遠くの空で雷鳴の如き轟きが渦巻く。下腹部に響くような重々しいその音は、盛りを迎えた夏を寿ぐ花々が夜空に咲き乱れる様を簡単に思い起こさせた。


「その通り、今日は海岸沿いの祭りがあるのですよ」


暗くなり始めた空の下首を傾げていると、考えを読み取ったとでもいうように背後から武市様が教えてくれた。寂れた港に停泊中のこの船からはよく見えないが、この辺りではかなり大規模なものであるようだ。数万発の花火が夜空を染め上げる様はさぞや美しいことだろう。


「…貴女今『ちょっと見てみたいな〜』とか思ったでしょう」

「え゙っ!い、いえ、決してそんなことは」

「馬鹿なのはその頭の中だけにして下さいね。夏の盛りで真選組の動きが活発になっているとの情報もあるくらいですから、貴女のような下っ端がのこのこ出て行った先で捕縛されたところで何の不思議もないんですよ」

「…はあい」


何やら酷い言われようではあるが、浮かれている場合ではないと落ち込む心を自制した。それに今日はここ数日考えてきたあの作戦の決行日でもあるのだから!


「大丈夫です武市様!別にわたあめ食べたいとか思ってませんから!」

「…はいはい」


呆れ顔のまま適当にいなされたのには釈然としない。振り返った先で配下の一人に呼ばれたようで、武市様はそのまま踵を返して船内へと消えてしまった。


「…よっし!」


その姿を見送ってから小さく拳を握る。
既に“ブツ”は昼餉の支度を終えてから準備してある。仕事の関係であの料理人の男性は帰ってしまったが、ここは一人でも本懐を遂げねばならないところだろう。(というか元々孤独な作戦だ)

逸る気持ちを抑えつつ小走りのまま廊下を駆け抜ける。既に夕餉の支度が整った厨房からは美味しそうな匂いが漏れて来ていて、締め切られた廊下には遠くの花火が低くこだまするようだった。







さて、所変わってこちら我らが総督の私室前。用意された夕餉の膳を提げてやってきたそこで、あたしは小さく息を吸い込んだ。


「失礼します。夕餉をお持ち致しました」

「…入れ」


襖越しにくぐもった声が返ってくる。入室の作法に則ってまずは軽く扉を開け、それから体が入る程度に敷居を滑らせた。そうしてまた一つお辞儀をしてから足音を立てぬよう敷居を跨ぐのだ。


「本日は茄子とお麩の揚げ漬しに鶏もも肉の唐揚げ、大葉とトマトを乗せて氷でしめたうどんです。唐揚げは荒挽きの黒胡椒でどうぞ」


膳に載せられた献立をなるべく食欲をそそるように説明する。内容は料理番の方からの受け売り、向上は武市様の真似事なのだが。
一通り言い終えてからちらりと横目で高杉を見やる。暑さにやられてか日頃から慎みを感じない着物の前合わせはほとんど全開になっており、折り曲げられた片足のせいで肌蹴た裾からは今にも下帯が見えてしまいそうだ。恥ずかしげもなくその体制のままぐったりと窓辺に凭れる高杉に、こんなのが仮初とは言え主人と呼ぶべき人物なのかと溜息が漏れる。これが姫様だったのなら、例えどんな状況だろうとも涼やかに笑っているだろうに。


「…高杉様」


咎めるように声を低くすれば包帯の巻かれていない右目だけがこちらを見る。ちらり、というようりもぎろり、という効果音が似合いそうなその視線は、一瞬肩が竦むものの既に慣れたものだ。


「睨んだって駄目ですよ。今日こそはちゃんと食べてもらいますからね」

「…食欲がねえ」

「お言葉ですけど高杉様のはただの食わず嫌いと一緒です。食欲が湧かないのは何も口にされないからですよ」


全くものを口にしない状態に慣れてしまった上にこの暑さだ。誰だって食欲の低下する季節であることに代わりはない。
しかしこの男の場合はそういう暑気中りとか可愛いもので終わらせてしまってはいけないのだ。そもそもこんなのは単なる我が侭であって、作ってもらっている以上きちんと箸をつけるのが当然というものだろう。


「ちょっとでいいから食べて下さい。みんな一生懸命作って下さってるんですよ」

「うるせえ…」


反論にもいつになく気概が感じられない。隠すことなく盛大に溜息を吐けば、今度こそ幾ばくかの殺気をもって鋭利な視線がこちらをねめつけた。ふんだ、そんなの全然怖くないんだからな!


「…仕方がないですね」

「…あ?」

「ほんとは最後まで取っておくつもりだったんですけど」


こっそり持ってきたものを静かな手つきで差し出す。ことりと膳に影を落として置かれた透明なガラスの椀に、高杉はぱちくりと目を瞬かせた。


「…何だこいつァ」


暗緑の瞳が訝しげに目の前のものを推し量っている。涼しげな器の中でゆらゆらと揺れる液体はまるで涼を誘うかのような色合いだ。


「桜色の白玉を糖蜜に浮べたものです。料理人の方にお願いして特別に作らせて頂きました」

「…お前が?」


問いかけにこくりと頷けば、立てられた膝に凭れたままだった上体がむくりと起き上がる。

あたしがあの料理番の男性に頼んだのは、喉越しのよさそうな冷たいデザートを作ることだった。夏場の食欲の落ちた時期、春に採取したレンゲの花の蜜を冷たく冷やしたものをよく母上が拵えてくれたのを偶然思い出したのだ。そこに白玉を入れようと言ったのはあの男性のアイディアなんだけど。



人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -