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▼ 「隣の部屋は空いてなかったんだ」

そう言えば初めから、やけにグイグイ来るなぁとは思ってたんだ。

「初めまして!今日から下の階に越してきました。これ良かったらどうぞ」

「あ、ありがとうございます…?」

今時引っ越しの挨拶なんて。
しかも都会で、単身者向けのマンションで。

変わった人だなぁとは思ったけれど、その風貌はテレビですら中々見ない程美しくて。
見惚れているとにこやかに微笑まれ、その笑顔にすらどきりとしたのを今でも覚えている。

「甘いものは、苦手でしたか?」

「いえ、大好きです。ありがとうございます」

「だいすき…。良かったです」

「………?」

すごく嬉しそうに笑うカオが、初対面の人間に見せるような表情ではないような気がした。

それからやけに家を出る時間が被ったり。

「おはようございます」

「あ、おはようございます」

「駅行くんですか?一緒に行きましょ」

「はぁ…」

大家さんに訊けばいいのに、ゴミ出しの日についてわざわざ俺の部屋まで訊きにきたり。

「燃えるゴミは月曜日で、ペットボトルとかは…」

「なるほど、ありがとう!悪いんだけどついでに捨てる場所も教えてくれると助かるなぁ」

「いいですけど…」

不思議と帰る時間も一緒になることが多かったり。

「こんばんは!今日は疲れてるねぇ」

「いやぁ、まぁちょっとだけ…」

「晩ごはん、作りましょうか?」

「え?」

その日初めて部屋にお邪魔したけれど、本当に同じマンションとは思えない簡素な空間に驚いたのも覚えてる。

「どうぞ。簡単なものだけど」

「………すごい」

本当にさっと作ったのか疑わしい程美味しい、出汁のきいた和食が身体中に染み渡って泣きそうになってしまったことも。

それから段々仲良くなって、音楽とか本の趣味が奇跡的にすごく似ていることが分かって、物の貸し借りが多くなったりして。

「これ一緒に観よう?絶対好きだと思うよ」

「あっ!これ観たかったやつだ!」

それから何故だかやけに俺のスケジュールに詳しい気もしていたけれど。

「明日は夜遅いでしょう?おれの部屋に来て。晩ごはん作って待ってるよ」

「いや、でも」

「帰ってから自分で作るのって面倒でしょ?コンビニばっかもなんだし」

「冷凍食品とかあるから」

「だぁめ。おれは明日午後休みだから、遠慮しないで」

「あ、りがと」

そう言えばその頃にはもうすっかり、彼の作る手料理が大好きになっていたんだっけ。

それからお互いの部屋を行き来することも多くなって。
知らない間にお互いの私物が部屋に増えていったりして。

同じマンションなのに、泊まりあいっこすることも普通になった。

「何だか歯ブラシが二本あるって、照れるねぇ」

「うっ、確かに…」

パーソナルスペースが狭いだけなのか、やけに距離が近くてその度にどきどきした。

部屋の中なら抱きつくのなんて当たり前で、お風呂上がりの石鹸の匂いが心地好くて。

同じシャンプーを使っても、こんなに違うものなのかな…なんて。

抱きついてきたり頭を撫でてきたり、同じ布団で一緒に寝ようと誘ってきたり…。

きっとそんなつもりは微塵もない彼の行動ひとつひとつに、俺の鼓動が速くなることも、その理由も知られたくなかった。

そんな感情を抱いているのは俺だけだと、そう言い聞かせていた。
なのに。

「おれ、きみのことが好きなんだけど」

「え、え?それは、どういう…?」

「もちろん恋人になりたいってこと。なってくれますか?」

恥ずかしかったけど、真剣なこの人の瞳はただただ真っ直ぐで。

あまりにも嬉しくて、断るなんて選択肢はなかったんだ。

そうして迎えた、初めての夜。
年齢イコール恋人居ない歴だった俺の、本当の本当に初めての夜。

そんな時でもやっぱりこの人は優しくて。

「ん…はいっ、た?」

「うん、大丈夫?痛くない?」

「ちょっ、と…まって…」

本当に優しく優しく、壊れ物を扱うように接してくれたから、夢の中にいるような心地だった。

漸く慣れてきた頃に、ゆっくりベッドが軋み始める。

本当に自分のものかと疑いたくなるような甲高い声と水音、荒くなる息遣いと、ベッドの軋む音と。

それから俺の恋人の、心地好い声だけが部屋に響いた。

驚愕の事実を、その音に乗せて。

「あ、はぁっ、」

「ふふ、やっと、やっとだ…」

「…んっ、な、んて…?」

「ホントは、隣がよかったんだけどね、」

「…はっ、なに、んっ、」

「きみと同じマンション、部屋が空いててよかったなぁ」

頭が回らない。
思考することも出来ない快楽の海に投げ込まれる、その直前。

何か聞こえた気がしたんだけど。

………今、何て?

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