「ともあれ今はこの状況だな。雑魚だろうとも叩けば埃が出るかもしれねえ」

「えっ?」


と、短くなった煙草を地面に擦り付けて、膝に手を置いて立ち上がる土方を見て声を上げる。


「折角撒いたのにまた戻るんですか!?」

「ああ、逃げたところでまた見つかったら斬り合いになるだけだからな。面倒は早めに片付けておくのが頭のいいやり方ってもんだ」


「兵は迅速を尊ぶって言うだろ」などと知識人ぶってみせるのはいいんだけれども、それはただ単に喧嘩っ早いというのではなかろうか。人を見てというのも悪い気はするが、真選組の頭脳とか何とか言われてる土方は、見る限りでは本能的な部分が多分にあると思う。

濡れた着物の裾を割って土方はガシガシと自身の頭を掻く。今が夏場で本当に良かった。いくら危機的状況だとはいえ、考えたら“女装”の身として目の前の御仁を欺いているのだった。
舞い散る細かな水飛沫を避けつつ肌蹴た胸元を掻き合わせると、お情けで巻いてもらったさらしが僅かに緩んでいた。


「お前はここにいろよ。多分誰も来はしないだろうが、万一見つかったら大声出して逃げろ」

「ま、まさか一人で行くつもりですか?」

「当たり前だ。いくら小物とは言えお前を抱えてたら多勢に無勢もいいとこだからな」

「ちょ…っ!土方さ、「いたぞ!」


すたすたと出て行こうとする土方と押し問答を開始しようとした矢先、先ほどまで聞いていた濁声が倉庫の外から聞こえてきた。どうやら無遠慮に上げた声が外に響いていたらしく、あたしたちは冗談のようにあっさりと見つかってしまったようだ。


「…ちっ、どうやら遅かったみてえだな」

「えっ、ど、どうするんですか!?」

「どうするもこうするもこっちァ袋のネズミだ。応戦するしかねえだろうが」

「えええ!!」


驚愕に目を見開くあたしを他所に、土方は腰のものに手を宛がう。チキチキと鍔が鳴る音が背筋をぞっと戦慄かせた。


「そもそもてめェが文句垂れなきゃ避けられた状況だ。ビビってねえで腹決めろよ」

「い、一般人に無茶言わないで下さい…!」


言いつつも隠し持っていた懐剣にそっと手を伸ばす。お守り刀として忍ばせたそれをまさかこんなところで抜くことになろうとは思わなかった。というか持ってたところで使いこなせるとかではないのだけど。
震える手で取り出した懐剣に、土方は一瞬目を見開いてからニヤリと笑ってみせた。もしや何か感付かれたかとも思ったが、今はそんなこと言っている時ではない。


「いいモン持ってんじゃねえか」

「大事な方の形見ですから、本当はあまり使いたくないんですけどね」


鞘に拵えられた葵の御紋をそっと隠して抜き身のそれを構える。久しぶりに手にする重さに冷や汗が流れるが、四の五の言っていられる状況でないのも本当なので。


「まあ死なねえ程度に頑張れや」

「死んだら一生枕元に立ちますからね」


言い放った瞬間に重い扉が左右に開かれる。漏れ入る光に浮かんだ影は数十に上るだろうか。とりあえず、一人のお巡りさんと一般人で太刀打ちできる数ではない。


「見つけたぜ土方ァ…ここで会ったが百年目だ!」

「ふん、汚ねェ面しやがって。てめェの顔なんざ1秒だって覚えちゃらんねえよ!」


「ここで会ったが」なんてそんな台詞を言う人が本当にいるんだとこっそり感動している間もなく、土方の放った一言にこめかみを引きつらせた相手が切りかかってきた。


「死ねやあああああ!!!」

「下がってろ!」

「わっ!?」


左手で押しのけられたたらを踏むや否や、目の前でギインと鈍い音が響く。瞬間的に舞い散るのは刀が触れ合う際に起こる火花であって、薄暗い倉庫にはそれがやけに美しいものに見えた。


「ふっ!」


暫く拮抗していた二人は、しかし土方の押しによって決着をつけた。力任せに薙ぎ払った刀身に右腕を持っていかれ、腹部ががら空きになったところへ一太刀。醜い呻き声を上げて相手が倒れると、そこへ雪崩れ込むように敵が襲い掛かってきた。


「来やがったぜ!」

「ひええええ!!!」


何やら楽しそうな土方の声にあたしも懐剣を握り締める。そもそも剣術の覚えがない上にリーチの短い獲物では不利どころではないという話なのだが、どうやらそうも入っていられないようなので。


「うおらあああてめェも真選組の手先かァァァ!!!」

「ぎゃあああ違います人違いですううう!!!」


…とりあえず逃げ回ることを最優先しながら、あたしは必死に我が身を守ることにした。
襲い掛かってきた敵が刀を振り上げたところへ右足を突き出せば上手いこと金的が決まる。一瞬何かが込み上げるような顔をした相手は、次の瞬間には真っ青になりながら股間を押さえてその場に蹲ってしまった。


「ご、ごめんなさいいい!」


未だぴくぴくと痙攣したまま起き上がれないその人におざなりな礼を放り投げてあたしは再び逃げ惑う。とりあえず倉庫から脱出しなくてはと思うのだが、入り口を塞がれているためにそうすることすら出来はしない。
ちらりと振り返れば土方は既に十を超える相手を倒しているようだった。流石は鬼の副長と呼ばれるだけのことはある。しかしいくら土方でもこの人数相手は辛いものがあるのか、背中越しに見たその表情には苦しげな色が浮かんでいた。

と、そこへ背後から切りかかる影が。


「ちょっ!土方さん!うしろ!」

「死ねえええええ!」


叫びはしたものの、反応が遅れたためか既に白刃は振り上げられてしまっている。目を瞠る土方は既に前方の敵を相手にしているため応戦の体勢を取るのが難しいのだ。
何かないかと見回すあたしは、ふと手元の懐剣に思い至った。確信はないが、もうこうなったら一か八かである。


「土方ふせろおおおお!!!」

「はっ!?」


振りかぶって思い切り放りなげたのは抜き身のままの懐剣。切っ先を正面にしたまま直線を描くそれは真っ直ぐ敵に向かってゆき、そのままその背にダメージを与え――


――ガツンッ!!!
「ぐあっ!?」


…たのはいいのだが、刺さるかと思いきや弱っちい力で放り出されたそれは、硬い柄の部分が敵の後頭部を直撃するに終わってしまった。
カランカランという音を立てて空しく転がる懐剣。危機を回避できたのはいいが、どうやら敵の目はこちらに向いてしまったようで。


「こん…っのクソガキャああああああ!!!」

「ぎゃあああああああ!!!」


厳つい容貌をより恐ろしげに歪めながら大柄の敵が襲い掛かる。武器を放り出してしまったあたしはひたすら丸くなることしかできない。


「っ花(源氏名)!」


土方が叫んだのが聞こえる。しかし怒れる敵の刀は既に寸前まで迫っているのだ。
もうだめだ、覚悟を決めてぎゅっと目を瞑ったその瞬間。


――パンッ!パンッ!パンッ!
「な、なんだあ!?」


頭上に響く破裂音。驚いた敵が見上げた先には、割れた砲弾から溢れる紫色の煙が襲い掛かろうとしている様子があり。


「ぶわっ!?」
「何だこりゃあ!」
「くそっ、何も見え…っゲホッ、ゴホゴホッ!」
「おのれ土方ァ!味方を呼んでやがったとは…!」


苦しげな叫びが聞こえる中、あたしは未だ身を小さく丸めたままうずくまっていた。どうやら味方が来てくれたらしいのだが、こちらも煙によるダメージが大きく目を開けることすらできはしない。


「げほっ、げほごほっ!」


口を大きく広げて叫んでいたあたしは、予期せぬ攻撃によって思い切り煙を吸い込んでしまったのだ。催涙弾なのかただの煙幕なのかは知らないが兎に角息苦しくて仕方がない。


「っぐあ…!」


しかもこの混乱に乗じて何者かが押し入ったのか、そこここから聞くに堪えない呻き声が聞こえてくる。敵ではないようだが味方である保証もない。その上今となっては唯一縋りつける藁的な存在である土方でさえも、視界がほぼゼロの状態ではどこにいるか分からないのだ。
外にはまだ光が残っているというのに、倉庫の中は既にかなり薄暗くなってしまっている。立ち込める煙に巻かれて立っていることにも恐怖感を覚えた。が、へたり込んだあたしのすぐ傍でまた一つ呻くような声が聞こえる。思わず肩を揺らすが見えないのではどうしようもなく。


「ひっ、土方さん!ご無事ですか土方さん!死んでませんよね生きてますよね、だめならだめって返事して下さい土方さん土方さんひじかたさ「…家出中に主人を変えるたァ、とんだ尻軽がいたもんだなァ?」



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