「あ、やべぇ。ここ分かんないなぁ…」
数学やだなぁ。苦手。超苦手。
トントンと人差し指で机を叩いて、はぁと息を吐き出した。
上半身の運動がてら身体をぐいっと横に捻ると、嫌でも見えるあのシルエット。
俺が訳の分からない数式と格闘している様子を横でずうっと見ていた彼、ユーくんは俺と目が合うとにこりと微笑んだ。
それを見て、ほわっと胸の奥の方が温かくなる…のは気のせいだろう。
沸き起こった自分の感情にも見ない振りをして机に向き直ると、後ろで風が僅かに揺れる気配がする。
それとほぼ同時に白くキメ細やかな手が机の上に現れた。長くほっそりとした指が、教科書の数列をなぞる。
一瞬びくりと驚いてしまったが、隣を見ると端正な横顔が真剣に教科書を眺めている。そうしてその指先は、やがてある一点で止まった。
「え、待って…」
見つめていると、綺麗な指先は俺の汚い字が並ぶノートを行き来する。
「ううん?何が?言いたいんだ?」
その行動の意図が分からなくて彼の方を振り返ると、彼は真っ白な解答欄を指してからまた同じ動作を繰り返す。
まさかこの問題の解き方、教えようとしてくれてる、とか?
「えぇと、まさか、ここをこうして…この公式で、おぉ!」
お?おお?
解けた!さっきまで全然分からなかった問題が、解けた!
「えっ、えっ?ユーくん数学分かるの?すげぇ!」
思わずパアッと顔を輝かせて彼を見ると、ユーくんは気恥ずかしそうに頭を掻いた。
それでもあの瞳は、嬉しそうに細められている。
「じゃ、じゃあ、この問題は?」
恐る恐る訊いてみると、先程と同じような動作で彼は答えの見つけ方を教えてくれた。これ結構難しい問題なのに…マジか。
何てこった。
どうやらこの謎の存在ユーくんは、勉強も出来てしまうらしい。
先日カラオケにてヲタ芸(と言っていいのか)を披露された時にも驚いたが、彼は本当に何でも出来るみたいだ。
教え方も上手いし、本当に完璧超人だなぁ。
…生きてる時も、何でも出来てたのかな。
なんて。
ここに居る彼はどうやら幽霊で、俺にしか視えないのは謎だけれど多分まぁ、そういう存在で。
ということはきっと、生きていた頃があるっていうことで…。
考えると胸がずんと重くなった。
生きてるユーくん、か。
出逢った時はとにかく怖くて気味が悪くて仕方なかったけれど、彼には彼の事情があるんだろう。
俺に付きまとってくるのは理解できないが、だからこそ俺にしかできない何かがあるのかも知れない。
俺が、ユーくんの為にできること。
今はまだ何も思い浮かばないけれど、少しでも何か役に立てればいいのになと。
俺が密かに溜め息を吐いた。その時。
後ろからそうっと抱き締められる感覚がした。肩に清流のような透き通った白銀の髪が見える。温度は、ない。重さも特には感じないけれど…これはもしや。
勉強机に座った俺を、ユーくんがバックハグしている…?何でかは分かんないけれど、突然どうしたというんだろう。
あぁ、もしかして。
俺が溜め息を吐いたりなんかするから、塞ぎ込んでると思われたのかな。慰めてくれてるのかも。
そりゃあユーくんのことを考えてちょっと暗い気持ちになっていたのは確かだが、そこまで落ち込んではいないよ。
気持ちはありがたいんだけど、これじゃあ勉強が進まないよ。
そう伝えようとしても振り返ることはできなくて、口を開こうにも言葉が出てきてくれなかった。
遠慮がちに回された腕は力を込めればすぐ振り払えそうなのに、だからこそ払うに払えない。
そうっと白い腕に手を重ねると、僅かに背後の身体がぴくりと反応した気がした。
慰められてるのに、変なの。
これじゃあ何だか、逆に俺が慰めてるみたいだ。
「ユーくん」
「……?」
「ありがと」
呟くと、肩に乗っかる清流がさらりと揺れるのを感じた。
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