣きぼくろが印象的な、綺麗な顔立ち。セットしているのか天然パーマなのか、陽の光を艶々と反射する少し長めの髪に、垂れ目がちの瞳。ピアスの数は多いけどそれも様になってて…じゃなくて。

肝心の表情は…。怒って、ない?のかな。笑ってるように見える。
微笑んでるけど…穏やかそうに見えるけど…分からん。心の底では、怒りに燃えている可能性だってまだ捨てきれない。

だってそうでなきゃどうして俺のところに来ることがあろうか、いや、ない。思わず心の反語。

「アキくんおもろいなぁ」

「何で名前」

「え、ふつーに調べた」

普通ってなんだ?
というか何故?やっぱり…報復か!

「なん…いや、あの時は本当に…」

「えーよえーよ、あれはオレも悪かったし」

「え、マジで怒ってない…の?」

「そう言うてるやん。ホンマおもろいわぁ」

「じゃあなんで…は、まさか」

「んー?」

「俗に言う、おもしれー奴認定ってやつっすか…?」

暫しの沈黙。
やがて目の前の不良さんはぶはっと吹き出し、教室中に響き渡るくらいの声で笑った。どうやらツボに入ったらしく、涙が出るくらい笑ってる。

………俺そんなおかしなこと言った?

そりゃあ怒られるよりいいけど、全然いいけど、すっげぇ複雑。
周りのクラスメートも、固まっている者、不良さんと同じように笑いそうになっているのを懸命に堪えている者、憐れみの眼差しで俺を見つめてくる者などなど…。

なぁ、何なのこの空気。

「あー、めっちゃわろた…ふはっ、こんな笑ったんいつ振りやろ。なぁアキくん」

「なんすか…」

「オレ、ルイ。これからよろしくな?」

「やだ!」

「ぶふっ!」

間髪入れず自然と漏れた俺の本音に、ルイと名乗った不良さんがまた吹き出したのは言うまでもない。

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