薔薇色の吐息、とはよく言ったものだ。ふと零される悩ましげな溜息にすら色香を感じるほどの魅力があるなどと俄かには信じがたいが、実際に俺は今その様をありありと見せ付けられている。
「はあ…」
花にでも例えられそうな整った横顔に、憂いを帯びた溜息がまた一つ。本当に薔薇でも食ってるんじゃなかろうかという雰囲気など、一体どうやったら出せるものやら。別にやってみたいわけでもないが、方法があるなら興味の範囲で聞いてみたいものだ。
「ああ、聞いて下さいますか一ノ瀬先輩!この平滝夜叉丸、自分の美貌が恐ろしいのです…!」
「…へええ」
勿論、それは目の前の麗しい後輩の愚痴だか吐露だか自愛論だかが、全て終わってからの話になるが。
◆
四年い組の平滝夜叉丸とは、まあ一般的に言うところの先輩後輩の付き合いだ。確か奴は体育委員だったはずだから、六年の中でも仲がいいといえるのは七松あたりになるはずだ。
強いて俺との接点をあげるとするならば、同じい組の所属ということだろうか。しかしこの見目麗しさやお前本当に忍者かと思ってしまうほどの派手派手しさは、俺とは間逆、寧ろ無縁と言っても過言ではない。
そんな滝夜叉丸がなぜ俺なんぞのところで高尚なご説を垂れ流しているのかと言えば、曰く、「類稀なる才能と個性を持たれる六年生にあって、こんなにも地味で平凡な一ノ瀬先輩に是非そのお話を聞かせて頂きたい」とのことで。
「私は最近気付いてしまったのです。私のこの美貌と存在感を持ってしては、立派な忍者になることは難しいのではないかと」
「おお、それはすごい発見だな。時に滝夜叉丸、お前ちゃんと座ったらどうだ。今座布団を出すから」
「ああ一ノ瀬先輩、お構いなく!押しかけたのはこちらなのですから!」
一々仰々しいポーズを取る滝夜叉丸は、手狭なこの部屋にあって異質としか言いようがない。だが理由はどうあれ折角こうして尋ねてきてくれたのだから、先輩としてもてなすに吝かではないのだ。
「私は一人前のプロ忍者になるのが夢なのです。一番の成績で学園を卒業した暁には優秀な城に就職し、ゆくゆくは世間に名を轟かせるような忍になりたいのです」
「まあ事実お前は優秀だものなあ。聞いたぞ、下級生相手に戦輪の模範指導をしてくれと頼まれたんだって?」
「そうなのです!それも私の実力をもってすれば当然のことなのですがね!」
先日小耳に挟んだ話を持ち出してみると、目の前の後輩は顔一杯に喜びをあらわにしてみせた。自慢屋で多少面倒なところはあるが、滝夜叉丸の可愛いところはこういう素直さだと思う。
堰を切ったように自らの顔の造詣や才能について語り出すのを程々に聞き流しつつ(4年も見てればそれなりに技能は身につくものだ)、そういえば先日街に出た同輩にもらった菓子があったかなと、腰を浮かせて行李を探る。
「…だと思うのですが先輩はどうですか!?」
「んん?ああ、そうかもしれんなあ。それはそうと、こないだ珍しい菓子をもらったんだ。一人じゃ食べきれないから、茶請けにどうだ」
「南蛮菓子のカステラですか。随分珍しいですね?」
「最近とみにかぶれてる連中がいるんだよ。どっから持って来るんだか、街に出る度土産にしてくれる」
言うと、なぜか滝夜叉丸は少し面白くなさそうな顔をしてみせる。何だ、もしかしてまだ話し足りなかったのか?
「…先輩はカステラが好物なのですか?」
「ん? ああ、まあどちらかと言えば好きな部類かな」
「…言って下されば私だって土産に買ってきますのに」
「こら、後輩がそう気を遣うものじゃないよ。それに俺は特別甘いものが好きなわけでもない」
いい茶葉はちょうど切らしていたので、申し訳ないが普段適当に飲んでいるもので済まさせてもらう。急須に注いだ湯は若干冷めかけてしまっているが、滝夜叉丸は熱々が好きだろうか。
「ならば一ノ瀬先輩は、どんなものがお好きですか」
「そうだなあ。こうしてお前たちと茶を飲んだりすることかなあ」
茶碗に注がれる黄味を帯びた鮮やかな緑が美しい。立ち上る湯気越しにそっと手渡そうとするが、しかし滝夜叉丸は僅かに顔を俯かせていた。
「? どうした滝夜叉丸?」
「…いえ。ちょっと不覚を取られただけです」
口元を白魚と称したくなるような綺麗な手で隠しつつそっぽを向く後輩は、頭巾で隠れてしまってはいるが、耳元近くが赤くなっているように見えた。何ぞ照れる要素でもあったかと考えたが、思いつかないので俺の意識は手元の茶にすとんと落ちる。
ずずっと啜った茶の音に紛れて、また一つ、滝夜叉丸が先ほどとは少し色の違う薔薇を零したのが聞こえた。
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