mitei 秘密のひととき | ナノ


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普段は地下の一室でお悩み相談室をしている俺だが、稀に喫茶店の方の仕事に駆り出されることもある。

人手が余りに足りず、それなのにお客さんの数が多いとき。それでいて地下へ訪れるお客さんがいないときという、珍しくも両方の条件が重なったときだけであるが。

それにしても、今日は本当に人が多いなぁ。
いつも行列ができているこの店だが、この日は不思議とその感覚が強かった。
行列がいつもより長いのに、地下に行く人は誰もいないらしい。皆普通のお客さんとして、普通にこの喫茶店の中でくつろぐことを目的としているようだ。

何でだろ…。

そう思ってぐるりと店内を見渡すと、あぁなるほど。いや、確信ではないけども…。

やけに人が多いその理由は、外からも目立つ窓際の席に座る、とある人を見て何となく察することができた。

「どうかしたの?」

「いえ、何かあそこのお客さんとやたら目が合うような…」

ちらりと見遣った先には、淡いプラチナブロンドの髪を揺らめかせて微笑う儚げな美人さん。
長い足を狭いテーブルの下で窮屈そうに組組みながら、窓際から差し込む光を背景に優雅に微笑んでいる。

目立つ人だなぁ。店中のお客さんというお客さんが頬を染めながらその人の一挙手一投足に注目してる。
一瞬ハリウッドスターかモデルさんかと思ったけれど、そんな有名人ならもっと騒ぎになってるかも。

それにしても…。

ひらひらと手を振っているのは、俺に対してだろうか。注文したいってことなのかな。

しかしあの人の手元には既に空になったコーヒーカップが置いてあって、パンケーキが乗っていたのであろうお皿もある。
追加注文か?それとも、空いたお皿を下げて欲しいってことかもしれない。

店中の視線を一身に集めながらも嬉しそうに微笑むその人の視線はただ俺に向けられていた。自意識過剰じゃないと…思う。多分。

「うーん…やっぱり呼ばれてるのかも。店長、俺ちょっと行ってきます」

「お待ちなさい」

「え?」

「私が行きます。あなたはこれ、洗っておいてね」

「え、でも、」

あの人は明らかに俺を見てる…よな。
それでも俺の動きを目だけで遮って、店長は緩やかに微笑んでみせた。

「わざわざ自分から目立ちに行くことないわ。でしょう?」

あぁ、なるほど。
店長の言わんとすることは何となく分かった。

店中のみならず今や窓越しの通行人の視線すら集めている人のところに行けばどうなるか。
俺も自然とその視線の中に飛び込むことになる。わざわざそんな注目の的になりにいくことはないと、店長はそう言いたかったのだろう。
まぁ俺があの人の隣に立ったとしても、注目されるのはあの人で俺はぼやっとした背景にしかならないと思うけど…。

そうして俺は、背中に僅かな視線を感じながらも店長に命じられた通りの作業に没頭した。

その暫く後のこと。
俺がレジで別のお客さんを見送ると、あの窓際に座っていた美人さんがやって来た。

こうして間近で立ち姿を見ると、本当に足が長い…というか、全体的にスタイルが良い。
顔には出していないと思うが、この都会でもそうそう見かけることのないだろう美しいこの人を、俺は横目で観察していた。

「ごちそうさまでした、お勘定お願いします」

「はい、ただいま」

うーん、声まで格好良いとは…。聴き馴染みが良いというか、何と言うか…ん?ていうか、んんん?

「…やました、くん?」

「はい?」

「いや、きみの名前」

「あ、あぁ!はい…」

目線を俺の胸元に落としながら、窓際の美人さんはポツリと呟いた。
いや睫毛めっちゃ長いな。

それにしても申し訳ない…。
つい咄嗟に肯定してしまったが、『山下』と書かれたこのネームプレートは先輩から借りているものなのだ。
つまり『山下』というのは俺の本名では、ない。

ならどうして自分の名前のネームプレートを付けないのか。

それもこれも俺の本当の仕事に関わっていることなのだが…。
しょうがないとはいえ嘘を吐いてしまう度にやはり少し罪悪感が胸にわだかまるのだった。

「何かゴメンね。突然」

「いえ」

初めて顔をちゃんと見た。瞳が、青い。というか、限りなく緑に近いような…。んんん?
おっかしいなぁ、一瞬青っぽく見えたんだけど、照明のせいかな?

淡いエメラルドグリーンの色に落ち着いた瞳。長い睫毛に守られて、今はネームプレートではなく俺の顔を真っ直ぐに見てくる宝石みたいな瞳。
その瞳を煌めかせ、その美人さんは軽く首を傾げて聞いてきた。

「それで、下のお名前は?」

「へ?」

今、何て?
下の名前なんて聞かれることは普通はないんだけど…俺は何か物凄い粗相をしてしまったのだろうか。
この人に目を付けられるようなこと?覚えが無いんだけどなぁ…。というか、さっきも店長が直々に接客していたし、まともに会話するのもこれが初めてのはずだ。

なのにどうして俺の名前なんて知りたがるんだろう。
俺の名前なんて知っても何も面白いことはないのに。

俺の名前なんて…。

「………ふうん」

「あの、お客様…?」

「あぁ、困らせてゴメンなさい。それじゃあまた来ますね。ヤマシタくん」

「はあ」

ふわりと花が綻んだような微笑みを残して、不思議なその人は店から出て行った。

「………何かいい匂いしたな」

シトラスじゃない、よなぁ。何だろう。何だか落ち着く匂いだ。
どこかで嗅いだことある気がするんだけど…。気のせいかな。

とにかく綺麗な人は香りも綺麗なんだなぁなんて、この時の俺は呑気に考えていた。

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