「またのお越しを」


ぺこり。慇懃に頭を下げて去っていく車を見送る。鈍い音を立てて走っていく黒塗りのその後姿をちらりと上目気味に見やりつつ、あたしは小さく溜息を吐いた。

時刻は暁九つを過ぎたところ。花街なら大門が閉められる時間帯となり、ほんの少し前に大騒ぎの宴会も幕が閉じられたところだ。
主催である錫高はお酒が入り笹舟さんと散々ベタベタでき、またおまけ程度に真選組の話が聞けたと大満足で帰っていった。どうやら真性のスキモノであるらしい。

既に踵を返し店の中に戻っていく笹舟さんの背を追うようにあたしも敷居を跨ぐ。それと同時に番台さんが店先の暖簾を下ろすのが見え、ふと目をやれば周囲の店も店頭の提灯の火が吹き消されていた。
この後はもう客つきであろうがなかろうが床に入るばかりだし、あたしの仕事は終了である。

…はず、だったのだが。


「…いーい具合に潰れたモンだね」


目も当てられないほど散らかった一室にうつ伏せになるのは全身黒ずくめの男前。半身を剥かれながらも完璧な振る舞いで錫高を見送ったことは賞賛に値する。…まあ、直後にこうして糸が切れたようにくず折れたわけだけれども。
見送りから戻った笹舟さんや陰間の人々、それと近藤さんが土方をぐるりと取り囲む。寝ていても分かる整った顔立ちに隣にいた陰間さんがきゃあっと声を上げるが、それにすら気付かないほど熟睡しているらしい。お侍さんがこんなんでいいのか。


「あー…スミマセン。存外こいつは酒に弱くて」


と、頭をかきながら言うのは意外にも酒に強かった近藤さんである。彼自身もかなりの量を空けていたから既に足元はフラフラであるが、割りと意識ははっきりしているしこうして部下を擁護できるくらいには明晰だ。…その実上半身は裸にスカーフと隊服の上着、下半身は危うく褌一丁になりかけではあるが。
らくがきだらけの顔で錫高を見送った近藤さんは、おーいと土方の肩をゆする。無遠慮に力を込めているようだがちっとも起きる気配がない。だめだこりゃ。溜息を吐いてあたしも近藤さんの隣に膝を折る。


「土方さまー?起きて下さい、もうお帰りの時間ですよ」

「…うるっせェな、三枚にオロすぞ」

「………」


…が、触れようとしただけで殺人予告を受けました。
物凄く恐ろしいその雰囲気に気概だけで立ち向かうも既に心は折れそうだ。近藤さんが微妙な顔つきで謝ってくるが、そんな変ならくがきだらけの顔で言われても。

と、そこへ何事か考え込んでいた様子の笹舟さんがぽんと膝を打った。


「どうでしょうねお侍さま、今夜ばかりはこちらにお泊りになられては?」

「「はっ?」」


明暗とばかりに言い放った笹舟さんにあたしと近藤さんの返事が重なった。いやいやいや、お泊りになられてはってそんな軽佻な!


「元よりウチはお客様あっての商売。いつもご贔屓にして下さる錫高様のお知り合いともなれば、丁重におもてなしするのが義理ってもんで」

「ちょ、ちょっと笹舟さん!」


全うな台詞を格好良く言うその人に一瞬見蕩れかけるが、正直言ってこちらは気が気じゃない。いくらあたし自身は一般人だからといって、多少なりとも鬼兵隊に縁故のある人間なのだ。それを知っていて敵方である真選組をホイホイ招き入れるなんて、正気の沙汰とは思えない。
そういい募ろうと口を開いたあたしだったが、それよりも早く近藤さんが笹舟さんの手を掴む。


「そうして頂けるとありがたい!」

「ええっ!?」


らくがきだらけの顔を綻ばせて言う近藤さんに、そうだろうと笹舟さんが返す。どうやら二人の耳にはあたしの声など届いていないようだ。元より下っ端であるこちらの話を太夫の笹舟さんと曲がりなりにもお客である近藤さんに聞いてもらおうと言うのが間違っているのかもしれないが。


「(それでもこれはやばいって…!)」


青褪めるあたしを他所に話はどんどん進んでいく。
何でも真選組副長である土方はここ最近まともな休息を取っていなかったらしい。激務に次ぐ激務を当たり前のようにこなし、その上で上との仲介役をしたり部下の尻拭いをしたりと文字通り忙殺される日々を送っていたのだとか。今回の接待も上役からの命で嫌がる土方を渋々参加させたとあって、内心近藤さんも申し訳なく思っていたようだ。


「ワーカホリックというか、休め休めといくら言っても意地張って休もうとはしなくてですね…もういい加減縄でふん縛ってどっかに閉じ込めてやろうかっていう計画まで立ち上がってたくらいなんですよ」

「………」


後半何やら不穏な気配が漂ってはいたが、兎に角近藤さんたちが土方をいかに心配しているかを切々と説明される。そこまで言われてはこちらとしても断りづらいものがあるし、第一背後にいた陰間の人たちは何に感動したんだか「おいたわしや」とばかりにほろほろと涙を流している。こんな状況に陥った今、ただの厄介者のあたしが何を言えようか。


「…だ、そうだけど?」

「…部屋の用意をして参ります」


唇を噛み締めてそう返すと、笹舟さんはしてやったりとばかりに微笑んでみせる。妖艶な笑みはいつにも増して美しいが、「面白いもの好き」の言葉を聞いてからはどうしても悪戯を企んでいるようにしか思えない。
が、渋々部屋を後にして空き部屋の確保のため足を踏み出したあたしに更なる不幸が降って湧いた。


「ああ花(源氏名)、土方様の相方はアンタだったんだから、しっかり最後まで面倒見るんだよ」

「は…?」


さらりと落とされた言葉に驚いて背後を振り返るが、既に笹舟さんは部屋を後にしようとしている。代わりに半裸の近藤さんが散らかった服ごと土方を抱えているのが目に映り、「悪いなあ」と言わんばかりの苦笑顔にあたしはがっくりと肩を落としたのだった。


「…こちらです。足元お気をつけ下さい」


たった一日ちょっとではあるにしろ、笹舟さんに最低限の知識を叩き込まれたあたしは迷うことなく店の奥へと足を進める。背後に聞こえるのは大柄な近藤さんの足音と、その肩に担がれた土方の爪先が畳に擦れるずるずるという音だけだ。ほの暗い廊下を照らすべく蝋燭を手に掲げ、最奥の一室の前であたしは足を止めた。


「えーと…お布団は中に敷いてあります。あた…僕は手拭いを冷やして参りますので」

「ああ、すまないなあ」


入れ違うように室内に入る近藤さん。その背中を見送るや、あたしは襖を閉めて階下へと向かった。目的は勿論、手拭いと氷枕をもらうためである。


「はあ…」


吐き出した溜息が廊下に霧散するのを聞く。どことなく居心地の悪い思いを引きずりながら台所へ向かうと、そこには先ほど背を向けたばかりの笹舟さんの姿があった。


「あ…」


小さな声を上げれば紫煙と共に振り返るその人。どれだけ片づけが早いのか、豪奢な内掛けは既に脱ぎ捨てられている。


「おや、お疲れさん。お侍さんたちはどうしたね」

「お部屋にお通しして…寝苦しそうなので、冷たい手拭いでも持っていこうかと思ってたところです」


ふうん、興味なさげに煙管を吸うと、笹舟さんは自ら厨房に下りて何やら家捜しをし始める。暫くして戻ってきたその人の手には氷の入った桶と濡らした手拭いが携えられていて。


「ほら、これを持って行きな。汀屋でアル中が出たとあっちゃあ店の名折れだからね」

「…はあ」


飄々としたテンションの笹舟さん。面白がっているのか心配しているのかよく分からないその人に、あたしはそろそろと視線を返すことしかできない。
が、それに気付いてかまた一つ紫煙を吐き出したその人は、にんまりと面白そうに唇で子を描いてみせ。


「それはそうと花(源氏名)、今日の宴で何か収穫はあったかィ?」

「え…?」

「アンタの目的はお侍に酒注ぐことじゃないだろう。ましてやその看病でもない。アンタの大事な誰かさんのために、情報収集に来たんじゃないのかィ?」


笑い混じりに問い返され、あたしはカアッと頬が熱くなるのを感じた。


「だっ、大事な誰かさんなんていません!」

「おやおや、大声をお出しでないよ。幕府のお犬様共が降りてきちまうだろ?」


意地悪げに言われ、あたしは慌てて口を噤んだ。確かにまだ二階に真選組がいるこの状況で堂々と口に出すことではない。


「まあ初座敷とあっちゃァ潜入仕事なんて難しいとは思ってたけどね。錫高様が色々聞いてはいたみたいだけど、それ程情報は手に入らなかったんじゃないのかィ」

「う…そ、それは…」


確かに、あたしは土方と睨めっこをするのに精一杯になっていて、第一目的である情報収集などすっかり忘れてしまっていた。
今日聞き出せたことと言えば真選組の鬼兵隊に対する警戒態勢や、近況ばかりだ。具体的な彼らの動きなどちっとも把握できていない。


「アンタは嫌だと言い張るけどね。何事もチャンスに変えてこその花街だよ」

「…え?」

「可愛い可愛いお花(源氏名)のため、姐さんたちがもう一度機会をあげようってのさ」


綺麗なつま先でおでこを弾かれ、あたしは後方に数歩たたらを踏む。くすくすと笑う笹舟さんの声。今度は、それが心地よく耳に響いた。
要するに笹舟さんたちは、まだまだ未熟なあたしに情けをかけてくれたのだ。窮地に敢えて身を落とすことも、情報収集の一つの手段なのだと言って。


「どうするかまでは教えてやれないよ。そこはアンタの腕次第だ」

「は、はい!」


にんまりと笑うその顔が紫煙に見え隠れする。あまり吸ってると肺を悪くしますよ、あたしが言うと、余計なお世話だと笹舟さんが笑って返した。



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