「あのさ…藤倉」
「んー?どしたの澤くん」
「これはその、何というか…」
近くないかな。
そんな言葉が喉まで出かかったところで、視界に映る手にきゅっと力が込められたのが分かった。
今、どういう状況かというと。
あの時の約束通り俺は藤倉の家を訪れた。
芸能人の家というだけあって案内された場所は想像を裏切らず、高層マンションの最上階だった。
当たり前のようにオートロックだし、マンションの入り口にはスーツを着た屈強そうな人が居るし、部屋に着くまでにいくつかの扉があった気がする。
そんなこんなで辿り着いた部屋は本当に超高級ホテルの一室みたいで、ガラス張りの向こうには街が見下ろせる。きっと夜になったらそれは綺麗な夜景が望めるのだろう。
リビングには、人が二人は軽く寝転ぶ事が出来るんじゃないかってくらい大きなL字型のソファーがあって、その真ん前にはこれまた大きな薄型のテレビがあった。
これで映画とか観たらきっとすごい迫力だろうなぁ。
飲み物を持ってくるからと俺をどでかいソファーに座らせると、藤倉がキッチンに向かう。目の前には大迫力のテレビがあって、俺にとっては非日常な感覚に少しワクワクしてしまった。しかし部屋には本当に物が少なくて、本当の本当にホテルの一室かと思えてしまう。
何というか生活感が、ないような…。
ただ単に収納が充実してるってだけかも知れないけれど。
そうこうしているうちにも藤倉が戻ってきて、俺の目の前のガラスのローテーブルにマグカップを二つ置いた。
そして当然のように彼は俺の隣に座るのだろうと思っていた俺は、一瞬何が起きたのか理解できなかった。
俺の周りが体重を受け取って沈み込む。
急に太ったのかななんて考えたがそうじゃないと確信したのは、視界に見えた長い脚と組まれた両手、そして背中に微かに感じる温もりのせいだ。
簡単に言うと、抱き込まれた。らしい。
いや何でだよ。
座るにしてももっとスペースあるじゃん。
テレビの真ん前が良かったんなら俺が座る前に陣取っておけば良かったじゃん。
五百歩譲ってここが良かったんだとして、俺を後ろから抱き締める意味が分からない。
そんな疑問をぶつけようと俺が放ったのが冒頭の言葉だ。とは言っても少しも伝えられていない気がする。動揺くらいは、伝わってると思うんだけど。
「どしたの澤くん」
「や、だからさ、これはちょっと」
「もしかして…いや?」
「え」
「ゴメンね。おれ、今まで芸能活動とか色々忙しくて友達っていう友達が居なかったからさ…。距離感とか分からなくって」
「そっかぁ」
そうなのか。大変だったんだなぁ、こいつも。
でもさすがに友達とこの距離感はちょっと近すぎる気がする…。言った方が良いか?
しかし言ったら言ったでまた申し訳なく思わせちゃう気がするし…どうしたものか。
「ねぇ、澤くんはいや?」
「うぇ、」
耳元であの美声が響く。
さすがの俺でも急に囁かれると背筋がぞわっとしたぞ。嫌悪感とかじゃなくて、びっくりした。
きつくない拘束の中恐る恐る振り向くと、テレビでいつも見る美貌がすぐ近くにあった。と言うとちょっと語弊がある。
テレビでいつも見る作られたカオはどこへやら、形の良い眉を下げしゅんと子犬みたいに寂しそうなカオをした藤倉がそこに居た。
俺の友達の、藤倉だ。少し安心する。
「ねぇ、おれにこうされるの、いや?」
「嫌、じゃないけどさ」
「いやじゃない?本当に?」
「まぁ、うん」
「ほんとのほんと?」
「うん。嫌じゃないよ。ほんと」
「そっか、良かったぁ!」
そう言うと満面の笑みで微笑んだ藤倉。
俺を包み込む腕にはまた少し力が込められた。
何だか逃げられない気がする…。
いや、何からだ?
おかしな言葉が脳裏を過ったが、これはこれで心地好いのでまぁ良しとしておこう。
ドラマの鑑賞中後ろでたまーに深呼吸するような気配がしたのは、まぁさすがにホントに気のせいだろ。気のせいだよな?
「次は何を観ようか、ねぇ澤くん」
「次?えぇっと」
分かんないな。
今日のドラマも面白かったけど、はっきり言って集中し切れなかった…。
「またやろうね、鑑賞会」
「お、おう」
距離感とか眼差しの圧とか、気になることはいくつかあったけど…。
そんなにきらきらとした笑顔で言われては、断ることなんて出来やしなかった。
prev / next