ユーくんが居なくなって俺の世界は元に戻った。
はずだった。
ユーくんは俺にしか視えていなかったし、俺にしか触ることが出来なかった。
俺以外に、彼のことを知っている人も覚えている人もきっと居ない。
その事実がまた、俺の心をずんと重くさせた。
消えないで、欲しかった。
ずっと傍に居て、笑っていて欲しかった。
あの笑顔を、ずっとずうっと見ていたかった。なのに、なんで、どうして…。
また瞳に涙が溢れる。
もう少しで溢れ落ちてしまいそうなそれらは、歩く振動で簡単に地面に引っ張られていった。
ふと、自分の家の前に人影があるのに気がついた。常ならばただの通行人か、ご近所さんだろうと気にも留めなかったかもしれない。
だけどこの時は、この瞬間だけは違った。
あれ、知ってる。
俺がこの一週間振り回されて振り回されて、たった一瞬で夢のように消えてしまったあの姿に似ている。
瓜二つ、というか、彼そのものにすら見える。学生さんかな。俺と違ってブレザーで、この辺の学校じゃない気がする。
おかしいな。格好も全然違うのに。彼とは違う、はずなのに。
あぁ、俺、結構駄目なのかもしれない。自覚している以上に、落ち込んでしまっているのかもしれないなぁ。
だってそこらへんに居る人がユーくんに見えるなんて…。どうかしてる。
もう、会えるはずもないのに…。
そう思うとまた何度でもじわりと目頭が熱くなった。駄目だ、堪え切れない。零れてしまう。
思うが早いか、アスファルトにぽつりぽつりと濃い染みができていった。空は、晴天なのに。
何だろう、足音が聞こえる。
コツコツと、俺の方に近づいてきている気がする。
道端で急に泣き出した俺を誰かが心配してくれたのだろうか。申し訳ない。だけど止まらない、ごめんなさい。
ごめん、ごめんなさい…。ユーくん…。
視界が暗く翳った。茶色い革靴が、濃い染みの少し手前で止まる。
見上げて、俺は言葉を失くした。
瞳から溢れたままの雫がつうっと、また頬を流れていった。
「あぁ。やっと帰ってき、わっ」
手を上げて朗らかに挨拶をした人物の胸に、俺は断りも無く突進して抱きついてしまった。勝手に涙が溢れる。ただでさえぼろぼろ零れていたのにその姿を見た途端制御が効かなくなって、壊れた水道管みたいに流れていった。
「…うっ。ひぐっ、ユ、くん…」
「………ごめんね、びっくりさせたよね。おれはここにいるよ」
俺に抱きつかれたそのひとは迷惑そうにするでもなく、ただゆるゆると俺の頭を撫でてくれた。抱き締め返すその腕の感覚を、俺は知っている。
知ってるんだ。
知らないはずなのに、知ってるんだよ。
「なん、で…?だって…あの時、ふっ、」
「目が覚めたら、自分の部屋の天井が見えた。暫くぼうっとしてたけれどすぐにきみのことを思い出したよ」
初めて鼓膜に受け取った声は想像していたより少し高くて、でも穏やかで、涙でぐちゃぐちゃに濡れた俺を優しく撫でてくれるようだった。
「ユーくんは、生きてるの…?」
「触ってみる?」
少し大きな手に誘われて、彼の胸の辺りに手を添えられる。
すると感じる、規則的な振動。
ユーくんには感じなかった鼓動の音が、手を伝って確かに響いていた。
温度も匂いも、確かにそこにある。
手を伸ばせば触れられる距離で漸く、俺は貴方に触れられた。
「動い、てる…」
「動いてるよ。それからこの一週間のことも鮮明に覚えてる。もちろんきみのことも。だからここに来た」
もう一度、会いに来たよ。
「ユーく、」
あぁ、訊きたいことがいっぱいあるのに。
しぃっと幼い子供にするみたいに綺麗な指先が俺の唇に押し当てられる。それだけで主導権は彼の方に握られてしまった。
その瞳にはどこまでも強い魔力が宿っているようで、俺はその光に逆らうことが出来なかった。
「さて。はじめまして、おれの最愛のひと。まずは自己紹介から始めましょうか」
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