「なあ善法寺、俺お前は絶対に一回厄払いにでも行った方がいいと思うんだ」

「あはは…それ今朝留三郎にも言われたなあ」


と言うことは何か。お前今朝方も何かしら不運な出来事に見舞われたのか。
細めの眉を垂れ下げながら食満がのたまう様を脳裏に浮かべつつ、俺は憐れみの色を視線に乗せた。この暗がりでは分かりにくいかもしれないが、相手は少し恥ずかしそうに肩を竦め、苦笑しながら頭を掻いた。





同学年の善法寺伊作は不運を絵に描いたような男である。不運委員の名を欲しいままにする保健委員会の委員長を歴任していることや、どこぞの穴掘り小僧の仕掛ける罠に片っ端から嵌まりまくるという日常を晒していることから、学園の生徒にとってはそれが当然の認識になっている。
前世で地蔵に小便でも引っ掛けたかと思うような不運っぷりは本当に憐れとしか言いようがない。つい先日も忍務帰りに肥溜めに落ちたところをは組の連中と救出したばかりだ。周囲の空気を汚染するような出で立ちの善法寺に俺は何と声をかけたらいいものか本当に分からなかった。あの時一言でも「気をつけろ」などと言ってやれていたら、こんなことにはならなかっただろうか。


「ああ…日が暮れるなあ…」

「ほ、本当にごめん舟…。僕が掃除の手伝いなんか頼んだばっかりに…」

「はははは気にするなよ。穴底から見る夕焼けもまた格別ってもんだろ」


棒読みもいいところな台詞を吐きつつ上方を見上げる俺とは対照的に、曲げた膝の間に顔を埋める善法寺。ただでさえ湿っぽい穴の中、鬱々とした空気が立ち込め始めた。その暗さたるや斜堂先生をも凌ごうかというほどだ。


「…お腹空いたなあ」

「そうだなあ…」

「確か今日の夕飯はおばちゃん特製の炊き込みご飯だったよ…」

「…あーそれは食っておかんとなあ…」


キノコでも生やしそうな様子で善法寺が呟くので、いちいち俺もそれに返す。
この状況下で飯の話題を振るなんて最悪の趣向だと思わないでもない。どうせじめじめするなら、マツタケなりシイタケなり、食えそうなもんでも生やしてくれればいいものを。


「…ねえ舟」

「何だ善法寺」

「…どうする?もし誰も助けにきてくれなくて、夕飯食いっぱぐれるどころかこのままここで白骨化したりしたら「おおおおおおおい!!!!なに最低な想像してんだ!」


かねてより連続する不運に対し今更ながら悲嘆に暮れているのか、今日の善法寺は異様に後ろ向きだ。まあこんな深さの穴に嵌まっちゃ誰でも暗くなるだろうが。


「大丈夫だ!俺たちは助かる!絶対に!」

「…舟」


だが二人して暗くなっていては埒が明かない。握りこぶしを作り叫ぶようにして言うと、善法寺の瞳が僅かに揺れる。かっこいいなあ。小さな呟きが地下水に湿って黒っぽくなった土の上に落とされた。


「…格好いい?誰が?」

「誰って、勿論舟が」

「ひょっ」


暗がりでも分かるような穏やかな笑みで善法寺が言うものだから、あまり褒められなれてない俺は喉から変な音が出るくらいびっくりする。


「僕の不運に巻き込まれてこんな穴に落っこちたって言うのに、そんな風に言えるのは格好いいと思うよ」


まるで、絵巻に出てくる英雄みたいだ。
うわ言のように言いながら、善法寺は淡い色の双眸を細めた。立花ほどではなくともこいつも結構綺麗な顔をしている。俺には生憎と男色の気はないつもりだが、それでもどきりとさせられる表情だった。


「…やめろよお前。心臓に悪い」

「? なんで?思ったことを言っただけなんだけど」

「お前なあ…」


さっきまで湿っぽかったはずの穴底に、何やら桃色の空気が漂い始めた。何だこれ。むずがゆいだろうが。
善法寺が首をかしげながらこちらを覗き込もうとするものだから、俺は思わず後方に後ずさる。すると、その瞬間手首にツキリとした痛みを感じた。


「ッ」


ほんの小さな刺激だったから僅かに眉が動く程度だったが、間近に顔を近づけていた善法寺はその変化を読み取ってしまったらしい。


「どうしたの?どこか痛めた?」


先ほどまでのどぎまぎしてしまうような表情から一変、真剣な顔になる相手に俺は再度びっくりさせられる。返事もできぬままにあちこちを触診され、つと持ち上げられた手首が少し腫れ上がっていることが判明するや、善法寺は眦を吊り上げた。


「やっぱり怪我してるじゃないか!」

「え、や、でも今気付いたから…」

「穴に落ちた時に変に身を庇ったんだろう。僕が下敷きになったから大丈夫だと思ったのに、ちゃんと確認をすべきだったな」


舌打ち交じりに吐き捨てる善法寺。その表情はまさに最上級生然としており、何か反論を許さぬ威圧感を醸し出すかのようだ。


「指先に痺れは?指の曲げ伸ばしに違和感はない?」

「な、ない」

「手首は?こうすると痛む?」

「痛くな…ゔ、」

「反らすのが無理そうだね」


指先、手首、肘、腕などつぶさに観察しながら症状を見極める。俺はただ尋ねられるままに答えるばかりで、さっきから首を縦に振るか横に振るかしかしておらず。


「簡単に固定をしておくけど、あくまで応急処置だから。上がったら医務室できちんと処置するから」


頭巾を取り去り、俺が持っていた苦無を固定にぐるぐると巻きつける善法寺。鮮やかな手際に思わず拍手を送りたくなるが、如何せんそのような空気ではない。
兎に角ここから出なくちゃね。言うやいなや立ち上がり、善法寺は大声を張り上げた。


「誰かああああああ!!!!誰かいませんかあああああああああ!!!!!」


穴の中に反響してうるさいぐらいの声量に、どこかで鳥の群れがバサバサと飛び去る音がする。思わず耳を塞いだが、お前そんな声出せるんなら何故最初からやらないんだ!


「せんぞー!ちょーじー!もんじろー!こへーたー!この際留三郎でもいいからー!!」

「お前それは食満に悪くないか…」

「とめさぶろー!!早く助けにきてくれないとー!君の過去六年分の恥ずかしい思い出を公開す「やめんかあああああああ!!!!!」


仏の保健委員長が悪魔に魂を売りかけた矢先、どこから飛んできたのか非常に焦った声が頭上から聞こえてきた。見上げれば顔を真っ赤にした食満が必死の形相で穴の淵に縋っている。


「やあ留三郎!来てくれるって信じてたよ!」

「普通信じてる奴が脅しを使うか!」


今泣いたカラスが何とやらだ。さっきまで白骨化したらとかほざいてた奴が、舌の根も乾かぬ内に何を言ってやがる。
そう思いはしたが、頭上で繰り広げられるは組二人のやりとりに口を挟める気がしない。大人しく穴底で胡坐を掻いていたが、ようやく気が済んだのか溜息を吐いた食満が俺に視線をよこしてきた。


「おう舟大丈夫か。伊作の不運に巻き込まれるたァ、お前も大概ついてねえな」

「留三郎、舟が手首を怪我してるんだ」

「そうか。じゃあ縄を二本持ってきてやるよ。伊作は自力で登りゃあいいし、舟の方はしがみついてれば俺が引っ張りあげてやる」

「…悪いな」


用具倉庫へ取って返す食満に礼を述べ、動く方の手をゆるく振る。あわや大騒ぎになるところだったが、食満が来てくれて本当によかった。ほっと息を吐いて横を見れば、真剣な表情の名残を帯びた善法寺がこちらをじっと見つめていて。


「舟の言う通りになった」

「…何が」

「僕らはちゃんと助かった。大丈夫って君が言ってくれたおかげだね」

「………」


屈託のない笑みに充てられ、さっきとは違う意味で頬が熱くなる。ああもう、お前だって十分格好いいだろうが。


「おーい!縄投げるから気をつけろよー!」

「ありがとう留三ろ…ぶあっ!!!」

「善法寺―――!?」


…なんて、それを言ってやれるのは、また次の機会になりそうだけど。


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