∴ 03 次の日、私は石田さんへお礼を言おうと、唯一得意としているお菓子を作ってお昼休みに社内をウロウロした。 良く考えたら今まで縁が無かった秘書課なんて部署の所在が分かるはずも無く、かと言って業務でもないのに所在を誰かに尋ねるのも憚られた。 少し困って役員室のある階のアトリウムのベンチに腰掛けていると、「おい」と声を掛けられて心臓が止まりそうなくらい驚いた。 「す、すみません!問題でしたらすぐに・・・」 「いや、構わないが・・・」 声のする方に振り返ると、そこには石田さんが立っていた。 「石田さん!」 私はこの偶然に感謝した。 今日はもう会うことは出来ないだろうか?と諦め始めていたところの幸運だった。 私は思わず跳ねるように立ち上がってしまった。 その様子に面喰ったように石田さんは目を瞠っている。 「ああ。む・・・、私は昨日名乗ったか?」 「あ、いえ。竹中先生に教えていただきました」 「そうか。それよりも体調は・・・元気そうだな」 石田さんは質問を途中で引っ込めて、私の様子を繁々と観察して結論に達したらしい。 納得するように頷く。 「はい、お蔭様で良くなりました。 それでその・・・スーツまで汚してしまったお詫びにこれ・・・」 そう言って持っていた紙袋を差し出した。 中身は甘くないシフォンケーキだ。 昨日の帰りに、同僚に石田さんのことを聞いてみると、なるほど竹中先生の言うとおり、彼は有名人だった。 仕事に置いてはとても良く出来る人との評判だったが、人物的にはやや否定的な意見が多かった。 というのも、一番多かった意見として、彼は融通の利かない人柄らしい。 昨日の自分の印象的に、生真面目さがそう取られてしまっているのではないか?と感じた。 あと、これは余談だが、彼の入社当初の女性社員からの人気は相当だったらしい。 だが、完全な仕事人間で遊びの無い性格から、今は残念なイケメンとも言われている。 とにかく話題には事欠かない方だ。 それだけ注目度は今でも高いということだろう。 それもあり、彼の好みを多少聞くことが出来たのは幸いだった。 どうも甘いものが苦手とのことで、悩んだ末に砂糖は控え、香り高い紅茶の葉が入ったシフォンケーキを作った。 「礼は良いと言っただろう?」 「でも・・・出来ればスーツのクリーニング代も出したいのです」 「気にするな。私が好きでやったことだ」 「どうかこれだけでも」 そう言うと、石田さんは意外にもキリッとした表情を一瞬困ったように崩すと、私の差し出す紙袋を手に取った。 「これだけだ。有り難くいただこう」 「ありがとうございます!」 そう言うと、石田さんがふっと口元を緩ませた。 そのちらりと見せた笑顔に、私の目が釘付けになった。 何て素敵な笑顔をされる人なんだろう・・・! 瞬間、私の頬が熱くなった。 多分、この時私は石田さんに恋心を抱いたのだと思う。 でも、とても先の望めない恋だとも感じた。 石田三成は、恋愛から一番遠い人物。 そう聞かされたばかりだ。 「では、私は行くぞ。これは後でいただく。 ・・・佐倉、ありがとう」 「あ・・・、私の名前・・・!」 多分医務室で名乗ったのを覚えてくれていたのだろう。 名前を呼ばれただけでぽぽっと心が温かくなった。 遠ざかる背中を見送り、私は嬉しい気持ちのまま自分のデスクへと帰った。 |