善を介して胡蝶姐様から頂いた文には、あたしの無茶苦茶なお願いに対する是の返事と当日の詳細が記されていた。まるで恋文か何かの如く一輪添えられた菫の花が何やらいちいち小恥ずかしく、持ち帰るや否や懇意の船員からやたらと冷やかされてしまった。
胡蝶姐様の情報によれば、幕吏と真選組の会合はその日からちょうど一週間後のこと。表立って知らされてはいないらしいが既に花街では周知の事実なのだとか。何とか姐様の口利きで下働きとして働かせてもらえるようになったこと、当日は早いうちから挨拶に伺うことなどが女性にしてはやや角ばった字体でつらつらとつづられていた。

“――最後に。私たちは元気でやっております。店の方もこれといったこともありません。”
“ただ、やっぱり貴女の顔を見られないのは寂しいから――もっともっと沢山手紙を書いてください。”

簡素な手紙の最後には小さくそれだけが書かれていた。筆不精というわけではないが、船上にあるという事情から中々手紙を書くことから遠くなっていたことは事実だ。
“寂しいから”という箇所を読んで僅かに胸が痛む。意思を持って出てきたわけではないにしても、そう簡単に帰れる立場ではないのだと改めて認識してしまう。


『はあ…』


吐き出す溜息もどこか重たげに感じる。
肘を突いていた窓辺から腰を上げて四つん這いで文机に向かうと、そっと引き出しを開けてみた。対して中身のないそこにはきれいな白い布で包まれた簪が入っている。――姫様。久しく見えぬその人の姿を瞼の裏に思い描いて、あたしは少しだけ涙を流した。


――などとちょっぴり郷愁に駆られていたのも少しの間のこと。緊張しながら汀屋に足を運んだあたしは(勿論鬼兵隊側には内緒である)、裏口に入るや早速禿役と名乗る子供に捕まり、あれよあれよという間もなくとある一室に引きずり込まれたのだ。
何事だと目を回すこと暫し、室内には何やら物凄くイイ笑顔を湛えた麗しき女性たち――と、見紛うほどの陰間の方々が控えていらっしゃった。そうして説明もないまま腕を引かれ、笹舟さん言うところの着せ替え人形の如く遊ばれてしまったというわけだ。


「…つ、疲れた…!」


着物や帯を足に纏わりつかせ、あたしはばったりと床に倒れ込んだ。窓から差し込む昼過ぎの光が眩しすぎる。


「あっはは、お疲れさん」


頭上から軽やかに聞こえてくるのは笹舟さんの声だ。陰間の皆さんから開放してもらったまではよかったものの、彼女(彼?)の「びしびし扱く」の一言に二言はなかったらしい。玉響屋での経験値を加味してもきつい訓練に、ここの所の運動不足も相俟ってあたしは既に音を上げてしまっていた。


「まあ予想以上に動けるみたいだから、ほっとしたよ」

「…あ、ありがとうございます…?」


午前をかけて叩き込まれたのは座敷での作法や話術、お酒の注ぎ方からもしもの時の対処法までと様々だ。勿論付け焼刃なことこの上ないため、正直なところこんなもので本当にいいのかとは思うのだが。


「…でも汀屋の方も大変なんですねえ」

「?何がだィ?」

「下働きでもこんなに色んなことを覚えなくちゃいけないんでしょ?あた…僕はてっきり膳の上げ下ろしくらいだと思ってたんですが」


ちなみにここで一人称を「僕」と改めたのは汀屋が他でもない陰間茶屋だからである。男色を扱うこの店において女性というのは極端に少ないのだ。女将さんや厨の人たちはまた別なのだろうけど、表に出るのは基本的に男性と考えていい。
しきたりを重んじるこの世界にあって例外は排除されるものだ。ゆえに事情を知っている笹舟さん含め、汀屋の者として働く以上は自分が男性である心積もりでいろと言われたのであって。

まあそれはさておくにしても、あたしの疑問は至極当然といえよう。しかし突っ伏したままごにょごにょと言うあたしに笹舟さんがきょとりと目を瞬かせた。


「そりゃァうちだって下働きにはここまではさせないさ」

「へ?だって現に僕はこんなにも疲れ果てているんですが」

「だーかーらァ、お前さんには座敷に上がってもらうんだって。そのためにこんなに苦労して、この“宵咲き太夫”があれこれ教えてやってんだろうが」

「……………ハ?」


何食わぬ顔で煙管に火を入れつつ笹舟さんが言い放つ。けろっとした表情で発された言葉にあたしは一瞬、それこそ語調が片言染みてしまうほどに動揺した。


「座敷に…上がる?」

「ああ」


煙立つ煙管の吸い口を含んで唇を窄めたまま頷かれる。途端さあっと血の気が引く音を聞いたような気がして、あたしは疲れていたのも忘れてがばりと立ち上がった。


「ちょっ!聞いてませんよそんなの!」

「そりゃあ勿論。言ってもなかったからね」

「こ、胡蝶姐様の文には下働きの扱いだと…!」

「始めはそのつもりでいたんだけどねェ…下働きっつったってそうそう動けるわけでもなし、下手に嗅ぎ回られてあちらさんに不審がられても美味くないんでね」


だから敢えて同席をさせることで、あたしの目的をスムーズに済ませようとしたのだと笹舟さんは言う。


「利害の一致と言うにゃァ多少こちらの分が悪いが、生憎と胡蝶には色々借りがあるからね。相手も三流の幕吏だし、万が一切られたところでこちらにも打つ手はいくらでもあるというもんだし」

「だ、だからって…」


最早言い返す言葉も見つからずはくはくと口を開閉させるしかないあたしに、座ったままの笹舟さんはにやりと口元を歪めて笑ってみせた。


「アタシゃこう見えて無二の面白いもん好きでねェ。基本物事の判断基準は面白いか否かなのさ」

「じゃあ今回の件ももしかして…」

「勿論、面白半分さね」


けらけら笑う笹舟さんからは悪気というものが感じられない。始終朗らかに笑っているこの人はやはり特殊な世界に身を置く人物で、それゆえに考え方だとか価値観だとかが凄く歪んでいるのだと痛感した。


「ま、こっちにゃ体面ってもんもあるからね。あの六花に仕えてた禿と知らなきゃすぐさま断ってたところだったんだが」

「は、はあ…」


それは喜んでいいのかどうか…。ことが上手く運んで嬉しいことに変わりはないが、どこまでも姫様たちにおんぶに抱っこ状態の自分が情けなくもある。
複雑な感情に少しだけ顔を俯けると、それに気付いてか笹舟さんが愛用の扇子で軽く頭を小突いてきた。小さな痛みに少しだけ目線を上げれば両目を眇めて綺麗に笑うその人が見えて。


「一日とは言えあんたはアタシらの身内も同然。汀屋を挙げて面白がってやるから、精々頑張ってやりたいことをやってみな」


にっこりと音がつきそうなくらいの完璧な笑顔を見せ付けられ、一瞬呆気に取られつつも頬が赤くなるのを感じる。見た目は完全に女性なのに時折除く男らしさや頼もしさについついきゅんとしてしまうなんて。
よもやこんな所で色気に当てられるとは思いもしなかった。そういう意味では鬼兵隊の総督である高杉も目の毒であるように思うのだが。


「(…まあ、あの人は本当に毒にしかならなそうだしなあ…)」


芳町に集まる陰間たちのように光差すような魅力は微塵も感じられない。どころかどこまでも引きずり込まれそうな闇を背負っているような、どこか後ろ暗い輝きを持っているように感じる。触れば致死の毒を盛られると知っていながら、それでも触れたいと願ってしまうのは、奴にそうさせる何かがあるとでも言うのだろうか。


「…やめよ」


思考に沈んで再び下りかけた頭を定位置に戻す。折角船を抜け出して来たのに、高杉のことを考えているなんて全然楽しくない。

ぐっと伸びを一つしてあたしは大きく息を吸い込んだ。そろそろ昼見世も終わる頃だし、陰間の人たちも早めの夕食に取り掛かるだろう。
既に笹舟さんは部屋を出てしまっていた。慌ててその後を追うように敷居を跨ぐと、着せられていた裾の長い着物が畳に擦れて軽やかな音を立てた。



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