「おれ、お前のこと%※◎なんだよね」
「…そっかぁ。あんがと」
ヒナガの声はよく通る。
低すぎず高すぎず、特に大きな声を出しているわけでもないのに、遠くまですうっと届くような。喧騒の中に居ても、こいつの声だけは聞き取れるような、そんな真っ直ぐな声をしている。
夏のソーダ水越しに見る青空、みたいな。
とても透き通った声だ。
なのに俺にはこいつの言うある言葉だけが聞き取れない。
言葉、だと思う。
初めて言われた時は風のせいか何かで聞き取れなかったんだと思ったけど、何度聞いてもやっぱり分からなくて。
その上「もう一度言って」とお願いしてもヒナガは一日にたった一度しかそれを言ってくれないから、次の日にはどんな音だったかも忘れてしまう。
「ゆっくり言ってみて」、とお願いしても結局同じ。
英語かな?と思ったけれどそうじゃないみたいだし、それならフランス語とか、ドイツ語とか、中国語とか…俺には分からない外国語なのかなぁとも思った。
けれどきっと、それも違う。
だって聞く度に音が変わるのだ。
それも不思議なことに、確かに何かの音はするのに、どんな音か再現ができない。
つまりは何を言っているのか、俺にはさっぱり分からないのだ。
かといって他の会話はつつがなく、何もおかしなところはない。
普通に雑談するし、授業の話もするし、笑い合ったりたまーにケンカしたりもする。
ただ彼が毎日の別れ際に言うたった一言、あの言葉だけが、俺には聞き取れないのだ。
その事をヒナガに言ってみてもただ微笑まれるだけで、意味なんて教えてくれない。
「何て言ったの」って何度も訊いたけれど、返ってくる答えはあまりにも美しい微笑みだけで。
その度に、不思議な感覚が胸にわだかまっていった。
「ねぇ」
「んー?」
「セイカは虹を見たことある?」
「あるよ。どうして?」
「あのね、」
ヒナガはよく不思議な話をする。
水滴の中にある虹のこと、空の上の草原の蒼さとか、地面の下に流れる滝の音色。
おとぎ話が好きなんだろうか。
ヒナガによると、水の中の虹って空の虹よりもすごくキレイなんだって。
まぁるく光って七色どころかたくさんの色をころころ転がして、たまに消えたと思ったらパッとまた現れて。
やがて、涙みたいに流れてゆく。
そりゃそうか。だって水滴だもんなぁ。
俺がそんな風に返すと、ヒナガはあははっと笑った。透明な虹彩を携えた眼が細められる。
本当にそんな虹があるのならば、それはきっとこいつの瞳の中にもあるのだろう。
近くで見るこいつの瞳はまさに、今聞いた水滴の虹みたいにきらきらしてるんだから。
「セイカ」
「ん?」
「ううん、呼んでみただけ」
「そっか」
そっかぁ。
ヒナガの声はやっぱり、心地好いなぁ。
「清夏はさ、何で日永と仲良いの?」
「何でって…なんで?」
クラスメートの唐突な問いは、今に始まったことじゃない。それに対して俺は概ね毎回はてなを飛ばすだけなんだけど、どうやらこいつらには明快な「答え」が必要らしい。
どうしてって言われても、俺にも分かんないんだよ。
仲良くなるのに理由って必要?
「いやぁだってさ?お前らって共通点ねーじゃん」
「帰り道一緒だよ?」
「じゃあお前は、帰る方向が同じ奴みぃんなと仲良くなれんの」
「…何が言いたいわけ」
「だからさぁ、その、」
「セーイカ!帰ろう?」
「あ、ヒナガだ。じゃあ俺行くね」
図ったかのようなタイミングでヒナガが俺を呼びに来た。やっぱりよく通る、キレイな声だ。
ヒナガがキレイなのは声だけじゃない。
顔立ちだってスタイルだって、何なら一挙手一投足の仕草全てに至るまで、まるでおとぎ話から飛び出てきた王子様みたいなのだ。と、言っていたのは俺ではなくてクラスの皆。というか学校中の皆。かも知れない。
そんな目立つ彼と、集団の一部としてこれ以上も以下もないほど容姿も何もかも中間を貫く俺。
あいつらが執拗におんなじコトを訊いてくる理由は全く分からない訳ではない。
何でそんなにも違う俺たちがいつも一緒にいるのかって訊きたいんだろうけど…違うからじゃないの?なんて思ってしまう。
同じじゃなきゃ、一緒に居るのはオカシイことなの?俺には分かんない。
フツーはどうなんだろう。
そもそもヒナガとは、初対面が思い出せないんだ。多分何かのきっかけで話し掛けられたりして、一緒に帰るようになって…。
うーん、そうだなぁ。クラスメートの不思議そうな顔を思い出してしまう。
違う違わないは別として、ヒナガは俺のどこがいいんだろう。
俺はヒナガと居て心地好いし楽しいけれど、ヒナガは俺と同じように感じてくれているのだろうか。
…共通点、かぁ。
俺たちの共通点と言えば帰り道が同じってこと。
クラスは隣で、部活は俺もヒナガも入ってない。強いて言うなら同じ帰宅部。
趣味はなんだろう。そう言えば知らない。
おとぎ話が好きなんだろうなってことは知ってる。だけどそれも不確かだ。
彼はただ話すのが好きなのだろう。
一方的に話し掛けてくるって訳じゃあないけれど、ヒナガは話す時とても生き生きしてるように見える。俺の話もちゃんと聞いてくれるし、話が途切れたからって気まずくなることもないけれど。
無言の時間もたくさん話す時間も、ただ同じように心地好く過ぎるだけ。
ヒナガの隣は俺にとってあまりにもしっくりくるんだ。
「セイカの髪は、さらさらだね」
「ヒナガに言われてもなぁ」
瞳と同じく透明な、けれど少し灰色を携えた髪が春の風に簡単に揺れる。
遠くに見えるオレンジにその髪が溶けゆく光景が、俺は一等好きだ。
瞳もキレイだなぁとよく思うけれど、彼の纏う空気も何もかもが透明みたいで。
透き通っていて、美しい。多分。
透明じゃあ見えないから分かんないや。
ただ俺が、勝手にそう感じるだけ。
「あ、じゃあここで。また明日ね、ヒナガ」
「セイカ」
「うん?」
来るかな。今日はどうかな。
ちゃんと聞き取れるだろうか。
「セイカ。おれ、お前のこと、すごく%◎≒だよ」
「………うん、うん」
やっぱりダメだったかぁ。
あれ、でも…。
今日も今日とて、ヒナガの声は心地好い。
「あるところにね、鏡があったんだ」
「鏡?」
「そう。他のセカイを映す鏡に、ひとりの少年が映った。王子様は一目でその少年に心を奪われて、心を取り返すためにそのセカイへ来たんだよ」
「そうなんだ?行動力あるねぇ」
今日は本格的におとぎ話みたいだ。
王子様が出てきちゃった。鏡ってあの魔法の鏡なのかな。世界で一番何とかってやつ。
でも他のセカイって言った?
じゃあまた別の鏡なのかも知れない。
というか、「行った」じゃなくて「来た」なんだ。変なの。ヒナガは国語の成績も一番だったと思うんだけど。
とにかく俺は続きが気になってヒナガを見上げた。
隣で歩く彼の歩幅は足の長さの違いで俺より幾分広いハズなのに、スピードはゆっくりだ。合わせてくれてるのかも知れない。
「それで、その王子様はどうなったの?」
「そのセカイで、ちゃんと彼にも会えたよ。だけど…無理だった。取り返すなんて、到底無理な話だったんだ。その泥棒さんはなぁんにも知らないまま、いつもいつも王子様の変てこな話に真剣に耳を傾けてくれるんだよ」
「泥棒さんて」
「泥棒さんだよ。お馬鹿で優しい、鈍感で可愛い泥棒さん」
「王子様は、よほどその泥棒さんが好きなんだねぇ」
俺が溢すと、隣で苦笑いが漏れたのが分かった。何でヒナガが笑うんだろう。
王子様が図星を突かれたみたいに。
変なの。
俺も、変なことを言うなぁ。
「王子様は臆病者で、自分の国のコトバでしか彼に想いを伝えられない。彼には解らないって、分かってるのに」
「ヒナガ?」
気づけばこれまでで一番近くに、彼の顔があった。鼻先が触れ合いそう。さらさらの糸が頬に当たる。
どこかから、ちょっとだけシトラスのいい匂いがするな、なんて思ってしまった俺は変態なんだろうか。
「ねぇセイカ、おれはね、」
ヒナガの瞳が揺れる。
あぁ、言葉って便利だけど、無力になることもあるんだなぁ。
「お前のことが、%@〒-"だよ」
「…うん、たぶん、俺も」
「え」
「ふふっ」
やっぱり聞き取れなかったそのコトバは、俺の耳には届かなくても胸の奥にストンと落ちた。
春の風みたいにふわふわして、心地好い。
「セイカ…」
「ヒナガ、聞いて?俺もね、」
ふわふわして気持ち良いから、この感覚をヒナガにも感じて欲しいなぁと思ったんだ。
だけど俺も臆病者だから、多分お前とおんなじ様な表情になっちゃうと思うんだ。
だから、ねぇヒナガ。
今度は俺のセカイの言葉で聞いて。
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