ユークレースの瞳を持った幽霊。
俺は彼のことを、暫定的に「ユーくん」と呼ぶことに決めた。
大人っぽいしどこか年上な感じがするので「ユーさん」でも良かったのだが、一応ご本人に確認したところ「ユーくん」の方が良いらしかった。
話せはしないらしいものの、仕草や表情でとても雄弁に感情を伝えてくれる彼。
ユーくん、と。
俺がそう呼ぶ度、輝くような笑顔で見つめ返してくる不思議なひと。どうやら俺以外には視えも触れもしないらしい不思議な存在。
理由は分からないが、ユーくんは俺から片時も離れようとはしなかった。
夜、色々あり過ぎて疲れ果てた俺が布団に潜り込むと、ユーくんも遠慮がちに布団に潜り込んできた。
………いや、何でだよ。
そこは流石に飛び起きて、俺は彼を咎めた。ベッドに向き合うように座りくどくどと説教をする。どういう状況なんだこれは。
というか相手は仮にも幽霊。人間ではないのだ。
なのに何でもうこんなにも馴染んでしまっているのか。昼間の俺の恐怖心はどこへ行ってしまったのか。
公園で優しく介抱されたからって我ながらチョロすぎなのではないだろうか…。
ここは塩でも持ってきて念仏とか唱えるべき場面だろうか。それともまた昼のように騒ぎ立てるのが正しい反応か…。
もう駄目だ、疲れてるんだ俺は。
はあっと大きな溜め息を吐いて正面に視線を戻すと、ユークレースの幽霊ことユーくんはしゅんと項垂れた顔をしていた。
憂いのある顔も何とも絵になる…じゃなくて。絆されてる場合か。
犬耳があればきっとしゅんと垂れているんだろうなとおかしなことを考えてしまう俺はきっと相当に疲れている。しょうがない。それくらいの出来事が一気に起こったんだから。
だから今日はもう早く寝たい、のだが。
「あの、ユーくん」
そう呼ぶだけで、周りに花が咲いたような笑顔が俺を見る。うっ、眩しい。夜なのに眩しい。
強請るように俺を見る涼やかな青。暗闇でもその輝きを失わない瞳は、魔法か何かおかしな力を持っているに違いなかった。
見ているだけで何でも彼の願いを聞いてしまいそうになる。駄目だしっかりしろ。流されるな。
「ユーくんはさ、寝るの?」
聞くと、またうーんと首を傾げる仕草。分からないのかよ。
「じゃあさ、ずうっと起きてるワケ?」
ぱちぱちと瞬きをして、顎に手を当ててまたうーんの表情。一体どういうことなんだ。
「布団、も一個用意した方がいいか?」
聞くとユーくんはふるふると首を横に振った。若干食い気味な反応である。その上手を翳して、はっきりと断られてしまった。
これはノーなのか。
「そっか。じゃあ俺、もう寝るからな」
考えるのが面倒になった俺が再びベッドに身を沈めると、ユーくんは当たり前のように再び隣に寝転んできた。
いやだから、何でだよ。
「寝ないんじゃないの」
「………」
「何がしたいんだ…」
「………」
見ると、唇の形が動く。何だ、何か言いたいことがあるのか。
じいっと薄い唇を見つめていると、それはゆっくりと、しかし分かりやすいように音のない言葉を紡いだ。
お、や、す、み。
おやすみ。
そう言って今日一番の優しい笑みを浮かべると、彼は温度の無い手で俺の頬に触れる。目の下から口端のすぐ上まで。頬を緩やかに撫でる感触には覚えがある。
昼間のベンチで、介抱された時のそれだ。
心地好い…けど、相手は幽霊なんだ。
いくら疲れているからといって、この状況でぐっすり眠れるわけがないだろ。
そうだよ、この、状況で…。
窓から柔らかい陽射しが降り注ぐ。
チュンチュンとやたら元気な鳥達の囀りで目覚めると、何故だか俺は男の腕の中にいて。目の前には恐らく世界で一番綺麗な寝顔があった。
自分が寝ていたことにも驚いたが、それ以上に驚いたのは…。
…幽霊でも、寝るのか。
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