「さーわせんぱぁーいっ!!」
「ひょわぁっ!!」
買い物帰り、いきなり突進して背中に抱きつかれた俺は驚きのあまりめちゃくちゃ変な声を上げてしまった。この時点で俺のHPはもうゼロに等しい。最近こんな恥ずかしいことばっかりだ。
「なになに?!誰だよ?」
振り返ると、見覚えのあるツンツンヘアーの童顔。ガバッと背中にダイブしてきたのは俺の中学校のときの後輩だった。
「澤センパイ!久しぶりッス!!」
「お、おう。久しぶりだな…えっとー、あの。ごめん、名前何だっけ」
顔は覚えてるんだけどなぁ。
ひとつ言い訳するとこいつは中学校の後輩というか、中学校の時に他校との試合で知り合った後輩だ。なので学校は同じになったことがなく、数回しか会ったことがない。もっと言うと中学の頃俺は色んな運動部の試合に駆り出されていたから、ぶっちゃけどの部活動での試合だったかも定かではない。
「忘れてるなんてひどい!澤センパイのバカ!大好き!!」
「いやゴメンて。そしてありがとう。えー、と、」
やばい。顔は分かるのに名前が一向に思い出せない。これおじいちゃんとかがよくなるやつじゃん。俺の脳はそんなに老化が進んでいるのかとちょっと心配になってしまう。
「かしわだに!柏谷ですよ澤センパイ!!」
「あ、あー!ゴメンゴメン!かしくんか!あー」
思い出した!かしくんは、サッカーの試合で知り合ったんだっけかな。
この子足が速くてなかなか手強かったんだよなぁ、確か。
「センパイまじで忘れるなんて…オレ泣いちゃう」
「だからゴメンてば!久しぶりなんだし!な、飴ちゃんやるよ」
飴ひとつでぱあっと顔を輝かせた後輩は、俺より少し背が高くなったのに相変わらずわんこみたいだった。
久しぶりで話したいこともたくさんあるから、とそのまま近くの喫茶店へ行くことに。この後特に用事もないし、俺も久しぶりに後輩に会えて嬉しかったので少しうきうきする。
「センパイが高校に入ってから全然会ってなかったんで、もう一年以上振りッスね!」
「あーもうそんなにかぁ。ってか、かしくんももう高校生なの?早いな」
「おっさんの台詞ッスよセンパイ…」
「どこの高校?同じじゃないよな」
「センパイと同じとこ行きたかったんスけど残念ながら落ちちゃって…第二志望んとこになりました」
カラカラとオレンジジュースの氷を掻き回しながら、正面の後輩をちらりと見る。ちょっと照れ臭そうに話すかしくんこと柏谷くんは中学の時より背も伸びて、童顔で可愛らしかった顔も少し男らしく成長していた。
「サッカーは?高校でも続けてんの?」
「もちろん!学校もそのつもりでサッカーが強いとこ志望してましたし!」
「あれ、うちの高校サッカー部強かったかな」
「センパイんとこは運動部どこも結構有名じゃないスか」
「へー」
知らなかった。というか、気にしてなかった。
「相変わらず淡白ッスね…。でもそこがカッコいいッス!!」
「…どうも?」
かしくんは昔っからやたら俺への評価が高いな。嬉しいんだけど、何かちょっと心配。
しばらく中学校の時の思い出話に花を咲かせ、もう一度高校の話に戻った頃「あっ」と思い出したようにかしくんが言った。
「そういえば澤センパイの学校って、藤倉っていう人いません?」
「藤倉?いるけど」
藤倉…といえば俺の知るあの藤倉のことだろうか。他の学年は知らないが、同学年でほかに同じ名字はいないはずだから多分彼のことで間違いないだろう。
「やっぱり!あれですよ、あの背の高いスラッとしたカッコいい人!」
「あー、多分そうだわ。二年だろ?俺と同学年の」
「そうそう!そうです!!」
最初っから割とテンションの高めなかしくんであったが藤倉の話になると更にヒートアップしてきた気がする。中学の時から人気あったんだなぁあいつ。
まあ分かる気もするが。
「かしくんって藤倉と同じ中学だったの?」
「そうなんスよ!一度も話したことはないんですけど…」
「そっかぁ。中学の時からそんな有名だったの?あいつ」
俺がそう投げかけると、かしくんの大きな丸い目が更に丸く見開かれた。
何だ、何か変なこと言ったか俺。
「有名どころか…」
何だ何だ。心なしか肩が震えていないかかしくん。寒いのかな。店の冷房が効きすぎているんだろうか。俺の席はそうでもないんだけど、反対側は直で当たるのかな。
「大丈夫?かしくん?」
「学校内どころか他校でも超有名だったんスよ?!マジで知らなかったんスかセンパイ?!」
バンッと机を叩きすごい剣幕で間近に迫るかしくん。何で怒られてんのか全く理解出来ず狼狽える俺。
あまりの大声に一瞬店内がしん…と静まり返り、一斉に注目を浴びた。先程まで丁度良いと思っていた冷房では補いきれない程身体が熱くなるのを感じる。恥ずかしい…。勘弁してくれ。本日二度目の恥ずかしい体験だ。
「とりあえず落ち着け、かしくん。確かに中学ん時は知らなかったけど、あいつが有名なのは知ってるから。ファンクラブとかもあるくらいだし」
「ファンクラブは密かに中学ん時もありましたけど、そういうことじゃなくて、」
「え。中学ん時もあったの?モテモテじゃんあいつ」
「センパイさっきから思ってたんスけど、何かちょっと馴れ馴れしくないです?藤倉さんに対して。まさかとは思いますけど…もしかしてお友達ッスか?」
「へ?何でまさかなの?普通に話すけど」
ここに来て本日二度目のかしくん驚きフェイスが披露される。かしくんが驚いている間は双方無言なので俺は観察に徹するしかない。先程のこともあり、彼が驚いている理由が分かるまでは俺も迂闊に喋れないからだ。
それにしても何故彼はこんなにも表情豊かなのだろう。ある日の休み時間、藤倉にとんとんと肩を叩いて振り向かせられ、例のごとく頬をぷにっとされた時も驚きこそしたが表情が変わらなかった俺は、かしくんをもう少し見習いたいところだ。
まあ藤倉はその後暫く蹲ったまま震えてたから放っておいたんだけど。体調悪い訳じゃなかったみたいだし。
「…マジッスか」
しばらくして漸くかしくんが口を開いた。しかし目は以前丸く見開かれたままだ。瞬きしないと乾いちゃうよ。
「マジだけど、何で?」
「ほぉ…」
まあでもかしくんが驚くのも無理ないのかな。感覚が鈍ってたけど、藤倉みたいな(変態だけど)ハイスペックな人間と俺みたいなのが仲良くなるきっかけって普通はなかなか無いと思うし、かしくんの話だと藤倉は中学の時からすごい人気みたいだったからもはやアイドル的な存在なんだろう。そんなアイドルと俺みたいな一般人がなんで、って感じなんだろうか。
何で仲良いのか、正直俺も分かんない。
「普通に話すって、どんなことを…」
恐る恐る、といった感じでかしくんが質問してきた。肩の震えこそ収まったようだがさっきまでのハイテンションはどこ行っちゃったんだかしくん。
「どんなことって…色々。授業のこととか、ゲームの話とか?」
「そんなに?!仲良しなんスか!!?」
「そんな驚くことか?仲良しってか、まぁ悪くはないと思うけど」
「まさかまさかとは思いますけど、澤センパイってそっち系なんすか?その、実はめちゃくちゃケンカ強いとか?」
「ケンカ?何で?したことないけど?」
「え、じゃあ決闘したとかじゃなく…?」
「え、決闘?誰と?いつの少年漫画だよ」
「じゃあじゃあ、パシられたりとかないんスか?焼きそばパン買ってこい的な」
「パシる?何でだよ。友達にそんなことさせるわけないだろ。寧ろ頼んでないのにミックスサンド買ってきたりはするけど」
藤倉は俺が一回美味いって言ったものをしっかり覚えているらしい。それをたまたま弁当の量が少なくて物足りないなぁって時に見計らったかのように買ってくるもんだから、たまに超能力者なんじゃないかと疑ってしまう。
理由もなく奢られるのは何か嫌だから俺は代金払おうとするんだけど、奴は断固として受け取らない。しょうがないから半分こして食べようって言ったらやっぱり蹲って震えてた。流行ってるのかな、あれ。
それにしても貰ってばかりは性に合わないので俺もいつか仕返ししてやろうと思ってるんだけど。
「あの藤倉センパイが、澤センパイのために、買ってくる…?ふぉお!さすが…さすが澤センパイッス。やっぱ半端ねぇわ」
何故か一人で納得してうんうんと頷くかしくん。何が半端無いんだろう。あの藤倉が、ってどういうことだ?パン買うのが珍しいってことかな。え、あいつご飯派なの?
それにしても…うーん。今の彼を想像してもふにゃんとした柔らかな笑顔が浮かぶだけで、どこかかしくんの想像する彼と食い違っている気がしてならない。ケンカとか決闘っていうのも意味が分からないし。
「かしくん。あのさ、かしくんの言う藤倉って、」
「話し辛くないんスか?藤倉センパイと」
お、おう…。俺の質問は全面スルーして更によく分からない質問を返す後輩。中学の時も何回か思ったけど、かしくん。君はもう少し人の話を聞くということを覚えた方がいいと思うぞ。
「話し辛い?何で?」
「いやだって、怖くないスか?あの人いつも眉間の皺すっげぇし無愛想っぽいし、」
「眉間の皺?寧ろいつもヘラヘラしてる気がするけど…」
誰のこと言ってるんだろうかしくんは。やっぱり俺の知ってる藤倉とは別のフジクラさんのお話だったのかな。だとしたら、今までの話の食い違いも何となく分かる気がする。
出会った頃のことはよく覚えてないけど、藤倉が眉間に皺寄せてるのなんて俺はあまり見た記憶がない。寧ろ俺の中での藤倉はいつもへにゃっとした柔らかい笑顔で、決して近寄りがたい雰囲気ではなかった。
まぁ変態って部分を考慮するとある意味近寄りがたくもあるかもしれないが。
「ヘラヘラ?あの氷の藤倉センパイが…?」
何やら物凄く動揺しているかしくんは先程から「そんな馬鹿な」と独り言を繰り返している。俺も何に驚かれてるのかよく分からないんだけど、とりあえず落ち着くまで目の前の氷を突っついておこう。氷。氷の藤倉って何だよ。通り名的な?中二病ネームにしてはいまいち捻りがないし、そもそも奴の何処に氷の要素があるっていうんだ。
行儀が悪いと思いながらも数回目の沈黙に耐え切れず、ズズズッと音を鳴らして残りのジュースを流し込んだ。コップの底に残ったオレンジジュースはちょっと水っぽくて薄くなっている。結露でコースターが少し濡れているのをじいっと眺めていると、漸くかしくんが我に返ったようだ。
「センパイ!あの、一応確認しますけど、藤倉センパイって藤倉一織センパイのことッスよね?」
「いお、り…?え、なんだって?」
「だからぁ!藤倉!一織センパイッスよ?!」
「えぇ、ゴメン分かんない。あれ、あいつの下の名前何だったかな…?」
「まあ藤倉なんて名字めちゃくちゃ珍しいわけでもないですし、もしかしたら人違いかもッスね。でも確か澤センパイと同じ学校だった気がするんだけどなぁ…」
「ゴメン、今度確認しとくわ」
「今度ってことは、またオレと会ってくれるんスかっ?!」
「あー、おう」
「じゃあ澤センパイの藤倉サン情報、期待してますね!」
やっとかしくんのハイテンションが戻ってきた。
大きな瞳をきらきらと輝かせ、再びガタッと身を乗り出すかしくん。その後かしくんとは連絡先を交換して店の前で別れ、一人帰路に着いた。
帰り道、かしくんとの会話を一言ずつ思い出しては咀嚼する。かしくんの言うフジクラ像と俺の知る藤倉を何度重ね合わせても、やっぱりいまいちピンと来なくて首を傾げた。
そう言えば俺、あいつの下の名前知らない…。というか、そもそもあいつのことほとんど知らない。かしくんの言うフジクラが俺の知るあいつのことかどうかわからないが、もし別のフジクラであったとしても俺は彼の中学時代を知らない。中学時代どころか下の名前、誕生日とか好きな食べ物だって、今聞かれてもひとつも答えられなかった。
…俺は本当にあいつのこと何にも知らないんだなぁ。
ああ、そっか。やっぱり与えられてばっかなんだ、俺。いつか仕返ししてやるなんて思ってたけど、そもそも知ろうとすらしてなかったんじゃないか。恥ずかしい。そんな自分が、今日どころかここ最近で一番恥ずかしいと思った。
「やっぱ情けないまんまじゃん…」
はあーっと長く吐いた溜め息は、誰に拾われるでもなく固いアスファルトに吸い込まれていった。
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