「だから弁慶さんを蹴るなスミレ」
「当たったの、すみませんね足が長くて」
「僕の足が、ね」
小さいローテーブルの下に窮屈そうに折り畳まれた足は、いつ見ても蹴りたくなる。
というか長すぎて必然的に蹴ってしまう。
従って俺のせいではない。
それにしても…。
いつも放っといてもうるさすぎるくらい喋るくせに、今日はどうしたんだろうな。俺から話し掛けない限り口を開かない彼は、今何を考えてるんだろうか。
暫く沈黙の時間が流れる。
やっぱり今日は、いつもとどこか違うような…。飲んでるようで飲んでないな、こいつ。
何となく何も言い出せずにいると、ずうっと缶とキスしたままだった唇がついに動いた。
「高校の時、お前と僕が付き合ってるって噂流したのって…誰だったんだろうねー」
「…ねー」
思いもよらない話題。缶を持つ手が一瞬ピクリと揺れて、危うく落とすところだった。
あっぶねぇ。
まだほんのちょっとしか口をつけていないはずなのに、もう酔っ払ってしまったのだろうか。
今まで無言でいたくせに唐突にそんな話をしだすもんだから、ちょっとびっくりしてしまった。
頬も別に赤くなっていないし、口調だっていつも通り。なのに視線はずっと俺に向けられている。
薄紫の花。
そこにしか咲かない二輪の花が、じいっと俺を捕らえて離さない。
俺はまだ一缶くらいしかお酒を飲んでいないはずなのに、やけに心臓が元気なようだ。
二人だけの静かな空間だから余計どきどきしちゃうのかな。何でどきどきしちゃうんだろう、まさか…恋かな。恋しちゃったんだ多分?
んな訳ねーだろうが。
俺はまだ全然酔ってないぞ。
「まさかスミレだったりして」
「なに…言ってんだよバカ」
ふっと息が漏れる音は、目の前の桜色の唇から。やけに艶っぽい雰囲気を醸し出しながら問う瞳には、情けないカオをした俺しか映っていないみたいだ。
名前は小さな花なのに、その中に咲くのは大輪の花。俺しか見てない、その実誰を見ているのか分からない、不思議で美しい花。
何故だかイラ立ってしまうのはほんのちょっと口にしたお酒のせいだと思いたい。
「まぁた癖出てるよー?」
「…そうだよ、悪かったよ」
「何で謝んの、怒ってないよ?」
「でも、やだったのかなって」
「今更」
「だよなぁ」
いつから分かってたんだろう。
中学の時、いや…小学生の時からこいつに告白する子は後を絶たなかった。そしてそれを断る度にこいつが嫌そうな…というか、どこか苦々しげな表情をしていたのをずっと見てきた。
シオンは優しいし生真面目だから、きっと人の好意を断ることに嫌気が差してたんじゃないかなんて俺は勝手に推測した。或いは勝手に向けられるそれらに辟易していたのかとも。
どちらにせよそういったことが彼によろしくない思いをさせていることは明白だったので、何とかならないかと俺は大して良くもない頭を捻った。
要は彼への告白が無くなればいいんだ。
ではどうしたら告白が無くなるか。
俺は考えて考えて考えて、やっと一つの答えに辿り着いた。考えた割にはめちゃくちゃシンプルな答えだったのだが。
シオンが特定の相手を作ればいいんだ。
なのにいつまで経っても彼は告白をオーケーしない。学校一の美女だろうが他校の可愛らしい年下の子だろうが、男子だろうが女子だろうが、シオンは誰の告白も受け入れる気配が無かったのだ。
もしかして好きな相手がいるのでは、と考えた俺はそうなのか彼に確認するも、「どう思う?」と質問で返されるだけ。
いるのかよ。いや、いないのかな。
結局どっちなんだ。
そんな時、聞いてしまった。
「僕に姫は要らない。王子様がいるから」
校舎裏。放課後。
掃除当番の俺は、持っていたごみ箱を危うく落とすところだった。
お相手は中々に自信があったようで、結構強めに彼に迫っていたらしい。そこでその押しをバッサリ切り捨てた彼の一言。それがあの発言。
姫は要らない。そうか。
王子様がいる。そうなのか。
王子様…王子様って、好きな人って意味?
何だよ結局いたんじゃん。
告白を断る常套句かもしれないが、そうじゃないかもしれない。だけどあの後何度訊いても、シオンは真実を教えてはくれなかった。
お前居たの?
盗み聞きなんて最低だよー?
そういう自分だってどうなの?
好きな人が誰かなんて無理矢理訊くつもりはない。だけどことあるごとにそんなことばっか言ってくるから流石にちょっとムカついて、「俺だって聞きたくて聞いた訳じゃない!」って叫んだら何故だかあいつは嬉しそうな顔をした…気がした。なんで。
その場で手が出なかった自分は今でも褒めてやりたいが、問題が解決した訳ではなかった。
どれだけ飄々と振る舞っていたって告白された後のシオンはいつもどこかピリピリしているし、やっぱり嬉しそうなことなんて一度もなかった。
………なんか、嫌だなぁ。
そう思ったんだ。
もう俺でいいや。
俺が盾になればいいんじゃん。
あいつの本当に好きな人が誰なのかは知らんけど、全然知らんし教えてもくれないけど、本当にその人に気持ちを伝えたい時に俺は消えればいい。こう、するっと。はじめから居ませんでしたよーみたいな感じで、何気なく、さりげなく。
それまで彼の表情を曇らせるものは俺が防いでやれればいいなって、馬鹿なりに考えた結果がそう。噂を流すことだった。
学校一のシオンには特定の相手がいること。
それが空想の人物じゃあきっとすぐにボロがでるだろうから、手近に、しかも変に文句を言われても大丈夫そうな奴で。あいつの恋人ってなったら周りの嫉妬とかすごそうだし。
となったら適任は一人だけ。つまり、俺。
俺みたいな平凡と付き合ってることになったらこいつの評判は多少なりとも下がるかと思ったが、そもそもそれが狙いなんだからそれでいいんだ。
矛先はきっと全部俺に向かってくるだろうし。
そう思って自ら噂を流し、信憑性を高めるため普段から…いや、元々距離感が近かったからあまり変わらなかったかもしれないが…まぁできるだけシオンと行動するようにした。
とは言え思ってたより全然嫌な目に遭わなかったんだよなぁ。それは良かったけど、ちょっと拍子抜けした。
大学が一緒なのは必然的偶然。別にそこは狙ってない。何か同じとこに受かった。
シオンは俺よりずっと頭が良いし、大学だって別のところになるんだろうなと何となく思っていた。そしたら…そしたら。そこで俺たちの噂も終わりになるだろうなんて、勝手に思っていたのに。
結局このザマである。
偶然っていうか最早運命?的な?笑えるー。
いや、笑えんわやっぱ。
自分から始めた茶番ではあるが、一体いつまで続くんだろうコレ。
そしてシオンの好きな人って結局誰なんだろう。
大学生になってもまだ教えてくれることはないけど、その人とは順調なのかな。
俺がお役御免になる日は…来るのかな。
早くそうなったらいいのになと思いつつ、ちょっとだけ、そう…ほんのちょっとだけ、もやっと胸が擽られるような感覚になったのは秘密だ。…晩飯の食い過ぎかもしれない。
「スミレェ…」
「シオン、重い。寝るなら布団で寝な」
「連れてって…」
全く人の気も知らないで…。
俺の上に覆い被さったシオンを何とか起き上がらせて自分のベッドに寝かせる。と、腕を引かれてボフッと俺も寝転がされた。
「あのねぇ、スミレ」
「…なに」
「僕はほんとに、ほんとにうれしかったんだ。だから、おまえを…ちゃん…と…」
「ちゃんと…なに?え、寝た?ちょっ、オイコラ」
俺をちゃんと…何なんだ。
好き勝手言いかけてすやすやと眠ってしまった幼馴染みの端正な顔を睨みつけるも、マジで熟睡してやがる。本当に睫毛抜いてやろうかな。
だが、それも叶わなかった。何故か。
両手が拘束されてしまったから。
抱き枕かな。
抜け出そうとしても本当に寝てんのかよって力で抱き締めてくるし、俺もちょっとお酒が入って瞼が重くなってきちゃったから、そのまま二人仲良くベッドで寝ることになったのだが…。
朝起きて寝惚けたシオンにマジでキスされそうになったのはまた別の話だ。
また今度やったらぶん殴ろうと思う。
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