mitei ありのままのきみを | ナノ


▼ 4

「秀」

背後から、聞き馴染みのある声。
だけどいつもより、心なしか冷たく尖った声が響いた。

情けないことに俺はさっき脳裏によぎったその人物が現れただけで、すごく安心してちょっと泣きそうになった。
道が暗くてよかった。
街灯にほんのり照らされた声の持ち主は、はっきりとは見えないが無表情だった。が、長い前髪から垣間見える切れ長の瞳は、ひどく冷たい色をしていて、じっと俺の掴まれた手を見ていた。

「れい、」

「青山じゃんー、なに?今帰り?俺らも帰るとこなんだけどさぁ、秀がどうしても俺ん家泊まりたいって」

「秀」

もう一度呼ばれた。
さっきより幾分柔らかい声で。

「帰ろう、秀」

宮原の言葉など聞こえていないかのように、青山は俺だけを見て言った。

「なぁ?!ちょっと聞いてんのか?俺ん家とお前は別方向だから…ッッ痛?!」

無表情のまま俺と宮原に近づいてきた青山は、これまた無表情で俺を捕まえたままの宮原の手を掴んだ。
と思うと、ゴキッという何だかすごくヤバそうな音がして、遂に宮原の手が俺の手を離した。
宮原は何が起きたか分からないらしく、手首をおさえて声にもならない声をあげ、路上で見悶えている。
折れたんじゃないのか、あれ。

宮原のことなど気にも留めず、青山はそのまま漸く宮原から解放された俺の手を取り、掴まれて若干赤くなっていたそこを優しく撫でた。

「帰ろう。秀」

もう一度優しく囁かれる。
今度はその声が、ちょっと震えている気がした。
至近距離で見上げると、見慣れた顔。
いつも無表情の彼は、目が合うと、ちょっとだけ、ほんのちょっとだけ柔らかく微笑んだ。
長い睫毛の奥の澄んだ瞳は、しっかりと、俺だけを映していた。

その瞳に、俺はとても安心した。
彼がいるだけで、もう怖いものなど何も無いような、守られているような、そんな気がして。
いや実際助けられたわけだけど。

さっきまで緊張と恐怖で強張っていた身体は、青山に撫でられたところからじんわりとほぐされ、全身の力が抜けていくみたいだ。

あ、やばい泣きそう。
あれ俺そんなにやばい状況だったっけ。ちょっと手首掴まれてただけじゃん。俺こんな弱かったのか。ちょっとショックだ。

泣きそうで情けない顔を見られないように、俺は目線を逸らした。すると青山は俺の手と自分の手を繋ぎ、指を絡めた。恋人繋ぎみたいな繋ぎ方になって何だか恥ずかしい。
多分ちょっと力を入れれば振り解けるくらいの優しい力だが、それでも離されることはないような気がした。

って、恥ずかしがってる場合じゃなくないか。一応、宮原は大丈夫なのか。薄暗い街灯を頼りに確認してみるも、いつの間にか、宮原は居なくなっていた。
この時間、病院開いてないよな…。
さっきまでそこそこ危ない状況だった気がするのに、何でそんなことまで心配してるんだ俺。
ぐるぐる考え込んでいると、ふっと視界が暗くなる。青山が俺の顔を覗き込んだのだ。

「…帰ろう。」

優しい声音で促す青山。
駄目だ。また泣きそうになってしまう。やっぱりそんな情けない顔を見られたくなくて、俺は俯いた。
うん、という短い言葉すら出てこなくて、
その返事代わりに手の力をちょっとだけ強めると、視界の端でふっと彼が笑った気がした。

あれ以来、宮原は俺に話しかけてこなくなった。
というか、あまり会わなくなったな。サークルにもぱったり来なくなったし。
以前は授業が違っても、廊下とかでよく鉢合わせてたのに。
あの出来事がトラウマになったのだろうか。宮原は構内で俺を見かけても、声をかけないどころか、顔を青ざめさせて逃げるようになった。
そりゃ、大怪我させられたもんな…いや、折ったの俺じゃないけど。
ていうか折れてたんだろうか、やっぱり…。
遠目から見えた、彼の手首に巻かれた包帯が痛々しい。ギプスとかはしてないみたいだけど、大丈夫なのかな…。

何か俺がすごく悪いことした気分だが、俺も正直もうあいつとは関わりたくなかったので丁度いいと思う。うん。割り切ろう。

「秀。遅れるよ」

いつもの声が俺を呼ぶ。

あの日、青山に家まで送り届けられた俺は、帰ってからふと冷静になって考えた。
あの時の、あいつのあの無表情は、やっぱり怒ってたんだろうか。
普段から表情の変わらないやつだけど、それでもちょっとした感情の起伏は分かるつもりだ。仕草とか、雰囲気とか、そういうので。
青山が一瞬見せたあの眼差しが怒りだとしたら、彼は一体何に怒ってたのだろう。
そりゃ友達が危ない目に遭わされてたら俺だって怒るけど、そうじゃなくて、何ていうか、殺気…みたいな。
上手く言えないけど、あの時彼を纏う空気がとても冷たかった、気がした。

そして、いくら怒っていたとしても、普通あそこまでやるだろうか。
相手の手を躊躇なく、その、へ、へし折る、なんて…。

そこまで考えて、少しぞっとした。

そうだ、あいつには、躊躇がなかった。
助けてもらっといてなんだけど、それは果たして大丈夫なんだろうか。ひととして、というか、その、うーんと…分からなくなってきた…
それくらい俺のピンチに怒ってくれたってことかな?ああ見えて案外情に厚いとこもあるのか…
あの状況ってやっぱり相当やばそうに見えたのかな。会話聞いてない限りは…手首掴まれてただけだし…
青山だから何となく気付いてくれたのか?あいつ昔からやけに勘は鋭いしなぁ…
頭上にはてなが飛び交う。

駄目だ、ぐるぐるする。
忘れてたけど俺、飲み会帰りだった…

考えがまとまらないことを酒のせいにして、俺はそのまま寝てしまった。

「秀」

あの声だ。
低くて凛として、聞いていて落ち着く声。心に直接響くみたいに、心地よく広がって、安心を与えてくれる声。

振り返ると、ふわりと切れ長の瞳が弧を描いた。
俺の名前を呼ぶ瞬間、自惚れかもしれないけれど、まるでとても愛おしいものを見るような柔らかさで、彼は微笑んだ。
さらさらの髪が風に靡き、灰色の瞳が真っ直ぐに俺を捕らえる。
心臓が、どくりと跳ねた。

「行こう。」

すっと差し出された大きな手を素直に握る。この声に、俺はどうも逆らえない。
繋がれた手は温かくて、顔にもその熱が移ったみたいだ。
何故だか顔を直視出来ず、ちらりと横目で見上げるも青山はいつもと変わらないボーッとした無表情。
やっぱり気のせいだったんだろうか。

…あれ、ちょっと待って。

二人で次の授業に向かうべく中庭を横切っていると、ふとまた些細な疑問が浮かんだ。

すごくどうでもいい疑問かもしれないけれど、またひとつ、分からないことが出てきた。
いや、本当にただの偶然なのかもしれないけど…。

何で青山は、あの時あんなところにいたのだろう。
俺と宮原がいた道路は駅からもそこそこあるし、大通りからもちょっと外れてるから人通りも少ない。
学校帰り…に立ち寄るには遠回りだし、青山とはサークルも違うので当然飲み会にも居なかった。
というか、青山はサークルには入らずバイトを掛け持ちしてるって聞いたことあるし、バイト帰りだったのかな。でもあの辺でバイトって…?たまたま通りがかったのかな。

「なぁ、零」

「なぁに?秀」

「お前、何であの時…」

「教室、着いたよ。」

「あ、」

俺が聞き終わる前に、教室の前に着いてしまった。
教室に入る前に振り返る。
見上げると、切れ長の瞳を少し細めて彼は答えた。

「たまたま、だよ。」

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