いやいや。
いやいやいやいや…。
なにこれ、なにこの状況。
改めて整理してみても頭が追い付かない。
あ、夢?いつもの夢かな。ならまだ分かる。
でも夢って痛覚感じるんだっけ?
さっきから何回も自分の頬をつねってみているんだが、ちゃんと痛い。
鼓動が身体を揺らす感覚もいやに静かな部屋の空気も、いつもより大げさに感じる。
何でか。緊張してる、からか?
え、これ現実?だよな。だってもうつねらなくても頬が痛い。じんじんと、これは夢じゃないことを告げてくる。
俺が意味のない思考を巡らせている間に、背中の向こうにある気配が僅かに身動ぎした。
白いシーツが擦れる音、俺のものじゃない規則的な呼吸音、それから…。
いつもいつも何かと理由をつけて嗅ぎにいく俺の大好きな匂いと、ずっとこの腕の中に閉じ込めていたい温度。
いつもあるはずのないものが、この時間にも隣に在って欲しいと願ってやまないものが何故か今、ここにある。
夜、俺の寝室、俺のベッドで、彼が寝ている。
………?
いやだからなんで。
なにこの状況。あ、これループだこの思考。
寝られるワケなくない?え、この状況で寝られる人いる?俺はムリ。慣れてないし。
慣れてないどころか初めてじゃん?
同じベッドで、彼と同じ夜を過ごすのは。
あれから約束通り俺の部屋でゲームして、夕方頃になると小雨が降ってきてそれがすぐに大雨になって。
澤くんは走って帰るなんて言ってたけどそんなことさせられるワケがないし、ちょうど帰ってきた俺の母親が「なら、止むまでとりあえず晩ご飯食べてって」と提案した。
俺としては一分一秒でも長く彼と居られるならそれで良くて、二つ返事で了承してしまったのが良くなかったんだと思う。
雨足は強くなる一方で、だんだん風も強くなっていった。
本当はタクシーを呼ぶなり送っていくなり出来たのに、彼を家へ帰す案ならいくらでもあったハズなのに、下心を抑えきれなかったのが駄目だった。
だからこれはある種の天罰なのかも。
だとしたら嬉しい天罰だが…いや、やっぱりどうなんだ。
この状態で眠れなんて…。
健全なオトモダチ同士のお泊まり会なら別だろうけど、最初っから下心しかない俺には無理難題だよ。
というか。
色んな理由で寝返り打てなくて見えないけど。
背中越しにその呼吸を感じるだけだけど。
寝てる…よなぁ。完全に。
澤くんもなんで受け入れたの?
というか、なんでそんな自分の家みたいにすやすや眠れるの?
そりゃあ、寝不足になって欲しいワケないけどさ。俺と同じくらい…とまではいかなくても、ほんのちょっとくらい意識してくんないかなって思わなくもないけどさ。
無防備にも程があるんじゃないかな。
警戒心ってコトバ知ってる?その意味は?
このベッドで、この部屋で俺にどんなことされてきたのか、ちゃんと覚えてる?
散々「変態」って言ってきた癖に、なんでそんなに優しくしちゃうの。
なんで、そんな安心しちゃうのかなぁ。
馬鹿にも限度があるじゃん。
馬鹿の上位互換ってなんだろう。最早冷静になってきたな…。
「う…んん…」
「っ!!」
もう心臓に悪い。寝返り打ったのかな。
いつもなら、これが澤くんも起きている昼間なら鬱陶しがられるくらいくっつきにいけるけど…今は夜で、彼は眠ってて、それで…。
あぁ、ダメだ。後ろを向く勇気すらない。
今なら合法的に、いやダメかもしんないけどバレずに寝顔連写できるだろうに。
いつもなら画面越しに見えるか見えないかの寝顔を、今なら堂々とガン見できる絶好のチャンスだっていうのに。
それどころじゃない。ムリ。ヤバい。
俺って結構臆病だ。
…今からでも、リビングのソファーに移動しようか。でももし見つかったら母親にも澤くんにも怒られそうだ。
今日寝る前だって、どちらがどこで寝るかでちょっと揉めた。揉めたってほどではないが、澤くんが中々頑固で折れてくれなかった。
最終的に、俺がベッドで寝ないのなら自分は床で寝る、なんて脅してくるものだから参ってしまった。
今日、俺が一日眠そうだったのを気にしてくれたのだろう。
でも、でもさぁ。
こっちのが俺、寝られる気がしないんだけどなぁ。
こんの無自覚人たらし小悪魔め…。
「んん………ん?ふ、じくら…?」
「あ」
「なんでそんな…はしっこいんの…」
「それは、だってその、」
起きた、起きたのか?
何でってそんなの、きみに触ってしまわないようにするためだ。決まってる。でも何て言えばいい?そんなことを言って怖がらせないか?変に思われないか?嫌な気持ちにさせないか?
ぐるぐると必要かどうかも分からない言い訳を探していたから、油断していた。
俺は完全に油断していたんだ。
「んっ」
「っ!」
驚いて全身がビクリと跳ねたのに、後ろの彼は気にしないで力を込めた。
いや近い。近い近い近い。
「さ…わく、」
「こっちきて」
「だから…」
「…と、りは…」
「…ん?」
「独りは…さみしいもんな」
背中にぴったりくっついてきた温かい体温。
緩く回された腕に、ぽつりと落とされた音。
背中に感じる体温よりもずっとずっとあったかい温度を宿した、彼が紡ぐ言葉。
…変なの。
何か落ちた。ちがう。流れた?
気づくと、頬が勝手に濡れていた。
何でかはホントに分かんないんだ。突然俺の部屋の中にも雨が降りこんできたのかもしれないし、ただの汗かもしれない。
ただ分かるのはその雨は一滴二滴じゃ止まなかったことと、背中の温度がひたすらに心地好いということ。
見られたくない。背中を向いていて良かったと思う。
彼は気づいているだろうか。それともまた完全に眠ってしまっただろうか。
寝ててもきみは、きみなんだなぁ。
なんて当たり前のことを。そうじゃなきゃ困るよ。そうじゃなきゃ、同じベッドで寝られるもんか。
本当に眠ってしまったのか、手の拘束が緩くなった。俺はそうっとその手を持ち上げて、身体を反対側へ向けた。
腕を下ろし、もう一度俺の身体に巻き付ける。
俺の手は、もうひとつの体温を抱き締めるために使った。
なんて素晴らしい使い道だろう。ずうっとこうしていたい。嘘だ。本当はこの先も触れたい。
胸の振動はどれくらい彼に伝わっているだろう。寝てるから分かんないかな。
やっぱりいい匂いするな。今日は同じシャンプー使ったはずなのに、この匂いは変わんないんだな。
もう、どうしようもないなぁ。
…すきだな。
これがそういう言葉で形容できるのか分かんないけど、それでも勝手にそんな言葉が頭に浮かぶ。
ぎゅってしたら、ぎゅってされた。
ね、本当は起きてるんじゃないの?
ふふっと息が漏れてしまった。
起きてて欲しいような、寝てて欲しいような。
どっちにしろ離すつもりはないんだけどさ。
あぁ、この匂い。この感じ…。
ちょっとずつ、瞼が重くなってきたなぁ。
何だかさっきまでの葛藤が嘘みたい。
毎日こんな風にして眠れたら、きっと。
きっと…。
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