「ふん…松平の狗めが」


ついでとばかりに吐かれた雑言もしっかりこちらに届いたらしい。一層眼光を鋭くする土方には正直恐怖しか覚えないのだが、まあそれは相手方にも伝わったようなので効果は抜群というところだ。


「ま、まあまあトシィ!申し訳ありませぬ錫高様、こいつはどうも生真面目な性質でして」


慌てて近藤さんがフォローに入る。中々苦労してるんだなあこの人も。
わざとらしい取り成しに錫高は目を眇めて扇子の軸を叩く。ぶっきらぼうに突き出した右手の杯に笹舟さんが酒を注ぐと、一気にそれを飲み干した。


「高杉…というのは、いつぞやニュースになっていた?」

「お、おおそうだ。そなたも名くらいは知っておろう?」


重くなる空気を払拭するように笹舟さんが口火を切り、それに錫高が便乗する。回復した機嫌に近藤さんはあからさまに息を吐いていたが、土方は相変わらずムッツリと顔を顰めるばかりで。


「最近はもうすっかり鳴りを潜めておりますよ。一時は江戸に潜入の気配ありとのことだったのですが、それもぷっつりと途絶えまして」

「ふうむ…相手も中々の逃げ足のようだな」

「ええ、こちらも全力を持って捜索を続けておるんですが」


世間話のように広げられる犯罪談義に、あたしはほんのりと冷や汗を垂らす。どうでもいいけどどうしてこの話題になったかなぁ…別にすぐさま正体がバレるということもないだろうけど、万が一話を振られた時が怖い。知らぬ存ぜぬを貫き遠そうにも、この土方という人物が横にいるのでは威圧感がハンパではないのだ。


「じゃあもしかしたらこの辺にいるかもしれないってこと?」

「やだァ、怖〜い」


一方不安げに声を揺らすのは一緒に座敷に上がっている陰間の皆さんだ。本当に怖いと思っているのかどうか怪しいところではあるが、彼らの演技力は賞賛に値する。女性顔負けの可愛らしい仕草と表情で縋られるなんて、それこそ男のロマンというやつだろう。現に錫高やその取り巻きは鼻の下を伸ばしてデレデレしてるし、近藤さんだって真っ赤になってアタフタしている。


「ハハハ、何も怖がることはない。我らが守っているのだから」


高揚した銚子でのたまう錫高はもう絶好調だ。頼もしい風情で言い放つ言葉に周囲の人々は「きゃーっ」と甲高い声を上げる。実際のところ彼がどんな役職に就きどんな働きでもって陰間の人々を守ってあげるのかは知らないし、皆さんだって本当はどうでもいいんだろうけど。


「…随分平気な顔をしているな」


と、そこへ横からかけられる声。微妙に深みを増したそれは恐らく酒が入った影響だろう。錫高に向けていた視線を回せば仄明るい行灯が影を作る精悍な面差しに見つめられて、色んな意味でどきりと胸が高鳴るのを感じた。


「江戸住まいなら先のニュースも聞いてるだろうに。お前は指名手配犯が怖かねェのか?」


訝るように聞いてくる土方の右手はさっきから食べもしないつまみを箸の先で突き回している。行儀が悪いなあと思いながらも顔には出さず、わざとらしくない程度ににこりと微笑んで返事を返した。


「ええと…怖いというか、実際テレビの向こうの出来事ですから。実感が湧かないと言いますか」

「ふうん…一般市民にしちゃそんなもんか」


言って、手に持っていた杯を軽く煽る。何かを疑っているわけではないようであたしはこっそりと胸をなでおろした。同時におまわりさんも大変だなあなんてことを思う。彼らがどれだけ必死に頑張っても、こちらに伝わってくることなんてほんの僅かなんだ。
そう思うとちくりと胸のどこかが痛む。実際どんなことをしているのかは知らないし、犯行現場を見たこともないような立場だけど、あたしだって鬼兵隊の船に乗っかっている一員なわけで。つまりは彼らの苦労を(直接的ではないにせよ)増やしている張本人なわけであって。


「(な…何か凄い罪悪感…!)」


知っていたとは言えあたしの中ではどこか薄らいでいた“指名手配犯”という言葉。改めて外側から見ることによって、自分が一緒にいる人がどれほど恐ろしい人間なのかを思い知った気分だ。
考えたって仕方がない。そう思おうとするがなけなしの良心が痛むのも本当だ。
複雑な気持ちに何か異物を飲み込んだような気分になっていると、ふっと誰かが微笑む気配がした――気がした。


「…え?あれ?」


というか気がしたも何も本当に笑われているではないか。
伏せていた顔を上げるとそこには土方がいた。否、最初から相方としてここに座ったんだからいるのは当然なんだけど、何というか全然雰囲気が違う。表情筋を緩めて微笑む様は先程まで鬼を背後に従わせていたのと同一人物とは思えないほどの穏やかさだ。


「…あの、どうかされましたか?」

「…いや、お前が…っ、っく、ぶふっ!」

「あ…僕が何か?」


何やらツボに入ったらしい土方の言葉を分析するに、先程胸を押さえていたあたしの様子がどうやら高杉に怯えているように見えたらしく。気丈に「怖くない」とか見栄を張っておきながら言葉にした途端怖くなったのかと思ったら、それがやけに面白かったということのようだ。


「(…し、失礼な!)」


遂にはぐふぐふと妙な笑いを織り交ぜつつ爆笑する土方は腹が立つこと山の如しだ。一応目の前に錫高がいることを考慮して必死に堪えてはいるらしいが…っていうか何これ、この人酔っ払ってんの?お酒が入ると笑い上戸になるタイプ?


「あー…笑ったら暑くなってきたなァ…」

「は、はあ………ってえええ!?」


しかもその上脱ぎ癖まであるの!?
何を思ってか土方は隊服のスカーフを盛大に寛げさせる。露になる鎖骨と溢れ出す色気にあたしは目を白黒させるしかない。とんだ酔っ払いに絡まれたものだと助けを求めて視線を走らせるが、土方の肩越しに見た世界はとんでもない状況になっていて。


「ワハハハハ!近藤、お前も中々やるな!」

「何の錫高様こそ!」


先程まで高杉の話で盛り上がっていたのではなかったのか。ほんの数分目を離した隙に何が起こったのかは知らないが、錫高は上の着物を脱ぎ捨て腹踊りを始めるわ、近藤さんは上どころか袴や下帯にまで手をかけ始めるわでちょっとした地獄絵図が出来上がっていた。
しかも周りの陰間の人たちもそれを止める様子はない。慣れっこなのかスルーしているのか、やんややんやと騒ぎ立てる始末だ。先程聞いた「面白いもの好き」は伊達ではなかったらしい。むしろ自ら近藤さんをひん剥こうとしている辺りに恐怖を感じた。笹舟さんも笑ってその様を眺めている。


「ちょ、ちょっと笹舟さん!」

「んん?何だィ花(源氏名)?楽しく呑んでるかィ?」


止めるつもりもないようだ。朱色の壁には行灯に照らし出された近藤さんと錫高の影が浮かび上がり、腹踊りとドジョウ掬いによる統一感ゼロの戦いが勃発したせいで先程から怪物のように蠢いている。
と、おたおたするあたしを見てかくるりと振り返った土方もやっとこの惨状に気付いたようで、酒臭い溜息を吐きながら面倒そうに立ち上がった。どうやら近藤さんを止めてくれるらしい。


「おい近藤さん、いくら何でもハシャぎすぎじゃねェのか」

「なァにを言ってるんだとぉしぃー!」

「いやとぉしぃーじゃなくて」

「そうだぞ土方ァ!だァから貴様はいつまで経ってもそんなんなんだ!男なら褌一丁になるくらいの覚悟を持て!」

「いや拙者は」

「何だァ?もしやお前自信がないのかァ?」


完全な絡み酒となっている二人に土方も何とかツッコミを返していたが、ほろ酔いで楽しくなってしまっている錫高相手では元々短い導火線ももたなかったようだ。


「…まっさか!」

「ちょっ、土方さま!?」


単純な挑発に乗っかった挙句ガバリと上着を脱ぎ始めたではないか。えええええ、ちょっとこの人何しに行ったの!
突然の男前の参戦に俄然陰間陣はわあっと盛り上がる。ちょっと誰も止めないの!?無礼講にもほどがあるっていうか、これは何て拷問?

最早自分がどうしてこの場にいるのか分からなくなりつつも、結局その場を収めることはできなかった(…というかさせてもらえなかった)。しまいには取り押さえられてあたしまで芸者遊びの渦中に引きずり込まれてしまい、妙に酒気を帯びた空気の中「もうお嫁に行けないかも」とかそんなことをぼんやりと考えたのであった。



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