mitei 重なる手 | ナノ


▼ 2

というのが、昨日の夜のこと。

そういう経緯があって、今日はちょっと二人きりの沈黙が気まずい。
…やっぱり顔を合わせづらい。

あれから俺は色々、本当に色々考えた。
俺は大切な友人をそんな風に見ていたのかとか、これは普通のことなのかとか、いやいや普通なわけあるまい、でも、いやいや…。
答えは未だに出ていない。
ただ友人で抜いてしまった、という何とも気まずい事実が残るのみだ。

謝る…にしても謝れない。
謝るには俺のしてしまったことをわざわざこいつに知らせなくてはならない。
気まずい…気まず過ぎる。
こいつとてそんな事実知りたくもないだろう。友人だと思っていた奴に…。

とにかく真実を告げることも出来ないならば出来るだけ普通にしておくしかない、今のところは…。

しかしそんな俺の事情とは別に、今日はもっと心配なことがあった。
何だか青山の様子がおかしいのだ。

一見いつも通りの無表情で落ち着いた雰囲気ではあるのだが、俺と話していても何処か上の空だったり、珍しく忘れ物をしたり、歩きながら壁にぶつかったりしている。

昼休みに見かけた青山は、真っ直ぐ歩いているはずなのに何故か木に激突して通行人の女の子たちを心配させていた。今日一日で、女の子たちの中では彼はしっかりしているが実はドジッ子説が持ち上がり、只でさえ高い青山の株が急上昇していたのは無視しておこう。

どこか具合でも悪いのだろうか?
とにかく、こんな変な青山初めてかもしれない。

それに心なしか、いつもみたいに目を合わせてくれない気がする。

もちろん話すときは目を見てくれるのだが、ちらりとこちらを覗き見るだけで何だか直ぐに逸らされてしまう。

俺何かしたのかな。怒らせちゃった…とか?
何か気に障ることでも言ったのかもしれない。それか態度とか?
…もしかして、俺の気まずい気持ちが伝わっちゃった、とか?
そんな馬鹿な、野生動物じゃあるまいし。

しかし繊細で勘の鋭いこいつなら…それにほかに心当たりがないし。

「どうしたの」と聞いてみても、「何もないよ」と返されるだけだ。それ以上しつこくは聞けなかった。

「体調悪いの?」と聞いても「全然。元気だよ」と柔らかい笑顔を返されるだけ。まぁ、しんどいわけじゃないならいいか。気にはなるけど…。

そこでふと気づく。
そもそも俺が原因だと思ってること自体、きっと自惚れだったのでは、と。
こいつにはこいつの事情があるし、俺に言いたくないことだってあるだろう。何か俺の知らないところで悩み事でもあるのかもしれない。
…知らなくて当然か。
俺なんてこいつの人生のほんの一部分に過ぎないのだから。
話してくれないのがちょっと寂しいけれど、そこはお互い様だろう。

そう思うと、色々悩んでいた自分が何だか急に恥ずかしくなってきた。

何で…俺が原因だなんて自惚れたことを考えていたんだろう。馬鹿だな、そこまでの影響力が俺にあるとどうして思ってたんだ。

いつも彼がしてくれるみたいに、彼が話したくなったら聞けばいいし、話したくないことなら深くは聞かないでおこう。
ちょっと様子はおかしいけど別に落ち込んでいる、というわけでも無さそうだし。
というより寧ろ…。

実際のところいつも通りの無表情からはやはり何も読み取れなかった。しかしやはり挙動はおかしいままだ。
おぉっと、危ない。廊下で通行人に当たりかけたところを間一髪で袖を引っ張り避けさせた。
向こうから歩いてくる女の子も避けろよ。青山がぼーっとしているのをいいことにわざとぶつかってこようとするんじゃありません。危ないだろうが。
去り際に「余計なことすんなよ」と舌打ちされた。怖い。
一連の出来事に気づいていないのか、やっぱり青山は上の空だ。

本当に、一体何が彼をこんな風にしたのだろうか。
誰が、彼をこんな風にさせてるんだろうか…。きっと俺じゃない「誰か」の存在を想像して、ズクッと胸が軋む音がした、気がした。

と、隣を歩いていたはずの足が立ち止まる。彼を見上げると、袖を掴んだ俺の右手を凝視していた。いつも通りの無言、無表情ではあるが何だかいつもより迫力があってこっちも怖い。怒っているとかいう感じではないが…何だろう。

「あ、わりぃ。ぶつかりそうだったからつい、」

そう言って掴んでいた手をパッと離すが、大きな手に捕らえられてしまった。

「え、と…?」

パチパチと瞬きをして灰色の瞳を覗き込む。それはいつも通り美しく周りの光を反射して輝いているが、考えていることまでは、やはり読み取れない。
いつもは落ち着くはずの無言の空間が、今日は何だかやっぱり気まずい。

しばらくして、はっと我に返ったように青山が目を見開いた。考え事でもしていたのか…?
漸く形のいい唇が動いた。

「…帰ろうか、秀」

いつも通りの、柔らかな笑顔。
掴んでいた右手は離され、再び歩き出す。
右手が空気に触れる度に彼が触れていた箇所の熱が逃げていってしまう。
離されたことを寂しい、なんて。いつの間にそんな我儘なことを思うようになったんだろう。
やっぱり、俺は…。いや、でも。

気づくと、「帰ろう」と言ったのに青山は正門とは正反対の方向へと歩いていた。
何だろう。忘れ物でもしたのかな。今日一日おかしかったもんな。いつもの青山ならともかく、今日のこいつなら忘れ物のひとつやふたつ十分にあり得ることだ。

だが彼は普段使っている校舎も抜け、どんどんと人気のないところへ進んでいる。

「あのさ、」

どこいくの、と口を開くと、やっと彼が立ち止まった。やっぱり何か悩み事かな。

「零」

名前を呼ぶ。
すると柔らかな風を纏ってふわりと振り返った。

「…ごめんね」

…謝られた。何故。
俺がお前に謝ることはあっても、謝られる覚えはないぞ。

「ごめんって、何が」

彼は長い足ですっとこちらに近寄ってきたかと思うと、今度は俺に向かって腕を伸ばした。

彼が掴んだのは、俺の右手。

右手…。
駄目、駄目だよ。だってその手は、昨日俺がお前を汚した方の手だから。

俺が抵抗の意を込めて、くっと右手に力を入れるが青山はお構いなしだ。
寧ろ絶対に離さない、と言わんばかりに力強く引き寄せた。

俺の右手にするりと細長い指が絡み付く。今度は妄想でなく、現実で。
本物の体温は想像より少しだけ温かくて、少しだけ湿っていた。

青山は少し屈んで俺に目線を合わせ、いつものようにじいっと瞳を覗き込んでくる。
駄目だ。吸い込まれてしまう。

「零…」

「秀。ごめんね、心配かけて」

なきぼくろが、僅かに歪む。

青山は絡めていた指を解いて、俺の手を自身の口元へ近づけた。そうして掌にちゅっと優しいキスを落とすと、すうっと匂いを嗅いだ。
さらさらの前髪が手に当たってくすぐったい。長い睫毛が彼の美しい顔に影を落としている。
俺が動けずにいると、しばらくして灰色の光がこちらを見た。
目が合うと、どくん、と身体の真ん中に柔らかな衝撃が走る。

捕らえられた。そんな気分だ。

彼は俺の右手を自分の頬に押し当て頬擦りした後、惜しむように掌にもう一度キスをした。
一瞬だけ、苦しげに眉根を寄せたように見えたのは気のせいだろうか。

普段は真っ白な頬がほんのり薄い桃色に染まる。
手にかかる彼の吐息が、熱い。

透き通った灰色が、もう一度俺を見た。

あぁ、もう勘弁してくれ。

俺はその眼から、逃れられない。

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