立花先輩と直接会う前までは結構どきどきしていたけど、話してみると心が少し軽くなった気がする。
胸の重りが一つなくなったような、少しだけ軽くなったような。そんな感覚。
不思議だが僕はどうにも、先輩のことを心から嫌いにはなれないみたいだ。
わざとらしい軽口の中にも、たまにではあるが彼の優しさや気遣いのようなものが感じられるからだろうか。
不思議な人だ。
ふわふわ波に身を任せているように見えるのに、その実しっかりとした碇を胸に携えているような。わざと相手を試すような行動や言動をして、どこまで踏み込んでいいのか図っているような。
それを気遣いと呼ぶのか強かさと呼ぶのかは分からないが、とにかくあの人はそういう駆け引きが上手い。たまに間違えて、思い切り踏み込んでしまうこともあるようだけれど。
それでも間違えれば真摯に反省が出来て、謝ることが出来て、相手の痛みも予想して先回りした気遣いが出来る。
そして何より、それを相手に悟らせない。
本当に不思議で掴み所が無い人だ。
だけどそんな先輩だからこそ、周りに人が集まるのかも知れない。
しかし…。
先輩と話したことで一つ鉛が消えた代わりに、また新たな疑念が浮かび上がってしまった。
「あのさ緋色、聞きたいことがあるんだけど」
「なぁに」
学校から帰る途中も帰ってからも、今日は一言も話さなかった。それでも距離は一定で、離れることなくいつも通りの空気をすぐ隣に感じる。
夕食の片付けを終えて無言で隣に座った今も、幼馴染みは無表情のまま。
不機嫌さが滲んでいるような気がしないでもない。本当に表情筋が動かないから何となくの雰囲気で察するしかないのだけど、これは穏やかな無表情ではないことを長年の勘が告げていた。
それでも僕は話を切り出す。
少しだけ震えそうになる手をぎゅっと握り締めながら、隣でテレビに視線を向けている彼に向き合った。
それに応えるように感情の感じられない視線だけが、すいと僕を見る。
「あのね、緋色」
「うん」
「…僕のスマホから…立花先輩の連絡先、消した?」
「………」
「緋色」
「だってもう、必要ないだろ」
「ホントに、消したの?」
「消した」
「い、いつ?」
「あの後すぐ」
意外にもあっさりと白状されたことに驚きながらも、やっぱりかという気持ちが心の隅に現れる。
先輩からわざわざ名乗るようなメッセージが送られた時に何となく浮かんでしまった姿が、今隣に座っているこいつとぴったり重なった。
立花先輩はきっと、僕が連絡先を消すとは思っていなかった。緋色がそうするであろうことを、知っていたのだ。
彼のそういう一面を、先輩は僕が知るよりも前から知っていたに違いなかった。
「なんで」
「折角消したのにね。まさかまた直接会うなんて思わなかった」
「どうしてそんな、わっ」
言い切る前に、背中が柔らかな感触を受け取るのを感じた。天井がやけに遠い。
さして大きくもないソファーに僕を押し倒した幼馴染みの瞳には、あの太陽の輝きが見えない。分厚い雲に隠れてしまっているようだ。
やっぱり…いつもの無表情とは違う。
本当に感情をすっぽり失くしてしまったみたいなその顔は、精巧に作られた美しい人形のようだった。
視線が動くのに合わせて、長い睫毛もふわりと揺れる。
「失望した?」
「………は?」
ただ僕を見つめているような見つめていないような、曇天の瞳の奥で何かが揺れている。きらりと光る陽の光は、一体どこへ行ってしまったのだろう。
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