――バシャバシャバシャバシャ!
大股の一歩を踏み出す度に足元で激しい水飛沫が上がる。沈む夕日に照らされまるで宝石の欠片の如くきらめくそれは状況が状況ならばとても美しかったのだろうけれど。


「ちょっ、まっ!ひ、土方さん!いたい!いたいです!」

「うっせえなちょっと黙ってらんねえのか!」


下腹部に回された逞しい腕が内臓を圧迫して苦しいを通り越して痛みすら訴え始めた。肩越しに上半身がぶらぶらと揺れるこの体勢は不安定極まりなくて、時折顔面すれすれにまで川面に迫られては、すっかり色を変えた土方の着物にしがみついた。


「待てえごらああああ!!!」

「ひいいいい!」


その上背後から聞こえてくるのはお世辞にも上品とは言えない野太い声、声、声。尻っぱしょりの着物の裾からは下の着物がちらちらと見え隠れしていてとても正視できたものではない。掲げられた右手には紛うことない真剣が握られており、ていうかあれ、廃刀令ってどうなってるの?ここの所普通に真剣ぶら下げてる人たちばっかり遭遇してる気がするんだけど!


「何やってんですかお巡りさん、しっかり仕事して下さい!」

「うるせえっつってんだろ頭から落っことすぞ!」


兎にも角にも河川敷で小休憩を取っていたはずがどうしてこんなことになっているのか。


「待てえええ土方ァァァ!!!」

「貴様らに討たれた仲間の恨み思い知れええええ!!!」


――考えずとも、今あたしを無遠慮に俵担ぎしている男のせいであるらしいのだが。







川が浅いもので本当によかった。これが万が一梅雨時なんかで増水でもしようものなら、今頃あたしはずぶ濡れどころか激流に飲まれて河口まで流されていたに違いない。


「…どうして川を横断するという判断に至ったんですか」

「…足場が悪けりゃ追っ手も撒けるかと思ったんだよ」


その分こちらも足を取られるという辺りには考え至らなかったのだろうか。質問する代わりに溜息を吐くと、いかにも心外だという風情で土方が眉間に皺を寄せた。


「荷物さえなきゃあんなんなんてこたァねえんだよ。いつもだったら返り討ちどころか熨しつけて三倍返しにしてるとこだ」

「…足手纏いで悪かったですねえ」


大橋がかかるほどの川幅を人一人担いで渡った度量には御見それしたが、ずぶ濡れのまま対岸の河川敷に這い上がるのは結構精神的にきついものがあったのだ。橋向こうとはいえ演芸で栄えるこの辺りは当然の如く人の出も多い。夕方に入って少しずつ減ってはいたのだろうけれども、それにしたってあの人目の痛々しさには文句も出ようというものだ。


「それとも何か、あそこに捨ててきてもよかったんだぜ俺ァ」

「何ですかそれ、警察官にあるまじき発言ですよ!」

「今日は誰かさんのお陰で一日オフになったらしいからな。責任なんざ知ったこっちゃねーよ」


実にああ言えばこう言う男である。
汀屋での宴会を見るにしても、トップである近藤を支えるために剣術以外の様々な手管を持っているのだろうことは伺えた。それが土方にとっては幕府という組織の中を生きていくための武器なのだろうし、口が上手いのは決して悪いことではない…と、思う。
だが今は状況を見てものを言って欲しい。これでは助けてもらった礼も言い出せないではないか。


「はあ…で、何だったんですかあの人たちは?」

「あん?」


再び溜息を吐くあたしの横で、土方は無遠慮にも煙草に火を点け始める。水に濡れて少し湿気てしまったのか白い煙が立つばかりのそれを眺めつつ、あたしは口を開いた。


「さっき挨拶もなしに斬りかかってきた方たちですよ。どう見てもカタギの方ではなかったと思うんですけど」

「ああ、あれな。恐らくはいつぞやぶっ倒した攘夷派連中の残党だろう」


曰く、攘夷派にも色々といるようで、ああ言ったいかにもゴロツキというような体の人間は大組織の末端に連なるような小物なんだとか。(まあ見るからにただのチンピラだったけれども)職業柄…というか、最早この人の性格も絶対にあると思うのだが、ああいう手合いに絡まれるのは最早日常茶飯事らしい。


「どうあっても敵を作る立場にいるからな俺たちは」

「…はあ、大変なんですねえお巡りさんも」


聞き知っていたことではあるにせよ、こうして実際その“茶飯事”とやらを経験してみると彼らの苦労を垣間見たような気持ちになる。普段は対岸の火事の如き出来事だったし、そもそもあたしは高杉のような人間と寝食を共にしている身なのだ。こうして目の当たりにしてみないと分からないことも多々あるということか。


「(そして良心が痛む話でもあるんだけど…)」


真選組の内情を探ると息巻いて出てきたものの、考えなくともあたしは悪の片棒を担いでいるようなものなのだ。居場所欲しさに必死になる余り大義というものを忘れかけていた。
どちらが正義かなんて分からないけれど、少なくともさっきのゴロツキのような攘夷派がいる限り真選組に心安らかな日々など訪れはしないのだろう。過労を心配されるくらい忙しい土方の悩みの種の渦中にあたしはいるのだと、改めて痛感した。

因みにあたしたちが今いるのは河川敷からほど離れた場所にある工場跡のような場所だ。今は使われていないらしく外観はかなり錆がかっていて、海が近いのかもしれないことを感じさせた。その倉庫の内部にこっそり侵入して延々と文句を言い合っている…実に不毛である。
吹き込んだ風が前髪を撫で付けるが、幾分か湿ったそれは数本の毛束を揺らすのみで終わってしまった。


「ま、あんなんものの数にも入りゃしねえけどな」

「おお、言いますねえ副長」

「ふん…厄介なのは寧ろその上の上だ。何になったつもりかは知らねえが、奴さんら高みの見物で俺たちのことを見下してやがる」

「…やっこさん?」

「そうさな例えば――」


高杉晋助、とか?
ニヤリ。人が悪いを通り越して最早悪人さながらの笑みを浮かべて呟く土方に、あたしはあろうことか一瞬表情を止めてしまった。何てタイミングで何て心臓に悪い台詞を吐くんだこの人は。内心跳ね上がって一回転はしたであろう心臓を服の上から必死に押さえつけて、あたしはできる限りの笑顔を取り繕う。


「た、高杉って、昨夜言ってた指名手配犯の?」

「ああ、野郎ときたら中々尻尾を出しやがらねえ。先に江戸に潜伏していたという情報があったきりぱったりさ。その癖やるとなったら面倒を引き起こしやがるから厄介なんだよなあ?」

「…へ、へえ〜?」


さ、最後の「なあ?」を何故こちらに問いかけるようにして言うのかがわからないんですが。
友好的とは行かないまでも、そこそこに良好な関係を育めていたと思っていたのに。疑わしいものを見る目つきはまさに警察そのものだ。誰がオフよ誰が!と叫びたいのを飲み込んで、どうにかしてこの場を乗り切るべくあたしは頭をフル回転させる。


「神出鬼没なんですね〜。本当に大変ですね土方さん」

「ああ、せめて情報の一つでもあればずいーぶん楽になるんだがなあ」


プッハー。わざとらしすぎる煙の吐き出し方に思わず握った拳が震える。
何か確信を得ているのか、それともただカマをかけているだけか。判然とはしないがあたしが決定的なミスを犯したとも思えない。疑わしきは、っていう本能なのだろうか。いやそれにしたって怖いけれども。


「そ、そうですよねえ。僕も何か協力できたらよかったんですけどぉ」

「だよなぁ。お前が何か知っていてくれたら、俺だってそれはそれは泣いて感謝するよなぁ」

「(白々しい…!)」


内心でギリギリと歯噛みしながら必死に胡散臭い笑みを保つ。
はてどうしてここに来てあたしがピンチに追い込まれているのやら。確かさっきまで寧ろ二人で苦境を乗り越えんと必死で逃避行を繰り広げてはいませんでしたっけ?



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