mitei Colors 7 | ナノ


▼ 5

それから一週間後。

あれから桃谷くんには何度も止められた。
そりゃあそうだ。あれだけ心配をかけたんだから。
最終的に「どうしてもと言うのなら俺もついていく」とまで言われたが、それは丁重にお断りした。
もちろん居てくれれば心強いのは心強いけれど、それでは意味がないと思ったからだ。

そして緋色には、何も伝えていない。
伝えていないが、彼はきっと気づいているかも知れない。表情にも態度にも全く出ないけれど、緋色は僕が何かしようとしていることにきっと気づいていて知らない振りをしてくれている気がする。

…まぁそうであったらいいなという、僕の希望的観測も含まれているのだが。

先輩と直接会ったからといって、何かが変わるかは分からない。

とは言え気になることが、はっきりさせたいことがたくさんあるんだ。
そしてその鍵を握っている人物は思い浮かぶ限り二人。その内一人はきっと口を割らないだろうから、もう一人に会いに行くだけのこと。

怖くないと言えば嘘になる。
本当は怖い。めちゃくちゃ怖い。

先輩がまた同じようなことをしてくるとは思わないし、先輩自体が怖いという訳でもない。

ただ先輩と会って、僕の中の暗闇が再び引き出されることが怖いのだ。
だけどそれ以上に怖いことがあることを僕は知った。

僕が傷つくこと以上に恐ろしいことがあることを、浅はかな僕は本当につい最近知ったのだ。

何も知らないまま、守られてばかりはもう嫌だ。

自分ばかりが傷ついていた訳じゃなかったんだ。もしかしたら僕以上に傷を負いながらも、涼しい顔をして僕のことばかりを気遣う不器用な彼。頼んでもいないのに盾になったり矛になったりして、時には危なっかしい程に、なりふり構わなくなってしまう彼について僕はもっと知らなければならない。

例え拒まれても、知りたいと思うから。

だからこれはその一歩。
小さな小さな歩みだけど、僕にできる数少ないことのひとつだ。

「た、ちばな先輩…」

「こんにちはちーちゃん。俺が言えたことじゃないけど、無理しないでよかったのに」

「いいえ、どうせこのままって訳にはいきませんから」

「強くなったなぁ…。いいや、元からか」

教室だと思い出してしまうだろうからと。
先輩が指定してくれたのは適度に人が通る廊下の端っこだった。

人目はない。けれどすぐそこに顔を出せば、休み時間に騒ぐ生徒たちの姿が見える。

…先輩の言った通りかも知れない。
確かに二人きりの教室よりも、この方が幾分か気分が楽に思えた。

「それで先輩」

「この間はごめんなさい。嫌がらせしたいワケじゃなかったんだ。怖がらせたいワケでもなかった。でもそんなコトは全く何の言い訳にもなんないから、気の済むまで殴ってくれていい」

「そ!そんなことしませんよ…」

「それくらいのことをしたんだ。もっと怒るべきなんだよ、ちーちゃんは…」

「こっちこそ、突き飛ばしたりなんかして」

「当たり前の反応だし、優し過ぎるくらいだよ。今日も、気分悪くなったらすぐ逃げていいからね」

「大丈夫ですってば」

「なら、いいんだけど…」

「先輩は、」

「ん?」

「いえ…」

長い髪がさらりと揺れて、簡単に先輩の横顔を隠してしまった。僕への配慮からなのか、いつもパーソナルスペースが無いんじゃないかと思うほど距離が近い先輩は今は適度に離れたところに立っている。手を伸ばして伸ばして、漸く指先が触れられるくらいの距離だ。

先輩はどうしてあんなことをしたのか、と。
問い質したかったけれど、それに何の意味があるのだろうと考えてしまった。
本当に知りたいことはそれじゃない。
そんなことを聞いてどうするのだろう。

それなのに。

「ただ、知りたかったんだよ」

聡いこの人は、僕のそんな考えを読んだのだろう。ゆっくり開いた唇が、彼の本音を紡いでくれた。

謝罪でも言い訳でもない、この人の本心を。

「いつか言ったでしょう?何かに必死になれる人が羨ましいって。ちーちゃんもさ、眩しかったんだ」

「は………。眩しい?僕が?」

「自分なんかのどこがって思ってるんでしょ?わっかりやすいなぁ全く。でも君は自分が思ってる以上に魅力的なんだよ」

「………はぁ」

「ちょっと不器用でドジで要領悪いけど努力家でいつも一生懸命。自分は見られたがらない癖に人のことをよく見ていて観察眼が鋭いし、無意識にするりと人の心に入り込んでくる。そういうの、何て言うか知ってる?」

「………いえ」

前半はただの悪口かと思ったけど、さらさらの髪から覗く先輩の瞳は真剣だった。

何と、言うのだろう。
次にどんな言葉が紡がれるのか少しどきどきしながら、ゆっくりと開かれる桜色の唇を見つめる。

「人たらし」

一つ一つはっきりと発音するように、先輩は悪戯な笑みを乗せて告げた。

ひとたらし。

その言葉の意味がしばらく飲み込めなくて、僕はポカンとしてしまう。

「ひと…え?えぇ?」

「更に無自覚。質が悪いよねぇ。あ、似たようなこと言われたなぁ。でもあれはまた意味が違うか」

「………はあ」

人たらし。
女たらしという単語なら聞いたことがあるけれど、その親戚のようなものだろうか。

未だ発せられた単語を咀嚼している僕にふっと笑って、「まぁそれは置いといて」と、立花先輩は凛とした声で言った。

「心配しなくてもあのコトは言いふらしたりしない。約束するよ」

「そんなことは、心配してませんけど…」

「じゃあどうしてまた会ってくれたのかなぁ」

「………それは」

「どうせまた北村クン絡み、でしょ」

「うっ」

ご名答です…。

先輩と緋色の関係も、僕はまだ知らない。
勝手かも知れないけれど、気になってしまうのだ。

先輩しか知らない緋色のカオがあるのではないか、とか。そのカオはきっと、僕には知り得ないものなのではないか…とか。

そういうものを第三者伝いに聞くのは卑怯な気もするけれど、少しでも緋色に近づけるのなら。

僕以上に独りで抱えてしまうあいつの鉛の出所を知ることが出来るのなら、後でいくらでも怒られよう。

ごめんねと心の中で呟きながら、僕は先輩に直球で聞いてみた。「緋色とはどういう関係なんですか」と。

すると先輩は首を傾げ、うーんと考え込むような仕草をしながら、やがてぽつりぽつりと話し始めてくれた。

「彼とはすんごく仲の良いトモダチ!って、言いたいところだけど…。残念、違うんだなぁ。…俺が、ちーちゃんに目を付けてるのがバレちゃって牽制されてたんだよ」

「はい?」

「北村クンはね、いつか俺が君を傷つけるんじゃないかって、俺を警戒してたってこと。分かるでしょう?それが委員会の終わりとかに、彼が迎えに来てた理由。まぁ、彼の読み通りになったけどね」

いつからか、委員会の終わりに人目も気にせず教室まで迎えに来てくれるようになっていた緋色。

先輩を見る緋色の眼差しには確かに、冷たいものがあった気がする…けれど。

あれは…そういうことだったのか?
いやでも、どうして?緋色はどうしてそんなことを思っていたのだろうか。
どうして立花先輩に警戒心を抱くようになったのだろう。

駄目だ、聞いておいて何だが、謎が増えるばかりだ。

目を付ける?牽制?
緋色が立花先輩を警戒…?

言葉の意味は分かるが理解が追い付かない。何とかして思考のピースを積み上げようとするが、そもそもの土台が出来上がらないことにはどうしようもない。

聞いた直後は一瞬納得できかけていたのに、時間が経てば経つほどまた分からなくなる。
分からなくなってしまう。

とりあえずは、えぇっと…。

「一応、確認なんですけど…。先輩はおもしろいから僕に構ってたんですよね?」

「あれ、さっきの話ちゃんと聞いてなかった?俺ちーちゃんのこと好きなんだけど」

「は?」

「ん?」

「いやいやいや、え?」

「ふふっ、いいねぇその反応!嫌いじゃないよ」

「いやあの!す、すきってその、後輩としてですよね?」

「恋人になって欲しい的な意味だね!」

「………頭大丈夫ですか」

おぉっと。つい本音が。

重なる理解不能な説明に思考回路がギブアップして、その上追い討ちをかけるようにまた新たな爆弾が投げ込まれた。

どう対処すればいい。
というか何で最近こんなにも、同じ単語が僕に向かって発せられるのか。

冷静になれば中々に失礼なことを口走ってしまったとは思うのだけど、ちらりと先輩の顔を見上げてみると片手で口を押さえて必死に笑いを噛み殺しているようだった。

何なんだこの人は。
本当の本当に何なんだ、何がしたいんだ。

「ふっ、くく…。冗談だよ」

「あっ、ですよね?びっくりした…」

「っていうのも冗談なんだけど」

「はぁ?」

もう何が冗談で何が本気なのかさっぱりだ。
しかし先輩ははじめ会ったときの申し訳なさそうな雰囲気はどこへやら、話しているうちに段々といつもの調子に戻ってきているようだった。

物理的な距離はそのままだが、長い髪をさらりと揺らしていつもの軽々しい調子で話す先輩はどこか楽しそうですらある。

「ねぇ、ちーちゃんは恋人とか欲しくないの?」

「はい?」

「俺なんてどう?自分で言うのもなんだけど、男女共に結構人気あるし」

「え、絶対やです。無理」

反射的にそう答えると、先輩はわざとらしく胸を射抜かれたようなリアクションをしてみせた。

「うっわ傷つく…。意外と容赦無いねぇ」

「すいません。でも無理です」

「謝られると余計惨めなんだけど?まぁ納得の答えではあるけどさ…。じゃあ、誰ならいいの?」

「誰って、そんなこと考えたこともないです」

「なら北村クンはどう?彼のこと好きって言ってたよね?」

え…緋色?
ここでどうして緋色の名前が。

「そりゃあ、もちろん好きですよ」

「それってどういう意味で?」

「は?意味って…。緋色とは家族みたいなもので」

好きに意味なんてあるのだろうか。
好きか嫌いかの二択で言えば緋色は迷いなく「好き」だし、彼とは人生のほとんどの時間を一緒に過ごしてきた。

それこそ本当の家族のようで、かけがえのない存在だ。傍に居ないなんて考えられないほどに。

「じゃ、ちーちゃんは家族とキス出来るの?」

「えと、頬とかなら…?」

「違うよぉ!唇と唇に決まってんじゃん!」

「なっ!出来ませんよ?!」

「へぇ?本当に?彼とも無理なの?」

「緋色、と…?」

言われてどくんと心臓が跳ね上がる。
出来る、出来ないじゃない。

僕はしたことがある。緋色と、家族も同然だと思っていたあの緋色と。
それも一度だけじゃない。
唇と唇が触れるあの感覚。熱を持ったそれが、柔らかな感触とともにふっと下りてくるあの感覚。

桃谷くんにされそうになった時は嫌だと思った。だけど緋色の時は、そうじゃなかった。僕は緋色とするその行為が、全然嫌ではなかったのだ。それどころか…。

緋色はそれを「すきんしっぷ」だと言っていた。その意味を自分で考えろとも。
もしかしたらもうとっくに答えは出ていて、彼もそれを知っていて、僕も知っているのかも知れない。

思い出すと、段々と頬が熱くなるのを感じた。手を当てると実際少しだけ熱い。

身体は怠くも何ともないけど、もしかしたら熱でもあるのかも知れない。

そんな僕を見ていたらしい立花先輩が、ぼそりと呟く。

「…北村クンてば、意外と手が早いんだなぁ」

どこか拗ねたような、おもしろくないとでも言いたげな声色だったのは気のせいだろうか。

「先輩、今何て」

「んーん。ホント、君もだけど、彼も大概苦労するよね」

「はあ」

結局先輩の真意は掴めないまま。分かったことと言えば先輩が心からあの日のことを申し訳なく思ってくれているらしいことと、先輩と緋色の関係、そして…。

「あ!あとこれだけは言わせて!」

「何でしょう」

「ちーちゃんは…君は、すごくキレイだよ」

「え」

言い逃げするように、先輩は「じゃあね!」と手を振って嵐のように去ってしまった。

きれい。キレイとは。

僕のどこをとってそう発言したのか分からないが、ふとあの言葉が蘇る。
しんと、あまりにも自然に僕の胸に染み込んだ言葉。

今まで醜い、見たくないとあれだけ否定し傷つけ続けてきた手を一瞬で止めてしまった魔法使いの魔法の言葉。
どうしてか、立花先輩が放った同じ言葉の羅列があの時ほど僕の心に染みる事は無かったけれど。

『変なの』と。

先輩はきっとあの時僕に放ってしまった言葉を気にしてくれていたんだろうな。単純な僕は、それが分かっただけでもほっと安心してしまった。

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