「失礼致します」


入室の声をかけてから開けられた襖はやはり美しい描き絵が施されていて、どこか懐かしさすら感じてしまう。教えられた通りに低い体制で挨拶をし、笹舟さんを筆頭にしてぞろぞろと室内に入っていく。


「おお、来たか!」


室内は仄明るい行灯の明かりに満たされていた。ぼんやりとしたまろい光が照らし出す部屋の壁は目の覚めるような朱色に塗られていて、然程広くはないものの何やら緊張するような気配が漂っている。

本日のお客様は全部で5名。合い向かうようにして並べられた膳は二つと三つに分けられていて、恐らく数の多いほうに座っているのが件の幕臣とやらなのだろう。
中でも真ん中に座っているのが錫高という男であるようだ。年は30も半ばを越えたくらい、中肉中背で割に精悍な顔をしている。玉響屋で見かけた幕臣たちはどちらかと言えば古狸系が多かったものだから、こちらも恰幅のいいおじさまを想像していたのだけれど。


「ようこそ汀屋へ。太夫の笹舟と申します」


綺麗に頭を下げた笹舟さんにつられ、慌ててあたしも背を丸めた。その姿にニコニコしている錫高は、どうやら正真正銘のスキモノであると見た。まあ笹舟さんは女性と並べても遜色のないくらいの美人だし、男ならば誰だって鼻の下は伸びるというものかもしれないが。
笹舟さんが錫高に呼ばれ手を引かれるようにしてその隣に座る。他の陰間の方たちもそれぞれ与えられたポジションへと足を運び、残ったあたしは一瞬とは言えぎくりと身を強張らせてしまった。
それと同時に突き刺さる視線。顔が赤くなるのを感じつつも不自然でないように与えられた場所へ移動し、緊張を解そうと小さく意気を吐き出した。


「何だ、緊張しておるのか?」

「まだ水揚げしたばかりの若い者ですゆえ…」


お目汚しを失礼しました、謝礼すらも美しくこなす笹舟さんに錫高はもうデレッデレだ。あたしの失態など気にも留めないという風情で右手を振り、そのまま既に数杯を空けていたらしい杯を差し出した。


「よいよい、今宵は祝いの宴ゆえ、無礼講と行こうではないか」

「まあ、錫高様ったら」


豪快に杯を乾して言う錫高に笹舟さん始めとする陰間衆はころころと声を上げて笑って見せた。それについていけずあたしはただ愛想笑いを浮べるばかりだ。今更のように気付いたけど、正直言ってあたしってこういう場に向いてないのかもしれない…!
何年も花街に身を置いていたにも関わらずの体たらくにショックを感じつつ、仕事を全うしようと手近な銚子を引き寄せて表情筋を必死に活動させた。


「あ、あの、どうぞよろしくお願いしま…」


決死の笑顔で挨拶をしたあたしだったが、その言葉は最後まで言い切ることなく尻すぼみに終わってしまった。何故ならあたしが酒を注ぐべく座った席のお客様が、それはもうとんでもなく恐ろしげな表情でこちらを見上げてきたからであって。


「あァ…?」

「ひっ!」


鬼をも射殺せそうなその視線に情けなくも小さな悲鳴が漏れる。それまで静かに俯いていたその人は随分と秀麗な顔をしているようであったが、今はそれどころではない。何なのこの人、宴会に来たというよりはこれから呪いの言葉でも吐き出しそうな形相なんですけど…!
明らかに怯えた様子のあたしに気付いてか、その人は少しだけ表情を緩めたようだ。しかしそれよりも先に更に隣に座っていた大柄な男性が窘めるように声を上げる。


「あー!スマンスマン!こいつはどうにもアガリ症でなァ!」

「な…っ、近藤さん!」


大きな体に見合う大きな声でフォローを入れるその人に、あたしの隣人さんが驚いたような声を上げる。恐らく心外だとでも言いたかったのだろうが、馴染みの人間を相手にして少しでも肩の力が抜けるのなら万々歳だ。大柄な男性――近藤さんとやらにこっそりと心の中でお礼を述べておいた。


「かように美しい花に寄り添われてしかめっ面とは、上手くないぞ土方!」

「…錫高様」

「貴様も男なら酔ったふりをして相方を押し倒すくらいの気概がなくてどうする!」

「………」


下世話な一言に錫高は大きく笑い、それに合わせて笹舟さんもにっこりと笑みを深めた。一方のあたしはその酔っ払いなノリに懐かしさを感じていたのだが、どうやらお隣さんはそううまくはいかなかったようで。


「…あの、ご無理をなさることはないですからね」


一時浮上しかけたものがまたずーんと下降してしまったらしい。礼儀正しく正座をしつつも顔を上げないその人に、あたしはどうしたものかと内心溜息を吐いた。


「…すまねえな」

「え?」


が、そこで相手から小さく言葉が返される。呟くようなものだったからよく聞き取れなかったのだが、もしかして謝ったのかこの人?
銚子を抱えたまま首を傾げるあたしを、ちらりと横目で見やりながらその人はもう一度言った。今度は確かに聞こえるように「すまない」と。


「えーと…おっしゃられる意味がよく…」

「…俺ァ普段野郎ばかりの中で生活してるからな。女っ気もねェもんで、こういう雰囲気は正直不慣れで」


がしがしと頭を掻いて言うその人は外見から察するに真選組の人なのだろう。偶然とは言えばっちり敵方の相手となってしまったことには冷や汗を流すことしかできないが、その様子から見るに憎めないような気もしてしまった。


「…ふふ」

「…何だ」

「いえ、下手に隠されるよりも嬉しいなあと思いまして」


堪えきれず笑いを漏らせば少しだけ砕けたような言葉が振ってくる。まだまだ警戒されているようではあるが、やはり悪い人ではないようだ。


「改めて、本日お相手をさせて頂きます汀屋の花(源氏名)と申します。折角のご縁ですし、今宵は楽しんで下さったら嬉しいです」


あたし自身気を許すつもりもなかったのだが、折角なのだからとにっこり微笑んでみた。笹舟さん言うところの「笑顔で花代もらえるなら儲けもの」というやつだ。
すると相手も僅かに気を緩めてか項垂れていた頭を上げて小さく会釈をして見せる。


「ああ、拙者は真選組副長、土方十四郎だ」

「へえ、真選組の副長さんで――」


自己紹介をされ、そのご大層な肩書きに手を打って感心しかけた矢先。脳裏にとある光景が蘇り、瞬間的に心臓が凍りついたような感覚に襲われた。


「…しん、選組の…副長さん?」

「? いかにも?」


突如固まったあたしを訝るようにその人の目が細まる。しかしそれをマズいと感じることもできずにあたしはだらだらと背中から大量の汗が噴出すのを感じていた。

――あれは、そう。確か高杉が玉響屋にやって来て何日かめのことだったような。
些細なことから高杉に連れられ出かけた町で、あたしたちは真選組に追われることとなったのだ。原因はあたしを妬んでいたというとある置屋の下男が通報したことにあったのだが、必死に逃げ回るも拠点である玉響屋を嗅ぎ付けられるところまできてしまった。
顔面蒼白のあたしに対して高杉は相変わらず飄々としていたが、はっきり言って事態は最悪のものだった。その後何とか部屋に匿われたあたしたちを姫様がその度胸と口上で真選組から守って下さり、何とか事なきを得たのだった。

その時に確か、似たような姿を見た気がする。


『あれが局長の近藤だ。脇に控えてるのが一番隊隊長の沖田、それから――』

「………っ」


フラッシュバックする高杉の声にあたしは声もなく目を見開く。そうだ、この人…ていうかこの人たち、あの時玉響屋に来てた――



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