「そう言えば店長、」
「なぁに?」
「いえあの、こないだ言ってた片想いしてる人とは、どうなったのかなぁって…」
「覚えててくれたんだ?ふふっ」
俺の突然の問いに暫く目を丸くしていた店長は、やがて優雅に手を口元に当ててふっと微笑んだ。
テーブルには二人分のパスタとワイン、それから花瓶に飾られたうちの店のお花がある。
ここはうちの花屋さんを贔屓にしてくれているイタリアンレストランで、俺は店長と向かい合って夕食をとっていた。
最近仕事終わりにご飯に誘ってくれることが多くなった。しかしこれで良いのだろうか…。何故一介の店員にここまで良くしてくれるんだろう。
どうせこんなお洒落なところに連れてくるなら俺ではなくて…なんて不思議に思い首を傾げていると店長が緩やかに微笑んだまま俺の問いに答えた。
「そうだね…。その子とは最近よく一緒にご飯に行くことが多くなった、かな」
「そう、なんですか」
自分で聞いておいて、胸の辺りがつきんと重くなる。何だ、そうなのか。上手くいきそうじゃないか。
当たり前だよ、だって店長だもんなぁ。
月並みな感想だが優しいし格好良いし、仕事も手際良くお客さんからの信頼も手厚い。
この人に想われて良く思わない人なんてそうそういないだろう。
俺はよく分からないけれど、向こうの方も店長に少なからず好意を抱いているに違いない。だってそうでなければ理由も無しに一緒にご飯を食べるなんて…。
何となく気になって聞いてしまったことなのに、何でこんなにもやもやしてしまうんだろう。これじゃあまた察しの良い店長に心配をかけてしまう。
「大丈夫?体調悪い?それとも、この味好みじゃなかった?」
ほら、案の定。
俺の百面相を見かねた店長にふわりと声を掛けられた。その穏やかな低音が心地好いなんて、場違いなことを考えてしまう。
「や、大丈夫です!美味しいです!ただその、」
「うん?」
「俺なんかと会う時間をもっと、店長の好きな人に費やした方が…いいんじゃないかなーなんて…」
あぁ、やらかした。
今のはちょっと棘のある言い方になってしまった。
違うんだ、いや、違くないんだけど。
何でこんな嫌な奴になっちゃうんだもう…。
これじゃあ流石の店長も呆れ、て…?
「ふっ、あははは!」
「え?て、店長…?」
「ふ、ふふっ、あはは」
「え?え?」
店長がこんなに声を上げて笑うなんて珍しいどころじゃない。初めて見た…かもしれない。
だけど何でこんなにも笑われているのかが分からず、俺はただ狼狽しながら店内を見回した。周囲の視線が明らかに俺達二人が座るテーブルに集中しているからだ。
店長と出掛けるとやっぱり何処へ行っても目立ってしまいちらちら見られることも多いのだが、今は別の意味で目立ってしまっている気がする。
ふと目の前に視線を戻すと、ちょうど落ち着いてきたらしい榛色と目が合った。
また、ふっと目を細められる。
それだけで心臓がどくんと一気に跳ね上がるのに、頭の隅ではいやに冷静な自分がいて。
その目を向けられるべきは自分ではない筈なのに何故か、何かを期待してしまって。
店長の想い人が俺だったらいいのに…なんて浅ましくも叶う筈のない妄想が頭を過るんだ。
「はぁ、笑った。ごめんね突然」
「え、あ、いえ…」
「その子とは食事に行くことは多くなったけれど、まだまだ進展してるとは言い難いかな。ちょっと…いや、かなり鈍感でネガティブなところがあるから」
「そうなんですね」
「うん。はっきり言葉にしないこっちも悪いのは分かってるんだけど、どうしても反応が可愛くて。…ごめんね」
「…はぁ?」
何で謝られたんだろう。
分かんないや。
何で俺に対してこんなに優しくしてくれるのかも、何でそんな視線を向けてくれるのかも、何で…何で今手を握られているのかも。
恥ずかしいやら訳が分からないやらで混乱していると、握られた左手の小指に冷たくて固い感触がした。
思わず見ると、そこには銀色に鈍く光る輪っかが嵌められているじゃないか。
「えっ!てんちょ、これ?」
「ピンキーリング。貰ってくれると嬉しい」
「え、え、何でですか?俺誕生日まだまだ先なんですけど」
「嫌?」
「いや、あの嫌とかではなくてですね、その、」
「仕事中は外してくれててもいいから。ほら、お揃い」
「え、嘘」
俺に指輪を嵌め終えると、店長はそっと自身の左手も掲げて見せた。その小指には俺と同じ、鈍く光る銀色のリングが煌めいている。
こんなのたかが店員にする行為だろうか。
まるで教会のなかで誓いを交わすような雰囲気に、意図せず顔に熱が集まる。
周囲の視線なんていつの間にか気にならなくなっていた。
「やっぱりいきなりお揃いは気持ち悪かったかな…」
「いえ、嬉しいですけど店長…。こんなのつけてたら勘違いされちゃいますよ、店長の好きな人に…」
「勘違い、かぁ」
「勘違いです」
「大丈夫だよ」
「へ?」
「今からちゃんと伝えるから。もう勘違い、しないように」
その後薄い唇が紡いだ言葉は、俺と店長だけの秘密だ。
ピンキーリングに込められた意味も、その裏に密かに彫られていたリナリアに秘められた想いも、全て、二人だけの。
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