「なぁ聞いていい?」
「なぁに?」
「お前って中学どこだったの?」
かしくんの話を聞いて以来、あの話に出てきたのが藤倉なのか別のフジクラさんなのかずっと気になっていた俺は遂に本人に聞くことにした。
「あー、えと」
途端に藤倉の返事が辿々しくなる。もしかして聞かれたくないことだったのか?
「答えたくないならいいよ」
「いや全然!そういうわけじゃないんだ、けど…」
「…東中?」
「そう、です」
「そっかー。俺西中だよ。そんな遠くないね」
「…知ってる」
立ち止まった藤倉がボソッと呟いたが、小さすぎて聞こえない。二人の間にしばしの沈黙が訪れ、その代わり周りの雑音がやけに大きく聞こえた。
学校から駅に向かう帰り道。
少し遠くを走る重そうなトラックの音や信号が青に変わったことを知らせる甲高い音。放課後にはしゃぐ近所の小学生の元気な声。
俺が振り返ると同時にさわさわと柔らかい風が吹き抜けて、彼の猫っ毛を揺らす。その様子をぼうっと眺めて、立ち止まっていた俺は再びゆっくり歩き出した。
やっぱり聞かれたくないことに踏み込んでしまったみたいだ。知らないとはいえ申し訳ないことをしたな。
「ごめんな、何か」
「謝んないで!澤くんは何も悪いことしてないよ」
「や、でもお前言いたくなさそうだし」
「う、あの、」
「いいよ。無理すんなよ。話してくれるなら聞きたいけど話したくなったらでいい」
「聞いてくれるの?」
「何で?俺だってお前のこともっと知りたいと思ってるよ。知らないことばっかだし、でも急がなくていいから」
「…澤くん、あのね、」
藤倉は意を決したように話し出した。すうっと深呼吸して、真っ直ぐに俺を見据える。薄い唇を開き一生懸命話そうとするも言葉が中々出てこないらしい。前にもあったな、こんなこと。
無理して言わせたいわけじゃないけど、彼が一生懸命俺に伝えようとしてくれてるのが分かる。だから俺もちゃんと聞くんだ。
「俺ね、中学の時ちょっと、その、ね」
「うん」
「あの、ちょっとヤンチャしてて…」
「うん」
「ピアスとか、その時に開けてて、」
「そうなんだ」
「で、その…ケ、ケンカとかもちょっと…」
「元ヤン?」
「え、あの…う、………はい」
「へー」
そうなんだ。だからケンカ強かったんだな。納得納得。ちょっとすっきり。
「え、引かないの?」
「え、何で引くの?」
「だってその…ほら、バレたら怖がらせるんじゃないかとか俺、色々考えて…」
「藤倉はさ、俺を殴るの?」
「っ?!殴るわけないよ?!殴れるわけない!!」
「ははっ。知ってる」
「へっ」
「昔のお前は知んないけどさ、今のお前は絶対人を傷つけるようなことしないだろ。そんな優しい奴、何で怖がんなきゃいけないの」
寧ろ変態行為のがたまに怖いわ、なんて笑い飛ばしてふと隣を見ると、藤倉の姿がない。振り返ってみると、何やら道端に蹲っていた。
「愛しすぎてどうにかなりそう…」
何かもごもご呟いているが何を言ってるのかよく分からない。
もう何回見たっけなこの光景…。
「藤倉ー?大丈夫か?」
「…澤くんはさぁ、俺の心臓を止めたいの?効果は抜群だよ…」
「いや別に止めたくはないけど?ってか死なれたら困るよ」
「もう!供給は十分だからこの辺で勘弁して!」
ん?供給…?いまいち何言ってんのか分からないがとりあえず大丈夫そうだ。すくっと立ち上がった彼は長い足ですたすたと歩き出してしまった。俺との身長差的に、小走りしないと追い付けない。
「藤倉ー!待てよ」
「…今ちょっと、振り向けない」
「ふじく…あー」
「?」
「止まって。一織」
藤倉の足が、ぴたりと止まった。
今どんな顔してるんだろう。後ろ姿じゃ分からないや。
…どんなに情けない姿でも、隠さないで見せて欲しいんだけどなぁ。
彼は知られたくないだろうが、俺は知りたい。知られたくない秘密を無理に暴こうとは思わないが、知られることで嫌われるんじゃないかなんて怯えないで欲しい。
俺の事は言わなくても色々知ってるくせに自分だけ隠すなんてずるいし、正直腹が立つ。気が済むまで一緒に居ようと言った時点である程度は腹括ってるんだよ、俺。
どんな藤倉でも受け入れるなんて綺麗事は言えないし、場合によっては俺の方がこいつに嫌われることだってあるかもしれない。それは想像するとめちゃくちゃ嫌だし、俺もやっぱり怖いけどだからこそ、自分を見せるのを怖がらないで欲しいと思う。
だって見せてくれなきゃ、受け入れることも拒絶することも、嫌いになることももっと好きになることも出来ないのだから。
これはちょっと、ということがあればその時二人で考えればいいのだから、一人で抱え込まないで欲しいのにな。
こういうの、どうしたら上手く言えるのか分からなくてもどかしい。だからもう一度、呼び慣れない名前を音にする。
「いおり。こっち見て」
「…やだ」
「駄々っ子かよ」
「だって本当…」
「一織」
根負けしたのか、漸くゆっくりと振り返ってこちらを向いた彼の瞳は髪で隠されてよく見えない。一歩ずつ歩み寄って、柔らかい髪をそっとかき分けて覗き見た。全く抵抗することもなく彼は俺の動きに身を委ねている。
漸く見えた彼の瞳は少し潤んでいて、いつもよりずっとずっときらきらして見えた。
「泣かせちゃった?俺」
「泣かせちゃったね」
「ごめん」
「ゆるさない」
「ハンカチ、使う?」
「使用済みなら」
「いつも通りだな。じゃあ大丈夫そうだ」
「澤くんカッコ良すぎる…」
「お前に言われても嫌味にしか聞こえん」
「本当だよ。本当に…」
皆怖がるか敬遠するか、何故か変に尊敬されるかそんな反応ばっかだったのになぁ、と藤倉が溢した。長い睫毛が揺れ、潤んだ瞳はゆっくりと俺を映す。
「澤くんだけは俺のこと、ちゃんと真っ直ぐ見てくれたんだ」
「見たっけ」
「見てるよ。真っ直ぐに」
見てるのかな。見えてるのかな、真っ直ぐに。
俺にもその自信は無いけど、どうやらこいつにはそう映っているらしい。
細長い綺麗な指が俺の頬に降りてきて、彼の親指がするりと俺の目元を撫でた。カサついたその感触が何だか心地よくて、自然と目が細められる。
「…まさおみくん」
「なぁに」
「あいしてるよ」
「ばかじゃねぇの」
ふふっと二人で笑い合う。
藤倉のことはまだまだ知らないことだらけだけど、これからゆっくり知っていけばいいや。
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