火事と喧嘩は江戸の華だと、古くから人はそう言うが。


「ほぉらァ!ちゃんとこっち向いて!」
「ブッサイクな顔しないの〜!白粉が崩れるでしょ!」


空にきらめく星々よりも、春の日差しに咲き乱れる桜の花よりも、もっと美しいものがそこにはある。


「あっ、コラ!動くなって言ってんだろ!紅がはみ出たじゃないのさァ!」
「ねェねェ、帯はどっちがいいと思う?私はこの銀糸の刺繍が可愛いと思うんだけどぉ」


それは地上に凛と咲く大輪の華。夏の夜空に弾ける花火よりも鮮やかで、冬に舞い散る雪の欠片よりも美しい。羨望の眼差しを脚光に変えて、豪奢な着物や簪でおとぎ話のように飾り上げる。


「ああ、着物はややっぱりこっちがいいね。そんなに肌が白いわけでもなし、淡い色合いの方がみそっかす具合も隠れるってもんさね」
「じゃあ半襟は?若いから鴇色か若草もいいと思ったけど、着物が白藍なら紅色の方が合うかしら…」
「簪は…柳ね。藤も可愛かったけど、季節がねえ…」


そんな初夏の日差しを受けて立つ大輪の華たちに囲まれて――あたしは何故、こんな事態に陥っているのだろうか。


「えっ、ちょっ、すいません全然事態が把握できてな…ぐえっ!」

「余所見すんなっての!ちょっと誰かァ!髪文字(かもじ)持ってきてェ!」
「全く一体どこで切ったのこの髪は!ぼっさぼさで結わき辛いったらありゃしない!」


右を見ても左を見ても、わらわらと群がっているのは美しい花…もとい色町の住人たち。まだ店も空かぬ昼時なので化粧も薄く浴衣姿の人が多いが、きゃあきゃあと姦しい声をかれこれ半時以上も聞いているのでは混乱もするというものだ。
というか本当にどうして彼女たち――否、“彼女”たちですらないのだが――はこんなにもテンションが上がっているのだろうか。胡蝶姐様から頂いた紹介状を手にここにやって来たのが一時ほど前、あたしは今日一日ここ汀屋で下働きとしてお世話になる予定だったはずなのだが。

引っ張られた腕に幾枚もの着物をハンガーの如くぶら下げ、それとは逆方向に向かされた顔には何やら鮮やかな化粧が施されている。適当に結われた髪には試しとでもいうように重たい簪がぐさぐさと…それこそ生け花のごとく差し込まれていて、兎に角そんなあべこべな体制にあたしが呻き声を上げたその時だった。


「こらァ!お前たちはいつまできゃんきゃんと騒いでるんだィ!」

「「笹舟さん!」」


見事な濃絵が施された襖がすっぱ抜かれ、そこから空間を劈くようにして声が張り上げられる。同時に室内にいた人間の視線が一気にそちらへと向けられ、戸口近くにいた数人から甲高い声が上がった。


「そろそろ昼見世だってェから呼びにきてみれば……若い子捕まえてお人形遊びたァどーいう了見だィアンタたち!」

「だ、だってえ…」


威勢のいい声が上がるとそれまで騒いでいた人々が一気にしゅんとなる。肩を落としつつも果敢に言い訳をしようとする一人を扇子で打ち叩くと、その人はふんっと一つ鼻を鳴らして蒔絵入りの親骨を打ってこう言った。


「アタシらは腐っても芳町の花だろィ!既に客は集まって来てんだ、仕事とプライベートはきちっと区別してこそじゃァないのかィ!」


吐き捨てるように叫んで胸元でばっと扇子を開く。扇面に描かれた睡蓮が一気に花開くと、何やら得も言われぬ圧倒感を感じるのだから不思議というものだ。
暫くその余韻が続いたものの、俯いていた人たちがお互い顔を見合わせて頷きあうと事前に打ち合わせでもしてあったかのようにばっと立ち上がる。途端慌しくそれぞれの支度に取り掛かる彼女たちに、置いてけぼり状態のあたしは唖然と目を見開くばかりだ。


「…悪かったね」

「え、」


そこへ件の人物が話しかけてくる。雪崩れるように部屋から飛び出した人たち一人一人に声をかける姿は、まるで何かの妙技でも見せ付けられているかのようだった。


「あの子たちのことさ。悪い奴らじゃないんだ、ただちょーっと節介が過ぎるというか…」

「…ああ、気にしないで下さい。無理を頼んだのはこちらなんですし」


苦笑交じりに片方の目を軽く瞑る仕草がやけに板についている。その様子にあたしはへにゃりと頬を緩め、両腕に抱えたままの着物を皺にならないようそっと畳に降ろして畳んだ。
「そう言ってもらえると有難いけど」言って、その人は軽やかに笑う。


「そんじゃあ改めて、花火…だっけ?」

「はい」

「いくら胡蝶の紹介だからって、店に出す以上粗相されちゃァこっちが困っちまうからね。半日かけてびっしびし扱いてやるから、覚悟しときな」

「はい!よろしくお願いします、笹舟さん!」



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