「…信じられません」


食後、どこか満足気な顔で楊枝を銜える土方に対し、あたしはぐったりと脱力してしまっていた。それは何故か。


「昨夜は近藤さんが言うから一応我慢しといたんだよ。やっぱ定期的に摂取しねーとマズいな」

「…土方様の言う定期でマヨネーズ摂られたら大概の人間は何らかの病気にかかります」

「だからその様をやめろっての」


こちらの訴えは聞かない癖に、呼び名如きにこだわるなよ。と、思いつつも何だかもう様付けしているのも馬鹿らしくなってきてしまっている。「土方さん」と小さく呟けば、よしとばかりに数回頷く姿が目に付いた。


「さて、じゃあ飯も食ったし俺ァ帰るわ」


はしたなくも正座のまま前方に上半身を折り曲げていたあたしだが、その言葉を聞いてがばりと顔を上げる。


「だめです」

「ああ?何でテメーに止められなきゃならねェんだよ。こちとら仕事が山積みなんだっつーの」

「じゃあ尚更だめです。行かせられません」


上着を肩にかけて立ち上がろうとする土方の裾を掴む。不機嫌そうな容貌がこちらを向くや、寄せられた眉が器用に片方だけ持ち上げられた。


「意味が分からん。俺ァ行く」

「いやだからだめなんですってば!」

「はーなーせーやァァァ!」


しかしそのままあたしごと牽引して部屋を出ようとする土方。っていうかこれ凄く痛い!分かってやってんのかこのやろう!
ずるずると音を立てつつ互いに引っ張り合う不自然な体勢のままとうとう襖の辺りまでやって来てしまった。ちくしょう、こちとら休ませろと頼まれてるんだ。どれだけ下っ端だろうとこのプライドにかけて仕事を全うせねば気が済まない!


「お、お願いです」

「あ?」

「行かないで下さい。もう少しだけ…」


ここに、いて下さい。
縋るような瞳に加えあたし的に飛び切り可愛らしいおねだりを発動させてみる。ついでに上目遣いもプラスすれば女の武器フル活用である。これで堕ちなきゃ何よりもまずあたしのプライドが折れるというものだ。
うるうると不自然に潤ませた目に流石に反応した土方は少しだけ目を見開く。同時に足に込められていた力がふっと消えて、困ったような声が頭上から聞こえてきた。


「あー…その、何だ」

「は、はい」

「悪ィが、今そーいうのは受け付けてねェんだ」

「…はい?」


土方が振り向き、すっと膝を折る。目の高さが大体同じくらいになったところで視線が絡み、どことなく尋常ではない雰囲気がその場に出現したような気がした。


「というかまず男ってのがねェ」

「…あの、一体何を?」

「お前の気持ちには応えられねェってこった」

「………っち」


ちがああああああう!!!!!
叫びだしたい気持ちを押さえ込みつつもその突拍子もない言葉にがくりと項垂れる。そうか、この人こんな性格だしこんな味覚だけど顔はいいからモテそうだもんな。花街なんかに行ったら囲まれることも少なくはなかったのだろう。
恨めしげな視線で見上げると眉を垂れ下げる土方がいた。警戒していた相手にこんなことを言われ困惑しているのか。とりあえず足止めができたなら何でもいいのかもしれないが。


「…随分ばっさりと切り捨ててくれますね」

「昨日今日知り合った奴に惚れた腫れた言われたところで真実味がねェ」


ええ、確かに真実味なんて欠片もないですけど。


「じゃあ今日一日僕と過ごしてくれたら諦めます」

「何だそりゃ。都合のいいように話を「じゃなきゃこのまま離しませんからね」

「…てめえ」


眉を吊り上げるあたしに土方の頬がひくついたのが分かった。
変に意地を張らずに近藤さんに頼まれたと言ってもいいのだけど、この男が素直にそれに従うとも思えない。もうここまで来たら布団に縛り付けてでも休ませてやろうじゃないかと、何やら妙なところで闘志に火がついた。


「それどころかいたいけな僕に刀を向け、卑猥な単語を連呼したと吹聴します」

「ひわ…って誰もそんなこと連呼してねェだろうが!」

「イメージって大事だと思いますけど」

「…お前、さては性格悪いな?」

「鬼の副長さんが何を」


何やら喧嘩腰になってしまったけれど、盛大な溜息を吐いた土方から力が抜けたようなので作戦は成功と言えるだろう。渋々ながらも部屋に戻り腰を下ろした土方は、そのまま懐から“けーたい”を取り出してどこぞに電話を掛け始めた。


「…もしもし近藤さん?ああ、俺だ。昨夜は悪かったな」


ふむ、話を聞くに相手はどうやら件の局長さんらしい。土方は面倒気な口調で今日一日の有休が欲しいという旨を伝えていた。すると電話口からこちらに聞こえてくるような音量で了解の返事が返ってくる。


『えっ、マジで!?全然オッケー!寧ろそのまま何日か泊まらせてもらったら!?』

「いやそこまではいい…っていうか何でそんなに喜んでんだオイ」

『べ、べべべっつにィ?あっ、山崎が呼んでるから早く行かなきゃだわ!じゃあなトシ、ゆっくり静養するんだぞ!花(源氏名)ちゃんにもよろしくな!』

「あっ、オイコラ!」


逃げるように電話を切った近藤さんはどうやら嘘も苦手なようだ。一連のやり取りによって真意が露呈したらしく、三白眼が視線鋭くこちらを睨みつけていた。


「…謀りやがったな」

「さて、何のことでしょう?」

「後で見てろよ。公務執行妨害でしょっぴいてやっかんな」

「そういうの職権乱用って言いませんか?」


さて、外は快晴である。この仕事人間を一体どうやって休ませようか。





「じゃあ、行って参ります」


表玄関から堂々と手を振り、店正面の小路へ足を下ろす。がらりと静かに空いた扉の向こうは気持ちのいい青空で、室内の暗さから抜け出た両目に一瞬の眩暈を齎した。


「ゆっくりしてらっしゃいませ、ご両人」

「…誰がご両人だ」


笑顔で手を振り返す笹舟さんはじめ汀屋一同の皆さんに、土方はぐったりとした返事を返す。
市中に出かけたいと女将さんに告げにいく途中、見事に昨日席を同じくした陰間のおネエさんに捕まってしまえば話が広まるのはあっという間だった。昨夜は床仕事でお疲れの方も多いだろうに、爛々と目を輝かせて飛んでくるあたりに何やら妙な逞しさを感じてしまう。そうしてあれよあれよといううちにあたしは着替えに、土方は世間話に借り出され、支度が出来た時には体力の半分が損なわれてしまっていたのであった。

店の私物であろう渋い色の着流しを纏う土方は昨日と幾分か雰囲気が違って見える。かっちりした真選組の隊服よりもとっつきやすそうであたしは好みだ。腰のものさえ下ろしてくれれば尚いいんだけど、お侍さん相手に言うのも無粋だろうとそこは目を瞑ることにした。


「…ったく、俺は着せ替え人形じゃねェんだぞ」

「あ、やっぱり洗礼に遭ったんですね」


土方の言葉につい昨日の自分を思い出して笑いが漏れる。かく言うあたしも「お出かけするならめかさないと!」とやる気満々の姐様方に囲まれていたのだけれど。


「ったく同じ男に触ったところで楽しくも何ともないだろうによ」

「そんなことはないですよ。あの人たちはあの調子だから素敵なんです」

「俺にはわからん」


汀屋の庇から抜け出すと強い日差しが肌を焼く。思わず小さく呻いたあたしが空を見上げながら額に手を翳すと、おもむろに土方がこう言った。


「傘を持たせた方がいいんじゃねェの」

「…え?」


ぶっきらぼうに、しかもぼそっと言われただけの一言だったが、あたしはそれを聞き逃さなかった。まさかこの人に女性(厳密に言えば今のあたしは違うのだけれど)を気遣う心を持っているとは思わなんだ。
驚きに目を見開いていると、視線に気付いた土方が「何だよ」と不満気な声を上げる。


「…いえ、ちょっとびっくりしてしまって」

「俺の気遣いがそんなにおかしいか」

「というか、そういうことに気付けるんだなあと」

「お前ほんと後で覚えてろよ」


しみじみと言うあたしに土方のこめかみがひくりと動く。が、珍しい女の子扱いが嬉しくてつい頬が緩んでしまうので、緊張感というものは一切沸き起こることはなかった。


「ふふふ、嬉しかったんですよ」

「…そーかィ」

「でも折角空が綺麗なんだから、傘で隠しちゃ勿体ないですよ」


未だ日陰にいる土方の腕を引っ張って道の真ん中まで連れ出してみる。つんのめるように姿勢を崩した相手は一瞬怒ったような表情をするが、それにさえ笑みを返せばとうとう呆れた溜息のみが返るばかりになっていて。


「知らねェぞ。若いうちはよくてもババアになった時にシミだらけになるらしいぜ」

「いいんです。僕は自然体で生きていくんですから」

「自然体っつーか野生だろ」

「土方さんあとで餡蜜奢って下さいね」


下らない言い合いも道中の楽しみの一つだ。久しぶりに感じるその自由さにあたしのテンションは高まる一方である。


「土方さんはどこに行きたいですか?」

「どこでもいい。強いていうなら帰りてェな」

「これから仕事の話したら罰金取りますね」

「警察からカツアゲたァいい度胸だな」

「はいはい、それよか行きたい場所!」


一方でご機嫌斜めな副長様を宥めすかして歩を進める。流石に歓楽街の通りを抜け出る際には多少の気を使っていたみたいだけれど、大通りに出てしまえばひたすらだらだらとした歩みが続いていた。


「別にどこだっていいんだよ。つーか無理矢理連れ出してんだからお前が決めろ」

「そんなこと言ってると女の子しか寄り付かないようなお店に連れて行きますよ」

「おいコラ俺は客だろうが。少しは気を使え」

「えええ」


今更気遣いも何もあったものじゃない気もするが、一応のお客様がそういうならと溜息を吐く。


「この辺りは結構いらっしゃるんですか?」

「まあ巡察程度にはな。だがこうして歩いてみたりすんのは中々ねェな」

「じゃあ今日はこのままぶらぶらしてましょうか。遠出もいいけど、一応休養ってことになってますし」


下手に動いて勤務中の隊士と鉢合わせるのも気まずいだろうと、それなりの気遣いを発揮してみる。するとその意図に気付いたんだかどうなんだか、「まあそれでいい」という何ともやる気のない返事が返された。


「あ、でもちょっとだけいいか」

「?」

「そこの店でマヨネーズをだな」

「出先ですらマヨネーズ使う気ですか!?」



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