僕はきっと、どんな姿でも僕が嫌いだった。
橙くんのように明るくても、桃谷くんのように強く逞しくても、立花先輩のように社交的でも、緋色のように…凛と美しくても。
何処へ続くのだろう。足元に伸びる錆びついた鎖を形成しているのは幼い頃のトラウマか、それとも生来のネガティブな性格か。
まぁ、どちらでも構わないけれど。
カシャンと響く音もさほど気にしないまま、僕はそっと胸に手を添える。
僕が僕で在る限り、この呪いは消えない。
いくら鏡を見ることが恐ろしくてもそこに映るものは変わらなかった。いくら目を逸らしても何が変わる訳でもない、ただそれがそこにあるだけ。
そっと前髪を掻き上げて顔を上げた。
するとやっぱり忌み嫌っていた色がそこにあって、情けなくも目を腫らしたままの姿を映し出している。
こんな姿を、この僕を、彼は綺麗だと言った。例え自分自身でも傷つけることは赦さないと。
そういう彼の声は少し震えて、それでもただ真っ直ぐに、僕まで迷わず届いてくれた。
大事なひとが「たからもの」だと言ってくれたものを、大事にしてくれるものを僕も大事にしたい。
お前の大事なものならば、例えそれが自分の嫌いなものでも守りたいとさえ思う。
…いいや、違うか。
お前が大事だと言ってくれたから、僕は特別になれたんだ。
刃を翳して傷つけ続ける手を止めて、じいっと見つめ直すことが出来た。
大事なひとのたからものを傷つけ続けていた僕の愚かさを、痛みを。それをずっと見てくれていた眼差しを。
見つめ直す勇気ができたんだ。
お前がくれた。
ずっと僕にくれていた。
自棄になった僕はその温かな手にすら気づかないほど何も見えていなくて、それなのに嫌いだと言うものにばかり目を向けて。
そんな僕を心配してくれる瞳にすら、気づかない振りをしていた。
そうして得られたものは何だっただろう。
結局お前を苦しめるだけだったね。
僕が本当に嫌いだったのは自分を認められない、大切なひとを信じられない弱さだった。
本当に許せないのは、そんな風に優しく抱きとめてくれるお前のことすら傷つけてしまう、僕の弱いところなんだよ。
だからもうやめにしよう…なんて言えるほど、僕はまだ強くない。
僕はこれからもきっと自分を傷つけるだろうし、お前が好きだと言ってくれたこの色も、まだ直視するには時間がかかるかも知れない。
だけどそれでも、前よりは少しずつ進めているから。だからちょっとだけ、もうちょっとだけわがまま言ってもいいかな。
『…紺』
もう彼が去った筈の部屋から、縋るような声が聞こえた気がした。
泣き腫らした目元はきっと酷く腫れて、布団に籠っていたせいか髪もいつも以上にボサボサだろう。
それでも窓の外を見遣れば、本当の夜明けがやって来る。
地平線から顔を出した太陽は僕の嫌いだった色へ手を伸ばして混ざり合い、夜を次第に包み込んで世界にまた光を落としていく。
まるで合鍵を使って無断で部屋に入り込み、僕の部屋に無理やり陽射しを連れて来た彼みたいだとふっと微笑ってしまった。
ねぇ緋色。
一枚の壁で隔てられた部屋の向こうにあの姿を思い描きながら、一人の部屋でぽつりと呟く。
「僕は…まだきっと自分を嫌いなままだけど、それでいいんだ。今は、ね。だけど少しずつ好きになってみせるから、堂々と、お前の隣で胸を張って歩けるようになってみせるから」
弱くてごめんね。臆病でごめんね。だけど歩幅を揃えて歩いてもらうだけなのはもう、やめにするから。
だからもう少しだけ、甘えさせていて。
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