ユーくんこと結くんは言わずもがな昔から目立つ容姿だったようで、子供の頃から周囲の奇異なものを見る目や羨望の眼差しに辟易していたらしい。
とはいえ外出する度にそんな感じだったから当時はそれが普通なんだろうと彼は思っていたそうだが、一度怪しい人に連れていかれそうになってから両親は更に外出を規制するようになり、それを期に改めて自身の特異さを実感せざるを得なかったんだそうだ。
そこで悪いのは結くん本人ではないと思うんだけど、淡々と語る彼の話を止めたくなくて俺はきゅっと唇を引き結んだ。
何でもないことのように語る彼だけど、その時々にどんな感情を抱いていたのかなんて彼本人にしか分からない。
分かったところで、今の俺にはどうしてやるともできないから…。ただ聞き心地の好い声に耳を傾けた。
「結くん…」
「俺も、普通に過ごしてみたい。車の送迎じゃなくて徒歩で学校へ通って、放課後は街をブラブラしてみたり、ちょっと寄り道してみたり。誰にも邪魔されずに、そんな普通を、俺も感じてみたかった」
「普通、かぁ…」
多少の波風はあるとはいえ、平々凡々の日常を過ごしてきた俺には想像もつかない日々を彼は積み重ねてきたんだろう。
その時に、ちゃんと寄り添ってくれるひとは居たんだろうか。話を聞く限りではご両親は厳しい教育をしていたようだが、それはもしかしたら結くんを想ってのことなのかも知れない。
けれど幼かった彼がその不器用な愛情をどのように受け止めていたのかは、そもそもきちんと受け止められていたのかもまた俺には想像しえないことだった。
「それで、思い付いたのは確か小学生の時かな。もしかして透明人間にでもなれれば、やりたいことが出来るんじゃないかと思ったんだよね」
「まさに子供の発想だね」
彼にも可愛らしい一面があるんだな。
微笑ましく思っていると、予想外のトンデモ発言が隣から飛んできて俺は自分の耳を疑った。
「で、作っちゃった」
「そっかぁ、作っちゃっ…て!何を?!」
今、何と言った…?
「透明人間になれる薬。数年かかったけど」
「………作っちゃったの?」
「作っちゃった。どうせ外にはろくに出られなかったし」
聞き間違いじゃなかった…。
そんな大層なモノを造り出してしまう前に、もっと別の解決策はなかったのだろうか。例えば、変装するとか。
纏まらない口調でそう訊いてみるも、そんなことは既に何度も試したという。
つまり変装じゃあ、思うようにはいかなかったと。
「だからって普通作るか…?そもそもどうやって…?」
「気になるなら後で配合教えてあげるよ?本当は機密中の機密だけど、依斗にならいいよ」
「いや、見ても絶対分かんないよ…」
そもそもそんなとんでもない薬、一個人が作り方を所有していていいものなのだろうか。というか、一個人が、しかもまだ年端のいかぬ十代の少年がそんなものを造り出してしまうことなど誰も想定なんてしていないだろう。
もし誰かに口外したとしても、そんな夢物語ある筈がないと一蹴されるだけだろうな。
実際にその効果の程を体験させられた当人達以外は。
「というか、ポルターガイストができる透明人間て」
「そこはまぁ、俺もびっくりした。副作用かなぁ」
「嘘だぁ…」
じとりと横目で睨んでみるも、何故だかウィンクされ俺は眩しさでウッと一瞬目を瞑る羽目になった。理不尽である。
「でまぁ、薬は完成したんだ。効果と持続時間は服用量によってまちまち。それで何度か街にも出てみたんだけど、びっくりするくらい誰も俺に気づきやしない」
つまりは成功、だったのか。
何ともファンタジックな話だなぁと思わなくもないが、実際俺もそのファンタジックに巻き込まれてしまった一人なのだから今さら驚きはしない。
「でもある日分かってしまった。あれだけ誰も俺のことなんて見えなければいいと思っていたのに、実際に誰にも気づいてもらえないっていうのは、結構寂しいものなんだなぁって」
「あ…」
そっか、そうだよな。
こいつがどれだけ苦労してきたのかは知らないし、俺みたいな凡人には知る由もない。ともすれば思考が極端な変人のようにも感じられてしまうが、それでも…。
寂しいっていうのは、分かる。
分かるっていうか、そういうカオを何度も見たから。
今なら馬鹿にしないで、その言葉の重さを受け止められる。
そう思ってしんみりしたのも束の間、彼の話はまた俺の想像の斜め上の方へとぶっ飛んでいってしまった。
「そう、誰にも見てもらえないのは寂しい。そこで次は、誰かに気づいてもらえるようにすればいいんじゃないかと思って、また作っちゃった」
「えっ、えーと…一応訊くけど、何を…?」
「透明人間の俺に気づいてもらえる、薬」
「………」
「………」
沈黙。
開いた口が塞がらないというのは、正にこのこと。この状況。
パンと手を合わせて上機嫌そうに俺を見るユークレースの瞳は、いつもと変わらず澄んだまま。
まるで誰も踏み入れたことのない山の清流のように、自然ドキュメンタリー番組とかで見る氷の連なりのように、美しく澄んで無垢な光を俺に向けて放ったままだ。
だからかな。
尚更目の前の人物が浮世離れして見えて、それなのに無性に腹が立ったのは。
俺はこの沈黙の中でもつれてしまっていた思考の糸を必死に解こうとしていた。
そうして遂に、一つの答えに辿り着いた訳だが…その結論は間違っていなければ、怒りの感情を芽生えさせるものであった。
殴っていいかな?
「殴っていいかな」
あ、声に出ちゃった。
「さすが依斗くん、もう全部言わなくても分かっちゃったんだね。そういう勘の良いところも好、おぉ積極的」
「殴っていい?」
俺はベンチに身を乗り出して、未だ上機嫌に語り続ける彼の胸倉をぐわっと掴んだ。
地面に足をつけて座る彼に対し俺はベンチの上に乗っているわけだから、必然的に視線は俺の方が高くなる。
俺の影で暗くなってしまった中でも、澄んだ青は嫌味たらしく輝いていた。
「この体勢、何かいいね」
「つまりは俺を、その実験台にしたと」
「言い方が荒いねぇ」
「つまり貴様は、そんなことのために俺の純情を踏みにじったと」
「誤解です誤解。俺だって依斗と離れたくなんてなかった。確かに初めに選んだのはきみだったけど、」
きみでよかった。
なんて。
どうしようもない変態馬鹿はそう呟いてうっそりと、微笑ってみせた。
「…とりあえず一回、殴っていいかな。いいよな?」
「いいよ」
「食い気味で受け入れ体勢に入るな気持ち悪い…殴る気失くしちゃうだろ」
「依斗にならいいのに。というか、何発でも殴られたって仕方無いことをした自覚は、俺にもあるから」
「…ならもう二度と、消えないで」
「え?」
「もう二度と…俺の前から消えたりしないで。約束」
「…うん。約束。ゴメンね、依斗」
「なにが」
「今までのこと、全部。それから、」
「それから?」
訊いても結くんは何も答えてくれなかった。代わりに悪戯っ子のような笑みを向けられる。
「依斗、口開けて?」
「うん?こう?うぁ、」
「ん」
「んー!んぅっ!ここ、一応外っ、だからぁ!」
「だいじょーぶだいじょーぶ、周りからは見えないようにしてるから」
「絶対嘘だぁっ!」
されるがままの俺は可哀想にこの天才お馬鹿の術中にまんまとハマってしまったという訳だ…。
たくさん話を聞いたけれど俺はまだこいつの、ほんの一部しか知らない。
腰に回された手に自身のそれを重ねながら澄んだ青を覗き込む。
温かい…。ちゃんと、そこには焦がれた温度が感じられる。
だけど。
美しい花には毒があるんだっけか。
どこまでも輝く青に魅入られながら、それから逃れようとも思えないなんて…。
思っていたよりとんでもない奴に捕まってしまったなぁと、俺はひっそり溜め息を吐いた。
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