「紺、これあげる」
「え、ありがと」
ソファーで寛ぐ僕が振り向くと、相変わらず無表情な幼馴染みに緋色の小箱を手渡された。
緋色。深い赤色。
幼馴染みと同じ名前の色…。
キレイな金色のリボンでラッピングされたそれを手のひらに乗せ、じいっと眺める。
すると隣にもう一人分の重さが加わって、きしりとソファーが沈んだ。
というか。
「今日、何の日だっけ」
「さぁ?」
僕や緋色の誕生日でもないし、何かの記念日かと思ったがそれも思い付かないし…。
考えあぐねていると、隣で幼馴染みは足を組み直す。どうやら答えは教えてくれないらしい。
しかし彼が身動ぎしたお陰で、鼻腔を掠めた香りがヒントとなった。
柔らかな甘い香り。
いつもの彼のとはまた違う、心地好い香り。
「もしかして…バレンタイン?」
「やっと気づいた?毎年鈍いなぁお前は」
「う…悪かったな鈍くて。それにしても」
箱を開ける。
するとそこには小さな宝石のような欠片が幾つも散らばっていて、食べ物なのか、本当に宝石なのか一瞬分からなくなる。
高級店で売っているやつなのかな、と最初は思ったが僕は知っている。
どこぞのブランド品だと言われてもなるほどと納得してしまいそうなこれら全ては、緋色の手作りだということを。
そう言えば毎年この日になると、緋色は僕に何かしら渡してくれるんだよな。
幼稚園の頃は折り紙でできた鶴とかカブトムシとか、年相応で可愛らしいものだったけれど、小学生も後半になってくるとこういったチョコレートやクッキーのようなお菓子になっていた。
キレイな箱にラッピングされたそれらを初めはどこかで買ってきたものだろうと思っていたけれど、それが緋色の手作りだと気づいたのは高校生になってからのこと。
だってこれを渡す時、彼は毎回甘い匂いを纏ってくるし、箱のどこにもブランド品の証であるロゴなんてない。
プロが施したようなこのリボンの飾り付けも、手先の器用なこいつならさらりと出来てしまうことだろう。
箱を手に乗せたままちらりと隣の幼馴染みを見遣ると、彼は僅かに口角を上げて言った。
「毎年何かしら受け取ってるクセに何の日か気づかないの、ホントお前らしい」
ぐうの音も出ない。
本当にこういうことに疎くて、何だか申し訳ない…気がするけれど。
「悪かったってば。でもさぁ、」
これって、何チョコなの。
なんて喉まで出かかった言葉は、口から出る前に一旦飲み込んだ。
友チョコ?にしては何だか違う気がする。
それとも家族に渡すような、親愛の証…みたいな?
それとも、もしかして、いや、それは…。
「…意味が必要?」
「えっ、いや、そんなことは」
「分っかりやす。いいだろ別に、おれが渡したいだけなんだから」
それを言われてしまうと何にも言えなくなる。渡したいって…ただそれだけで、甘いものが苦手な僕でも食べられるようなお菓子を作ってくれるなんて。
自意識過剰かもしれないけれど、努力家なのにそれを表に見せない緋色がこんなものを作れるようになるまでに一体どれだけ練習したのだろう。
自分の方が甘いものが好きな癖にさ。
それなのに自分の為には作らないんだから、困った奴だ。
「…ありがとう。大事に食べる」
「ん」
「お返しは、その…」
「冷蔵庫の右上」
「え」
「アレでいい。や、アレがいいかな」
「え、待って?いつ見たの」
「何の日か覚えてないなんて、あざといこと言うよなぁ」
「ちがっ、あれは、」
「あれは?」
「…チョコじゃないよ?」
「知ってるよ」
「別に今日に合わせた訳じゃなくて、本当にその、」
「でもおれのでしょ。昨日スーパーで何買ってたか知ってるよ」
「見てたのっ!?」
昨日は一緒にスーパーに行ったりしてないのに?
「たまたま居たんだよ。材料からして、何かお菓子作るのかなってのは分かった」
飄々と言い放つ端正な顔が憎らしい。
確かに緋色の言う通りだけど、本当にバレンタイン用のお菓子じゃないんだ。
何かスーパーがいつもよりピンクだなぁとは呑気に考えていたけれど、本当にバレンタインだなんて意識はしてなくて。
ただこんな顔して甘いものが大好きな幼馴染みが、なのに何故だか学校ではお菓子嫌いで通している幼馴染みの顔が浮かんで何か作りたくなった。
それがたまたま、今日と重なってしまっただけで。
こんなプロ顔負けのお菓子に僕の作ったものが見合うとは思えないけれど…バレるの早くないかな。
「別に、本当に深い意味は無いからな」
「分かってるよ。貰っていいんでしょ?」
「まぁ、うん。あんなのでいいんなら」
「ありがとう。大事にする」
「いやいや近い…え、ちか」
何故だか至近距離にまで顔を近づけてそんなことを言うもんだから、別の意味に捉えてしまいそうになる。
「大事に食べる」んじゃなくて、「大事にする」ってどういうこと?ちゃんと食べてくれるんだよな?いや、鼻がくっつきそうなんだけど…。
居た堪れなくて思わずぎゅっと目を瞑ると、数秒の後ちょんと鼻先に柔らかな感触を受け取った。
「大事にするよ。ずうっとね」
「え、食べないの?」
「たべる…うん、まぁ。たべるかもね」
「食べないかもなの?そこはちゃんと食べてよ」
やっと普段の距離まで離れた緋色にそう乞うと、何故だか彼は目をきょとんと見開いた。とは言ってもほんのちょっと。
一瞬だけ、妖しい光が灯って消える。
「食べるよ。紺がそう言うなら」
「いやいや、食べ物なんだから…」
「ふっ、変なカオ」
くしゃっと髪を掻き回す手は穏やかで、表情よりも雄弁に彼の機嫌の良さを表す。
本当に、何年も一緒に居るのになぁ。
乱れた髪の隙間から覗き上げた彼は、どんな宝石にも負けないくらいの美しさで微笑んでいた。
prev / next