mitei Colors 7 | ナノ


▼ 7

カチコチと秒針を刻む音が響く。
テレビのガヤガヤとしたバラエティー番組はいつの間にか終わって、無機質なニュースキャスターの声が天気予報を読み上げる途中で画面がプツリと切れた。

緋色がソファーの上で動いた拍子にリモコンが落ちて、テレビの電源を消してしまったらしい。

無音になった部屋にはニュースキャスターの声の代わりに、人生のほとんどの時間、隣で聞いていた声が響いた。

「本当は、紺を誰にも見せたくなんてないんだ」

「どういう、こと」

普段はよく耳に馴染むのに今はやけに痛々しいその声を聞いていると、まるで血の滲む傷跡をじいっと見つめているような心地になる。

いつもならとても安心するし、心地好くて、ずっと聞いていたいとすら思うのに。

無感情を装っているからなのか尚更、傷跡の痛々しさが伝わってくるようで聞いているこちらが泣きそうになってしまう。

「こーんな風に閉じ込めて、おれ以外の誰にも会わせないようにして、おれ以外の誰にも触れさせないようにするんだ」

視界が翳る。
ソファーに僕を押し倒した緋色は、両腕を檻のようにして覆い被さっていた。

重力で垂れた彼の前髪が僕の額に当たりそうな距離まで近づいてくる。眼鏡の無い視界は広くて、なのに今その世界に映るのは彼ひとりだけで。近づいたガラスのような瞳には、ただ困惑した情けない顔の僕だけが映っている。

「ふたりだけ。おれと、紺のふたりだけの世界がいい。そうしたらもう誰に傷つけられることもない。からかわれて嫌な思いをすることもないし、変な目で見てくる奴もいない。他の何も見ないで、その瞳にただおれだけを映して。それから、」

「ひ…いろ?」

肘をついてどんどん距離を近づけてくる緋色の体温が、匂いが、鼓動が全身に伝わる。同時に僕のそれらも、彼に伝わっているのだろうか。

どちらのものとも分からないやけに速い鼓動が、ふたつの身体の間で響いていた。

「だいじょうぶだよって、もう何も怖くないよって抱き締めてあげるから。お前の好きな声で、眼差しで見つめ続けてあげる。紺が望むなら、欲しいもの何だって用意してあげるよ。もちろんおれのことも好きに使ってくれていい」

そのかわり。

その声も、肌も、髪も、瞳も…出来れば心も。全部ぜぇんぶおれだけのものになればいいのに。

この至近距離でも聞こえるかどうかの声でそう呟いた幼馴染みは僅かに顔を離し、ゆるやかに口角を歪めた。

やめてくれ。
そんな痛々しい顔は見たくない。

そう思うのに上手く言葉が紡げなくてただ、瞳を追う。

「どう?…優しい優しいお前の幼馴染みは、涼しい顔していつもそんなことばっかり考えてるんだよ」

そんな欲を携えて、いつもお前の隣に居るんだよ、と。

そう言って自嘲するように微笑んだ顔を見て、何故だか胸が締め付けられる気がした。
僕は彼の笑顔が好きだと思っていたけれど、この顔は好きじゃない。

いつか自分自身を傷つけるなと怒ってくれた彼自身が、誰よりも自分を蔑んでいるような。そんな気がして。

僕に覆い被さる幼馴染みの頬にそっと両手を添えると、驚いたようにパッと顔を上げられた。触れられるとは思っていなかったらしい。

光の宿っていなかった瞳と視線が絡み合う。よく見るとゆらゆらと揺れていて、迷子みたいな怯えた瞳だ。

そのまま後頭部にまで腕を回してそっと引き寄せると、彼は抵抗することなく僕の胸に凭れ掛った。
安心させるように頭を緩く撫で髪を梳いてやると、やがてとくとくと規則的な鼓動が二人の間に響く。

これは、どちらのものだろう。
少しだけ速い鼓動と、やけに落ち着いたいつも通りの鼓動。

緋色の耳には一体どちらの音が届いているのだろう。

「…怖くないのか」

やがてポツリと震えた声が聞こえた。

怖い…怖い、か。

そうか。お前は自分にそんな感情を抱いていたんだね。
お前は自分で自分の事を、「怖い」と思っていたんだね。

だからそんな自分の一面を見せることで、僕を試したんだな。ねぇ、そうだろう?

「怖いよ」

ポツリと頼り無げに呟かれた低音に、僕もまた小さな声で呟き返した。
その音の意味をまだ正しく理解出来ていない彼の身体が、僕の上でピクリと震える。

「なら、」

「緋色なら分かるでしょう。この前僕に叱ってくれた。僕が僕を傷つけること、本気で怒ってくれただろう?」

そうっと顔を上げた緋色の目は丸く見開かれて、まるで何の話をしているのか分からないと言っているようだった。
そのきょとんとした表情が新鮮で可笑しくて、場の空気に似合わず笑ってしまいそうになる。

「僕が怖いのは、緋色がそうやって僕と同じようなことをしてしまうこと。僕のために自分を犠牲にしそうなところ」

「監禁されるのはいいの?」

「特売にいけないからそれはやだ」

「そういう問題じゃないだろ…」

「緋色は僕が嫌がること、絶対しないだろう?」

さっきまでと形勢が逆転したみたい。
まだ不安げな眼差しで見つめる瞳に笑いかけてやると、彼は不満そうにムッと口を尖らせた。

「…もっと酷いコトしなきゃ分かんないのかな」

「僕、緋色に酷いコトされた覚えは一度だって無いよ」

「え、馬鹿なの?」

「そうなのかな。緋色だから、そう思うだけなのかも」

「………本当に、マジで一回泣かせてやんないと分かんないのかなこの馬鹿は」

「緋色は、僕の泣き顔見たいの?」

と問うと、食い気味に「見たい」と返されて少し困惑してしまった。

「でも種類による。悲しいとか辛いとかは、嫌だ。こないだみたいなのも、嫌」

「そうでしょう。僕も同じだよ」

苦い涙は見たくない。
だけど嬉しいとか感動したとか、そういう種類の泣き顔なら見ていたいかな。

「同じじゃないよ。…やっぱり紺は馬鹿だ」

そう言うとまたムッと口を尖がらせて眉間に皺を寄せた幼馴染み。彼が想像していたのは、また違う泣き顔なのかも知れない。

他の種類の泣き顔ってなんだろ…。

考え込んでいると今度は緋色が問い掛けてきた。

「…ねぇ」

「なぁに」

「紺は、俺とどうなりたいの」

「どうって?」

「どうせあの先輩に何か言われたんだろ。お前は…おれのことどう思ってるの」

「緋色のこと…」

じいっと睨みつけても視線は動かないまま、表情筋はまたお休みし始めたようでやっぱり彼の思考は読めない。

どう、なりたいのか。

夢じゃないとするならば、あの時何であんなことをしたのか。「すきんしっぷ」ってはぐらかされたけど、その真意は未だに掴めなくて。
いくら仲の良い友達同士だとしたって、唇にキスをしないことは流石の僕だって知っている。

常日頃から僕に触れてくることが多い緋色だって流石にその事は知っている筈だ。
誰が引いたか分からない薄い境界線があることを、僕らは無意識に知っていた筈だ。

考えに考え、脳裏を過ったある一つの可能性は僕の心臓を容易く跳ね上げさせた。
だけどそれが正解とも限らない。緋色にとっては本当に些細なスキンシップの一つなのかも知れないし、他に何か理由があるのかも知れない。

「どう、なりたい?」

「どうって言われても…ええと、僕は」

「おれになら監禁されてもいいんだろ」

「それはやだって言った」

どう思ってるか。どうなりたいか、なんて。

問い返されて改めて考え直してみた。
今までの時間がアルバムを捲るみたいに駆け巡っては、その中にある筈の欠片を必死で拾う。

彼は基本無表情だけど、たまに見せる笑顔が好きだ。
慈しむ様な優しい笑みに、可笑しくて吹き出した様な笑み、たまにする、馬鹿にした様な意地悪な笑みでさえ。

学校では見せない無表情だって本当は大好きだ。緋色ならどんな顔も、さっきのような痛々しい表情以外ならばずっと見ていられる気さえする。

そうだ。僕はそれらをずっと見ていたい。出来れば近くで。これまでみたいに、これからだって…彼に一番近い場所で。

ただ、傍に居たい。
今までみたいに、一緒に登下校してご飯を食べて、テレビを観て他愛も無い会話をしたりして。
家族みたいに、当たり前のようにただ一緒に過ごしたい。そうやってただ…。

「一緒に…居たい」

そう伝えると緋色は、やっぱり顔色一つ変えずにじっと僕を見つめるだけだった。
長い睫毛に守られた瞳はいつのまにか光を宿して、今日も温かな色で僕を映す。

「本当に、それだけ?」

「え?」

「本当にただ、それだけでいいの?」

再び問われて、僕はきょとんとした。
緋色が求めていた答えと僕が出した答えはどうやら違っていたらしい。

だけど…。

「緋色は家族みたいなものだから…」

「そう。じゃあ、将来紺が結婚したとして」

「え?」

「お前が結婚式を挙げるときに、おれは家族が座る席に居るんだろうな。おめでとうって手を振って、幸せそうな紺と隣の誰かを祝福するんだ」

「緋色?いきなり何を言って…」

「お前が幸せそうに微笑みかけてくれるなら、おれも微笑みかけるよ。おめでとう、お幸せに、どうか、」

どうか。

おれのことは思い出さないくらい幸せにって。

勝手に喉がごくりと上下した。
目の前の、もう何年もずっと隣に居たその姿は、見慣れたはずのその姿はとても力なく頼りなげに見えた。

それなのに声の調子はいつも通り淡々として、彼は「仮定」の話を続ける。

気のせいでなければ、折角光が戻っていたその瞳に、まるで切り傷に塩を塗り込むような痛々しさが滲んでいた。さっきの声色のような痛々しさが思い出されて胸が苦しくなる。
きっと情けないままの顔をしているだろう僕を見下ろしながら、それでも彼は話を止めない。それが自身を傷つけていると、分かっていながら。

「お前が心から選んだ相手ならきっと間違いないだろう。お前ってちょっと、いや結構絆されやすいところがあるけど、芯は割としっかりしてるから。きっと大丈夫なんだろうな」

「緋色、僕は」

「祝福が飛び交う中で幸せそうに笑うお前がおれに微笑みかけてくれたなら、おれも笑うよ。その時は今よりもっとずっとオトナだろうから。お前が幸せそうでおれも幸せだよって、笑って応えるんだ」

手が、震えている。
僕は何と声を掛けたらいいのか分からなかった。

何故だかそんな状況を想像したくもなくて、僕まで震えそうになってしまう。

涙の代わりに溢れ落ちた言の葉は、すぐに彼の耳まで届いてしまった。

「…笑えないよ」

「なんで」

「緋色が本当に幸せじゃないなら、そんなの僕も、笑えない。そんな式放り出してお前のところに行っちゃうと思う」

「どこまでも馬鹿なの?あぁいや、もう今更か」

「緋色の結婚式だったら、」

「おれの結婚式」

「僕も笑うよ。ただしお前が、本当に心の底から幸せそうならね」

「はっ、残酷」

「お前が幸せそうで僕も嬉しい。そんな姿が見られて僕も幸せだよって、笑ってみせるよ」

本当だよ。そのくらいやってのける自信はあるんだ。緋色が選んだ道で、緋色が選んだ人と本当の本当に幸せになれるというのなら。僕の心の軋みなど安いものだろう。

どうして心が軋むのかなんて分からないけれど。

そう、思うんだ。
そう、思っていたんだ。なのに。

「…あれ」

「ほら、やっぱり紺は馬鹿なんだから」

頬を伝うこの感覚は、幸せの結晶なんかじゃなかった。おかしいな、緋色が幸せになるんだぞ?なのに何で嬉しく思えないんだろう。

嬉し涙じゃないのなら、これは一体何の塊なんだ。何の結晶だっていうんだ。

「お前もまだまだオトナじゃないね」

「おま、にだけは…言われたくない…」

「ふっ、ホントに…変なところ似ちゃったなぁ」

「…うっさい」

「あー…。でもごめんね紺」

「なにが」

「この涙は、嫌いじゃないかもしんない」

「………そう」

ごめんね、僕も。

目尻に降ってきた生暖かい温度も、ふっと頬にかかった熱のこもった吐息も、睫毛に触れた唇も。…全身に感じる僕のものじゃない体温も、全て。

ぱちりと瞳を開いた先にある花が綻ぶような微笑みさえも、僕だけのものであればいいと思ってしまった。

あぁ、そうかこれが。

これが、答えなのか。

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