夏の盛り、葉月の上旬。狂ったように鳴く蝉たちは今日も忙しなくその命を精一杯に弾けさせており、涼風を求めて開いた障子の向こうから騒がしい声が聞こえてくる。連日の熱さで地上は最早茹で釜状態、真夏日を越えた猛暑日の終わりは未だ見えそうにない。
涼を求めて海辺に集まる人も多いとニュース番組のリポーターが伝えていたのを聞いたのは一週間ほど前のことだ。けれど毎日海の上にいるはずのあたしたちは干物のように干からびており、精鋭揃いの鬼兵隊と言えど酷暑に士気は下がる一方である。


「…また残してる」


そんな中、船員の末端に位置するあたしは少しでも暑さに打ち勝つようにと、より気合を入れて日々の仕事に当たっていた。と言っても与えられるのは船内の雑用ばかりで、よくても精々総督である高杉晋助の小姓としてのお勤めがぽつぽつ入ってくるくらいだ。
今日も今日とてご主人様こと高杉このやろうのところまで昼餉の膳を届けに行く。そうして半時ほどしてから膳を回収に向かうのが常となっていたのだが、下げられたそれらを見てあたしは苦々しげに眉を顰めることとなった。


「ああもう!折角この物価急騰の折に野菜をしこたま仕入れたって言うのに!箸すらつけてないだろこれ!」


薄暗い廊下を荒い足取りで辿りながら悪態を吐く。手に提げた膳には届けた時のまま残された料理の数々が並んでいた。

温暖化を思わせる尋常ならざる暑さのせいもあってか、元々食が細く偏食家な高杉は全くと言っていいほどものを口にしなくなっている。数ヶ月ほど前から雇っている下働きの人々があれこれと頭を悩ませてくれているらしいのだが、どうしても食べようという意思が持てないのだとか。
前々から思っていたのだが、恐らく奴は相当イイとこのお坊ちゃんだったのではなかろうか。彼の嗜好を見ても割合に高価な上級のものばかりを好むし、第一このご時勢に好き嫌いを堂々とまくし立ててご飯を無碍にするとは不届き千万もいいところだ。元貧乏代表としては見過ごせない事態である。
何とか無駄を出さないようにと工夫してはいるものの、生来の気質は中々直るものではない。しまいには万斉さんか武市様あたりに「あーん」を仕掛けてもらおうとまで考えていたのだが、相談の段階で本人たちから断固反対のお言葉を頂いてしまっているので恐らく成就はしないのだろう。

そんなことを考えつつ厨に戻ると、既に片付けを終えた料理係の人たちがぞろぞろと出て行くところだった。換気扇が数台備え付けられているものの夏場の厨房の暑さは尋常ではない。誰もが頭に手拭いを巻き、滴る汗を拭いながら手の平をパタパタさせている。


「あのっ、お疲れ様でした!冷たいお茶でも用意しますので、休憩なさって下さい!」


そこへ駆け寄り声をかけると、始めこそ「女子供とは」と疎遠がちになっていた彼らも疲れた笑顔を見せてくれる。既に人のはけた広間へ移動するよう促して、あたしは厨房へ向かうべく足を速めた。


「…ああ、やっぱり今日も残されちまったか」

「え?」


と、すれ違う中の一人が小さく呟いたのが聞こえた。思わず顔を上げると苦笑がちな表情と視線がかち合う。


「今回は結構頑張ったつもりなんだけどなあ…」


笑いながらもどこか消沈したような面持ちで頬をかくその人は、どうやらこの“高杉御膳”を用意した張本人であるらしい。見慣れぬ顔なので新入りの人なのかもしれない。(鬼兵隊は情報漏洩を防ぐため、末端の入れ替えが激しいのだとか)用意したままの姿を残して返された膳に、明らかに落胆を含んだ溜息が落とされた。


「…申し訳ありません。お体のこともありますし、何か口にするようには言ってるんですけど」

「別にアンタに謝ってほしいわけじゃねえよ。でもなあ、こっちも一応料理人としての意地ってモンがあるからよォ」


顔を落とした先では夏にぴったりなメニューが所狭しと並べられている。普段は白米のところを栄養価を考えた上で麦飯を取り入れ、主菜には季節の魚や野菜がたっぷり使われている。その上熱いばかりでは食欲も低下しようと、スープは丁寧に裏ごしされた冬瓜を使ってひんやりと冷たく仕上げている。
これならば暑い夏でも美味しく頂けること請け合いな献立に、しかしどこぞのお坊ちゃまは顔色一つ変えようとしない。傍若無人もいいところなその振る舞いと、目の前の人の胸の裡に、あたしはカッと頭が暑くなるのを感じた。


「あのっ!」

「?」


突如声を張り上げたあたしに男性が目を見開く。


「い、いきなりどうしたよ」

「もしご迷惑でなかったら、あたしに料理を教えてもらえませんか!」


突拍子もない提案にその人は盛大に眉を顰めた。あたしの勝手なお願いゆえ時間外労働となってしまうのが申し訳ないところだが、こんなにも努力してくれている人をそのままにしておいていいものか。いやいいはずがない!
がちゃがちゃとうるさく膳を鳴らし、握り拳を翳さん勢いで言うあたしに尻込む男性。何故かこちらが熱くなってしまっているのが疑問ではあるが、何とか了承をもらうことができた。

こうして元貧乏田舎者によるお坊ちゃんの好き嫌い撲滅作戦が始まったのである。…勿論、主催はあたし一人であるのだが。



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