(※過去)

幼さというものは時として凶器となりうる。無邪気な心は毒を隠し持ち、貪欲な好奇心には鋭利な刃が潜んでいる。
それを実感したのは実に俺が齢十を過ぎた頃。ちょうどこの忍術学園に入学して半年ほどが立った時分のことだった。

――ドン!
突然、何の前触れもなく肩を押されて思わず後ろに倒れこむ。両手に分厚い書物を何冊か携えていたせいで後ろ手を突くこともままならず、“おれ”は無様に地面に尻餅をついた。


「お前のせいだっ!」


一体何が起きたのか。事態の把握ができず目を白黒させていると、頭上から幼さに塗れた高い声が聞こえてきた。


「お前ができそこないだから、だからいけないんだ!」

「っ、?」


突如降りかかった罵詈雑言におれは驚いて視線を上げる。するとそこには肩を怒らせ小さな拳を握り締める者の姿があった。逆光の最中でよく顔は見えないが、声から察するにどうやらそいつは同級生の潮江文次郎であるようで。


「…おれ、何かしたか?」


予期せず降りかかった災難、そして「できそこない」という言葉に内心ショックを受けつつも、どうにか冷静を保って潮江に問いかける。思えばあれは子どもなりに虚勢を張っていただけに過ぎないのだが、その時のおれにしてみればそのくらいしか出来なかったとも言えるだろう。
首を傾げての問いに潮江は奥歯を噛み締める。どうやら本当に彼は怒っているらしい。とは言えこちらに覚えはないのだから、言ってくれなければわからないのも真実だ。おれは尻餅をついたままの情けない体制から、もう一度潮江に問いかけた。


「しおえ、「何も、何もしてねえだろっ!」

「…は?」


…が、帰って来たのは予想外の台詞だった。


「お前は何もしない、何の努力もしないからいけないんじゃねぇか!」

「…何を言ってんのかよくわかんないんだけど」

「そういう態度が気に入らねぇんだよ!」

「はあ?」


あんまりと言っちゃああんまりなその言い草に、さすがのおれも頭にきた。売り言葉というには安っぽい潮江の暴言に、付着した土を落としてすっくと立ち上がる。


「いきなり突き飛ばしたかと思えば何めちゃくちゃ言ってんだよ!」

「めちゃくちゃじゃねえ!おれはお前に腹が立ってんだ!」

「だから理由を言えって言ってんだろ!?」


立ち上がりついでに距離を詰めれば潮江は一瞬怯んだような顔を見せる。なぜならおれの方が少しばかり上背があるからだ。ほんの一寸にも満たぬほどの差とはいえ、目線が高いことの利点はかなり大きい。見下ろされて視線をきつくする潮江は、どことなく毛を逆立てた猫みたいな風情があった。


「〜〜〜っだから!お前がいつまで経っても馬鹿のまんまだから!」


だからろ組なんかに抜かれるんだ!
潮江の声は思いの他大きく、校舎に面した中庭中にわんわんと響いた気さえした。呆気にとられたおれも思わず一瞬動きを止めてしまい、その隙を突いて潮江が攻勢に入る。


「忍術学園のい組はなぁ、毎年成績優秀で通ってるんだ!」

「だ、だから何だよ!」

「だからおれたちもその伝統に則って、絶対ろ組やは組に負けたりしたらいけなかったんだ!」


どうやら潮江は先日行われた抜き打ちテストのことを言っているらしい。結果が出たのは今日の昼のことだが、どうやらクラスの総合点が少しばかりろ組に劣っていたようで。


「それが何でおれのせいになるんだよ!」

「お前、いっつも平均点ぎりぎりじゃねぇか!い組だったら満点取るのが当たり前なんだよ!」


潮江の言い分に思わずぐっと詰まってしまう。確かに潮江や立花をはじめとする、い組でも成績優秀とされる者たちにとって、テストの満点は当然といえるものだった。しかしあくまでもそれはクラスの半分にも満たぬ生徒のことであって、残りは七十から八十後半くらいにばらついているのが今年の一年い組の現状だ。その証拠に毎回平均点は七十半ばくらいだし、実際おれの成績もその辺りをうろうろしている有様だった。
つまり、ぶっちゃけていえばおれ以外にもい組の足を引っ張っている奴は何人かいたのだけれども、当時のおれがそのことに思い至るはずもなく。


「う、うるさいな。潮江には関係ないだろ」

「関係あるから言ってんだろ!馬鹿なら馬鹿なりに努力ってもんをしたらどうだ!じゃなきゃ今からでもあほのは組に転入しろ!」

「っ」

「じゃないとこっちが迷惑だ!」


言い切って潮江はそっぽを向いた。十歳という年齢を考えるとやや小柄な彼だが、その目力たるや上級生に一目置かれることもある。強い視線で射抜かれ、また学年一の努力家を自称する潮江に痛いところを突かれたおれは、言い返す言葉も見つからず唇を噛み締めるしかできなかった。


「…めいわく、か」

「あ?」

「…おれは、い組にとって迷惑なのか」

「だから最初からそう言って――」


おれの呟きにこちらを振り返った潮江の声が止まる。どうやら目を見開いて驚いているようだが、俯いているせいでよくわからない。


「…そうか」

「な、何だよ。やるのかっ!?」


様子の違いを察してか潮江はさっと闘いの構えを取る。しかし勿論こちらに取り合うつもりなどなく、おれは散らばってしまった書物をのろのろと拾い集めることにした。


「潮江」

「………」

「わるかったな」


全部の書物を拾い上げると、おれはそれだけ残してその場を後にした。背後で潮江が不思議な表情をしていたような気もするが、あくまで気がするだけだ。おれは何も見ていない。



***
できそこないというよりは平均ラインを保ってるだけ。


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