mitei Colors 7 | ナノ


▼ 4

昼休み。
朝に「またな」と言われたので何となく予感はしていたが、案の定いつものベンチには桃谷くんがやって来た。

「今日は茅ヶ崎だけか?てっきり北村も引っ付いてくるのかと思っていた」

「うっ、その節は緋色がご迷惑を…」

「どうしてお前が謝る?寧ろいくら謝っても足りないのはこっちの方だというのに」

「そんなこと…」

「お前は、本当に優しいんだな」

そんな。優しいのは桃谷くんの方だ。僕はそんな彼に甘えてしまってばかりで、写真のことで助けてもらった恩も何も返せていない。

結局どうして昨日、あんなに必死に廊下を走っていたのか。何があったのか、僕の目のことに関係しているんじゃないか…とか。
彼は何も訊かない。昨日のことを謝ろうとする度、桃谷くんはただ僕が大丈夫であればそれでいいのだと、明るく笑うだけだった。

もしかしたらもう、知っているのかもしれない。
知っていて、わざと触れないようにしているのかもしれない。

「…桃谷くんは、何も訊かないんだね」

「…昨日の事か」

「僕は」

「言わなくていい」

「え」

「何も言わなくていい。話さなくていいから」

あぁ。やっぱりだ。
この人は知ってるんだ。

宥めるように向けられた眼差しに心配と、どこか罪悪感が残っているような色が見えたのは気のせいではないはずだ。
彼はきっと重ねている。桃谷くんがいつか僕にしたことと、昨日の立花先輩の行動とを。

もういいのに。桃谷くんがしたことについては、僕はもう怒ってもいないのに。

それどころか驚きこそすれ、一度も桃谷くんに対して憤りを感じたことなどないのに。僕が憤るとすれば無力な自分に対してだ。
なのに彼はきっと、まだ自分を許していない。僕に対してこの裏庭でしたことをずっと、ずっと覚えて自分を責めて、それなのにそういった素振りを僕に見せようとしない。

どうしてかなんて明白だ。自分を責めるところを見せることで、僕が気に病むと思ったからだろう。

そういうのは…悲しいし、寂しい。もう、許してあげて欲しい。
だって桃谷くん自身以外、僕も、誰も、これっぽっちも責めてはいないのだから。

そんな不毛な自己嫌悪は終わりにして、早くその棘だらけの檻から出てきて欲しい。早く解放してあげて欲しい。

そうして僕はハッと気づく。
もしかして緋色も同じような気持ちで僕のことを見守ってくれていたんじゃないか、なんて。

これは本当にただの自惚れかも、見当違いかもしれないが、似ているところはあるのかもしれない。
こちらからいくら手を伸ばしたって檻の中にいる本人が出ようと思ってくれなくちゃ、出たいと思ってくれなくちゃ鍵は開かない。

そんな痛みの渦に身を投じたって大事に想ってくれる人たちを苦しめるだけで、何も生まれはしないのに。
それを嫌というほど僕に教えてくれた幼馴染みの寂しそうな背中を思い出して、彼の抱えていた痛みを想像した。

もしも、緋色が何らかの理由でずっと自分のことを許せずにいたなら。
僕にも悟られないように自傷の海に身を投じて、声も上げずにずっと苦しんでいたなら。

考えたくもないことだった。耐え難い、自分が同じ目に遭うよりもずっとずっと耐え難い事態だ。
助けたいとか守りたいとか、いくら思ってみたってどうしたらいいのか分からなくて、ただ自分を傷つけ続けるあいつを傍で見ているしかないとしたら、僕は…。

今まで何てことをしてきたのだろうと、改めて痛感してしまった。
知らずにポツリと落ちた一粒が制服に染みを作る。たった一粒だ。

なのにそれがとてつもなく深い深い海に思えて、そこから緋色を引っ張り上げるには僕はあまりにも無力だとまた思い知らされるようだった。
太陽の光の届かない場所で独りもがく苦しさもそれを眺めることしか出来ない苦しさも、両方消し去る力があればいいのにと。

どれだけ強く想えば、どれだけ相手を想えば叶うのだろう。
いいやきっと、想うだけじゃどうしようもないこともあるのだろう。

「おい、茅ヶ崎?大丈夫…じゃなさそうだな。やっぱり今日は、」

「桃谷くん。聞いて欲しいことがある」

「しかし、」

突然涙を零した僕を心配してくれたのだろう。焦った表情を隠しもしないで顔を覗き込んでくる彼の言葉を遮って、僕ははっきりとした口調で告げた。
真っ直ぐに目を見据えて、凛々しい眉の下の黒い瞳に訴えかけるように彼に向き直る。

「お願いだ」

「…分かった」

そうして僕は話した。昨日教室であったこと、立花先輩に瞳の色を知られたこと、それからのやり取りと、過去を思い出して逃げ出すようにして帰ったこと。
その途中廊下でぶつかってしまったことも再度謝ったが、桃谷くんはそれはもういいからと宥めてくれた。

部屋での緋色とのやり取りについては、話さなかった。

それから暫しの沈黙。

先にそれを破ったのは桃谷くんの方だった。

「悪い。実は、知ってたんだ。何があったのか。立花とかいう先輩とも会った」

「そっか」

予想通りだ。やっぱり彼は知っていた。

「お前とぶつかったあと何があったのか心配になって、茅ヶ崎の方を追い掛けようともしたんだが…どうにも嫌な予感がして」

それから桃谷くんは僕が来た道を辿ってあの教室に辿り着いたらしい。
彼が語る話によると、そこに居たのは立花先輩だけだったというが。

「緋色も居たんでしょう」

「…あぁ。どうして」

「先輩に、何かしてた?」

「お前が心配するほどのことは、無いよ」

「止めてくれたんだね。ありがとう」

出来る限り柔らかく微笑むと、桃谷くんはぐっと息を詰まらせたように眉を顰めた。
この人は嘘が吐けない人だ。律儀で真っ直ぐで、誠実で。とても優しい。優し過ぎるくらいだ。

「ちょっと、胸倉を掴んでいたのを止めただけだ」

「緋色ったらもう…」

そしてやっぱり緋色も知ってたんじゃないか。
現場に駆けつけてくれていたんじゃないか。

心配をかけて悪かったなとか、僕はあいつに盗聴器か発信機でも付けられてるのかなとか。そういうことを考える前に、馬鹿だなぁと思ってしまった。
馬鹿だよなぁ。僕もあいつも。お互いのこととなると、時折周りが見えなくなっちゃうんだから。

「茅ヶ崎、くどいようだがお前本当に、」

「大丈夫だよ。僕は大丈夫だ。本当にありがとうね、桃谷くん」

「そうか」

「うん…」

「………」

俯いてしまった先には一面の緑。と言えば聞こえはいいかも知れないが、手入れのされていない伸びっ放しの草が広がるだけだ。

僕が「あーぁ!」と突然叫ぶと、隣でビクリと大きな身体が震えたのが分かった。
ゴメンね、他に方法が思い当たらない。だってその檻を壊すことが出来るのは僕ではないから。
鍵を開けられるのは、中に居るあなただけ。そのことを僕自身がよく知っているから。

せめてその鍵を渡すくらいは、少しくらいの手伝いはさせて欲しいんだ。

「桃谷くんに押し倒された時も怖かったけど、昨日の方がちょっと怖かったかなぁ」

「うっ…!その節は本当に、」

「なんてね。本当にもういいんだよ」

「え」

「桃谷くんはもう僕の大事な友達だから。もう責めるのは無しだよ。お互いに」

独りで抱え込まれるよりずっといい。それが僕に関係することならば尚更。
だからこうしてわざと引き合いに出しては、からかって怒ったような振りをして、冗談にしてしまおう。そうして少しずつ、本当に少しずつになるだろうけど、彼の中の罪悪感が薄まればいいと思う。

だって僕は本当に怒ってなどいないのだから。これっぽっちも責めてなどいないのだから。

申し訳なさそうに項垂れていた桃谷くんはそんな意図に気づいてくれただろうか。悪戯に笑う僕の顔を見ると、凛々しい眉を下げて同じように微笑んでくれる。

少しずつでいいんだ。少しずつ。
心に溜めた鉛が、一つ一つ気泡になって弾けてゆきますように。

「自分を許す」ということはきっととても難しいけれど、僕も彼も、いつかそれが叶いますように。

だけど願うだけでは叶わない。だから今からでも少しずつ向き合っていこう。疲れたら、目を逸らそう。そうして気が向いたら、また。

急ぐ必要はない。だって僕らはとてつもなく難しいことを成し遂げようとしているのだから。

ゆるやかに吹く風は手入れの行き届いていない裏庭の草をカサカサ揺らして、優しく僕らの頬を撫でて去っていく。

「わっ」

その余韻に浸っているとポケットのスマホが突然震えて驚いてしまった。振動する時間が短い。多分電話じゃない。

「どうした、電話か?」

「ううん、ショートメッセージ。でも知らない番号だ」

一体誰からだろう。

送られてきたメッセージは登録されていない番号からだった。しかし非通知ではない。いつしか無言電話の悪戯があったことを思い出して指先がメッセージを開くのを躊躇ったが、開かなければ内容は分からない。

意を決し、恐る恐るタップするとそこには、思いもしなかった名前が記されていた。

「茅ヶ崎?大丈夫か」

「え、あ、うん…」

見つめる先にあるのは短いメッセージ。
だけど今度は到底悪戯とは思えない、真摯な言葉だった。

『ちーちゃんへ。連絡先消されてるかもだから一応名乗っておくけど、立花です。昨日のことを謝りたいけどきっと今は顔を見たくないだろうから、メッセージを送ることだけでも許して欲しい。嫌なことをして、本当にごめんね』

立花先輩…。

昨日のことを知っていることや、僕の呼び方からしてもこのメッセージが立花先輩からのものであることは確かだろう。
真摯な謝罪の言葉はいつもの先輩の軽い口調よりしっかりとしていて、冗談などではないことは何となく感じられた。

だけどおかしい。僕は昨日の今日で、先輩の連絡先を消してなんかいない。

先輩は僕が怒りに任せて連絡先を消す可能性を考えたのだろうか。
本当に?それだけなのか。

まただ。前にも似たようなことがあった。
僕のスマホから、連絡先が突然消えるなんてことが。しかも特定の人物だけ…。本当に故障だろうか?

それとも誰かが消した、とか?
それも意図的に…。

「茅ヶ崎…」

隣から掛けられる心配そうな声音で、僕は我に返った。
一瞬脳裏に過った面影を振り払ってパッと顔を上げる。

「立花先輩からだった。昨日のこと、謝りたいって」

「まさか、会うのか?」

「ううん。先輩の方から、今は会いたくないだろうって。だけど…」

「だけど?」

「会って…みようかな」

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