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近隣では割と有名な演芸場で件の“子ども騙し”を観劇し終えると、少しだけ太陽光は弱まっていた。真っ青だった空が少しずつ白と黄色味を帯び始め、時間帯は夕方へと向かい出す。夕餉の支度にと帰路を辿る人たちがごった返す通りをあたしたちは逆走しつつある場所へ向かっていた。
「いやあれは良かった。特にお静がペドロにローキックかますシーンがな、彼女の深層心理をよく暴いていたと思わねえか」
「はあ…」
水面が太陽に照らされて眩く光る河川敷。まるで黄金を敷き詰めたような輝きに目を細めつつ、隣にしゃがみ込む土方のよく分からない講評を聞く。
子ども騙しだ何だと文句を垂れていた割りに、土方は人一倍…否、人の30倍くらいの感動を得たようだった。確かに映画版をミュージカル仕立てにしたという割には面白かったし、奇抜な演出やペドロのキャラ性には素人ながら感心するものがあったけれど。
「あれは大人が見るに堪えうる作品だ。寧ろ大人が率先して見るべきだ」
「………」
何が彼の心にここまでの感動を呼んだのかはいまいち理解できないままだ。何というか、この人とは一生涯をかけても理解し合えないような気がしてならないのだが。
「よ、良かったですね。凄く感動したみたいで」
「ああ、またやんねえかな。次は帰って来たとなりのペドロあたりでも」
「いやよく分かんないですけど」
貴方が人並みに心揺さぶられることがあるのだと知って、あたしはそっちの方が感動です――と言いたいけれど。
花街のあるかぶき町にもつながる河川には大きな橋がかかっている。綺麗な弧を描くそれは何人もの通行人の重量に堪えられるようしっかりとした橋桁で支えられており、ここらでは名所にもなっているのだとか。
あたしたちはその袂に降り立ち河川敷から川面を眺めているところだ。水辺にいると日中の暑さがほんの少し緩和されるような気がするのだから不思議である。美しい光に誘われるように草履を脱いで足を浸すと、夏の訪れが嘘のように冷たい流れが皮膚を刺した。
「あー…気持ちいいー…」
「お前も大概親父臭ェだろうが」
「…多感な年頃なのでそういうことは心に留めておいて下さい」
不良っぽい座り方で岸辺からこちらを眺める土方は、相変わらず眩しそうに目を細めている。その視線の先が気になってそっと目をやれば橋に隠れた夕日が美しく町の景色を照らしているところだった。夏の夕べは長いというけれど、あたしはこの色んなものがはっきりと色を増し出すこの時間帯が一番すきかもしれない。
「土方さん」
「んあ?」
「今日は、ありがとうございました」
肩越しに振り返って礼を言うと土方が切れ長の目を少しだけ見開いた。漆黒の瞳は今ばかりは夕方の光に照らされて不思議な色を醸している。ああ、色男はそんな顔をしても似合ってしまうんだなあ。
「…何言ってんだ。礼を言われる筋合いなんざねェよ」
「いいんです。こっちが言っておきたかっただけですから」
頬が自然に緩むままに任せてにこりと笑えば、相手は何やらむず痒そうな表情をする。照れているのかとも思ったが、茶化したところで怒らせるだけであることは今日一日でよく理解していたので何も言わずに黙っておいた。
「こんなに遊んだのは久しぶりでした。休養とか言いながらすっかり楽しんじゃったなあ」
「…別に」
いいんじゃねえの。
ぽつりと呟くように放たれた言葉は止め処なく流れる川の音に紛れるようだった。それでも何となくその一言が嬉しくて、あたしは相変わらずにまにまとだらしなく笑っている。「不細工だな」なんて、照れ隠しに零された言葉にも腹が立たないくらいには今のあたしはご機嫌だ。
「綺麗ですね」
「ああ?」
「僕は…あまり外のことは知らないけど、こうして綺麗なものが沢山あるってことはやっぱり素敵ですよね」
「………」
「ふふ、口の悪いお巡りさんたちが守ってくれてるからですね」
「一言余計なんだよ」
結局茶化してしまうあたしに岸辺から小石が投げ込まれた。緩く弧を描いて足元に落ちたそれは川面に美しい波紋を生み出して水底へと沈んでいく。
そう言えば開発が進んだ一帯であるにも関わらず随分と水の流れは綺麗に見える。その言葉に「見た目だけだ」と土方は返したが、それとてこうして心が穏やかになるのならば。
「…お前」
「はい?」
「確か、花(源氏名)っつったな」
「…随分今更ですね」
「そりゃ源氏名か?」
「はあ?」
突然の意味深な質問に頷くと何やら思案顔を浮べる土方。何かを思っての問いかけではないのだろうけど、即席で与えられた名前にツッコまれるとは思っていなかったので思わず肩が揺れてしまった。
と、呼ばれ慣れない名前にどう返そうかと思案していると不意に土方の気配が揺れた気がした。何かと思い顔を上げると随分恐ろしい顔でこちらを見つめていて。
「は、何――」
纏う着流しの合わせ目を捌いて土方が立ち上がるまでが一瞬、目を見開く間もなく詰め寄られて声がでない。ただ驚くしかできないあたしなど意にも介さず、懐に飛び込むように一足飛びで川の中に突っ込んできた男は物騒な顔でニヤリと笑った。
「動くなよ!」
「………っ」
迫る切っ先に体が強張る。
続く爆音に体が浮かび上がるのを感じたのは、次の瞬間のことであった。
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