口うるさいPTAとの戦いと共に終焉を迎えた高校生活。大学進学ゴメンこうむる。勉強なんてとんでもないと、夢だけぶらさげて退屈な田舎から飛び出した。
なけなしのお小遣いとやや旧式の携帯と。ごつめのボストンバックには何にも入っちゃいないけれど、この溢れる若さと度胸さえあればどこでも生きていけると思っていた。

ああ、わたしは何て若かったのだろう。


「――504円にナリマース」


ピッ、ピッ、ピッ。甲高い声を上げるバーコードを片手に、ぼんやりとしたレジスターの画面だけを見つめて言葉を発する。台に乗せられたのは安い缶コーヒーと売れ残りのお弁当。もうすぐ消費期限の時刻を回るというのに不憫なことだと、顔も合わせぬ客に対して薄っぺらい憐憫すら感じていた。

大都会トーキョー、23区の一角を成す新宿のとあるコンビニにて、わたしはもうずっとアルバイトとして働いていた。上京したのが高校卒業と同時だったので、すでに3、4、5年…いや、空しくなるから数えるのはやめよう。
気概と夢だけでこの地に乗り込んだあたしに東京は優しくしてくれなかった。本当はオシャレな場所にアパートを借りたかったのに家賃を見たら目玉が飛び出るほど高くて、どうしても譲れなかったバストイレ別の物件を選んだらとんでもない僻地に飛ばされた。しかも実際言ってみたらお風呂はついてない上トイレは兼用だし、薄い壁のせいで隣の生活丸分かりだし、セキュリティとか全然なってない感じだしという三重苦で泣きたくなった。その上ただでさえカツカツの生活を余儀なくされたにも関わらず仕事は見つからない。恥を忍んで言えば女優になりたくて上京したのに、どのプロダクションもこんな田舎娘を雇ってはくれず。学歴も肩書きもないから企業に就職することもままならず、結局こうしてフリーターにならざるを得なかったのだ。現実とは、かくも厳しいものなのである。

家から程近い場所に見つけたアルバイトは決して快適な環境ではない。駅前でもないから人通りも少なくとんでもなく暇だし、その癖たまに訪れる客はクレーマーだったり格好が妙だったりとおかしな輩が多いのだ。そんな相手に一日中絡まれて体も心もくたくた。帰り着く我が家は隙間風が寒くて眠れたものではなく、ひたすら故郷を懐かしがる心を諌めるのは、すでに折れかけたちっぽけなプライドだけだった。
家に帰って薄い布団に包まって眠って、ほんの数時間後には起きてでかけなければならない。ガタゴトとうるさいJR線の高架下を潜りながら見る朝日は、どうしてか涙を誘う色をしていた。
既にアルバイトとしてはベテランの域に達しているはずだ。何だか最近では新人の指導も任されてるし…いや店長ちゃんと働けよ。


「いらっしゃいませー」


軽快なメロディと共に自動ドアが開くと、その隙間分に応じて外界の音が店内に流れ込む。雑踏とも言えない人の流れ。猛スピードで走り去る数台の車。街頭演説でもしているのか耳障りな拡声器のハウリングに眉を顰めつつ、既に口癖になりかけている台詞を口にした。


「よーう、儲かってまっかー」

「………」


しかしその数秒後にわたしは即行で後悔をすることとなる。何故なら来店した神様であるはずの客が、わたしがこの世で最も苦手とする人間だったからだ。


「あれ、そこはボチボチでんなって返してくんなきゃダメじゃん。金さんイタい人になっちゃうじゃん」

「…既に痛々しいです。その存在と髪の色が」


冷たい言葉と視線を返すも相手は「ひっでー」とか言いつつケラケラ笑っている。
ちらりと横目をやると男は相変わらず派手な出で立ちをしていた。ディムグレーの上下に第三ボタンまで外された赤いシャツ。申し訳程度にぶら下げられたネクタイは聞けばどこぞの高級ブランドの一品であるらしく、それに加えて首筋や指先に光る数々のアクセサリーが派手な男を一層煌びやかに仕立て上げていた。
高めの上背から見下ろす瞳は今日も気だるげだが、その上で輝く頭髪は黄金の光を放つ。俗にいうホストといういかがわしい職業に就いているその男は巷でも割りに有名な人間で、名を坂田金時といった。(勿論本名だかは知らないが)

自らを金さんとどこぞのお奉行よろしく称する男は、どうしてかこんな場末のコンビニの常連というやつだった。本人曰く職場が近いとのことだが、ホストがひしめく歌舞伎町はここから少しだけ離れている。近場のコンビニならもっとあるはずだろうに、やはり何か後ろ暗い理由でもあるのだろうか。
レジ台に手を突いて一頻りニヤニヤ笑いを振りまいた後、男はコツコツと踵を鳴らして店内を回る。ちらほらと見える陳列棚にかじり付いている客とも会話をする辺り、顔が広いのは本当であるようだ。


「おーい姉ちゃん、ジャンプの今週号どこいったよ。ここマガジンしか置いてないんだけど」


と、距離を置いてくれたから安心していたものを、こちらが肉まんの入った冷凍袋を開けようとしている矢先にそんな声が飛ぶ。げんなりしつつも振り返れば、窓際の雑誌コーナーで手を振っている男が。


「あー…ジャンプですか。確か3時間ほど前に買っていかれた方が」

「最後だったってか?ありえねーだろどんな対応だそれ!コンビニだったら気合入れて品出ししとけ!」


何故か週刊漫画一冊ごときで激昂する男に本気で引く。ホストがジャンプとか読むなよと思うが一応客なので強くも出られない。取り合えず適当に「スミマセン」と心のこもらない謝罪をすると、眉を吊り上げたままの男は「ったくよー」と未だ憤慨した様子だった。


「しょーがねえな、怒ったら何か腹減ったから肉まん奢れや。それでチャラにしてやる」

「いや意味が分からないんですけど。ジャンプ買えなかったのはわたしのせいではないですよね」

「うっせーな。確か先々週もなかっただろーが。店長に言っとけっつったはずだよな?」

「言いましたよ。でも聞いてなかったんですよ多分…裏で寝てたから」

「状況を見て伝えなさいよォォ!」


こちらの適当極まりない対応にまたしてもぷりぷりと怒り始めた男。知り合いであるのか、背後で堂々とエロ本を読んでいた中年のオッサンがそれを聞いてどっと笑い声を上げた。


「まあ落ち着いて下さいよ。こっから歩いたとこにセ●ンあるじゃないですか、あそこなら置いてありますよきっと」


茶々を入れるオッサンと肩越しに怒鳴る男のやりとりが面倒になったわたしは、またしても適当にそんなことをのたまった。一番近くにある他店のコンビニはうちなんかよりも数段真面目に営業しているのだから、距離も大して変わらないのだからそっちに行けばいいものを。態々漫画本一冊のために血糖値上げるなんて馬鹿げているし、わたしも疲れるからやめてくれないかな。
というようなことを逸らした視線の先で思っていると、男が小さく舌打ちをした気がした。どきりとして振り返るが、やや顰められただけの眉間からはその機嫌の度合いがよく読み取れない。


「おま、田舎娘がセ●ンとか言ってんじゃねーよ。何かあの何でも揃ってる感はシティ派のもんだろ、お前は大人しくこっちで我慢しとけって」


が、そんなわたしの心配など他所に至極失礼なことを男はのたまい出す。テメー誰が田舎娘だってんだこのやろう。確かにセ●ンなんて地元になかったけどもね!


「わたしのことは放っておいて下さいよ。どうせこういう場末のコンビニしか似合わないんですから」

「場末って…否定はできねえが」


いやしてくれよ。


「坂田さんはあっちのナウでヤングな全国チェーンコンビニでジャンプを手に入れてらして下さい」


そしてもうどうかわたしに構わないでくれ。大体この人が店にくると何やら周りがうるさくなるし、ていうかこの人自体がうざったいし。
そうだ、だからわたしはこの人が苦手なのだ。ゆるゆると大した努力などしていなさそうなのに、わたしが夢見ていた綺羅綺羅しいものを全て携えて笑っているのだから。

最早何の話をしているんだか分からないが、そっぽを向いたわたしの顔と機嫌に男は初めて分かりやすく表情を変えた。器用に肩眉を上げてちょっと驚いたみたいな顔。しかしそんな表情もサマになっているとか神様はどんだけ不公平なんだバカヤロー。


「…しょーがねえな」


暫く沈黙がコンビニの空気を重く沈めていたのだが、それに堪えかねてか空気を読まずにか男は先ほどと同じように溜息を零した。何が仕方ないのだ。思いつつも素直に前を向けないへそ曲がりくらいに涙が出る。
壁に取り付けられた埃塗れの時計は既に3の文字を突き刺そうとしているところだった。冬の盛りのこの時期では太陽が一番強く輝く時間帯だ。眩しくって、本当に泣いてしまいそうになる。


「ほらよ」


と、滲みそうになる涙を唇を噛むことと拳を握り締めることで我慢していたわたしの目の前に、大きな手がにゅっと差し出された。驚いて思わず一歩後退すると、背後の新聞ラックに足が当たって無様な音が零れた。


「な、んですか」

「何ですかって…見てわからねーか?肉まんだよ肉まん」


言われ、伸ばされた右腕の先を凝視すれば確かに湯気を立てる半月型の食物があった。しかし半分ってどーいうことだ。というかこれ商品だろうが金払え!


「腹が減ってるからそーやって俺にツンツンしたくなんだよ。アレだろ?田舎娘は腹いっぱいになると幸せになるんだろ?」

「…アンタ田舎娘を何だと思ってんだ」


いやでも確かにそうかもしれないけど。
恐る恐る手を伸ばすと無理矢理そこに肉まんの片割れを突っ込んでくる。窓に程近い場所にいるため冷え始めた指先を暖めるその塊は、どうしてだかとても愛しいもののように思えてしまった。


「ほら見ろ。もうおやつの時間だ」

「…ホストもおやつとかあるんですね」

「バカヤロー、俺たちみてえな人間にこそ糖分とかカロリーとかが必要なわけよ」


何故か真面目にそう言い切って、店内だというのに男は肉まんにかぶりついた。その豪快な様がホストという彼の立場とかわたしとの違いみたいなものを一瞬だけ忘れさせて。


「………」

「おう、俺の好意が受けられねーってか」

「えっ、や、た、食べます!」


やや凄むような口調で言われ、慌ててわたしもその片割れに口をつけた。あんまり急いだものだから少し咽てしまったけど、男はその様子に酷く満足したようだった。「その調子だ」と笑う姿はちょっとだけ男の容姿を幼くさせた。


「ホストだってアメンボだっておけらだってなァ、こうして毎日腹が減るんだ。とりあえず何かしら食ってりゃ生きてはいけんだから」

「………」

「コンビニのバイトちゃんだってな」

「!」


見下ろすような高い位置から振り落とされた言葉にわたしは思わず目を瞠る。視線の先の男は相変わらずどこだか分からない場所を見つめているようだったが、その視界に少なくともわたしというちっぽけな存在が認められているようで不思議な気持ちになった。


「はあ…やだなー、俺これから同伴なんだよ」

「むぐ、おひほほほふろーはまれふ」

「…何言ってんだかわかんねーよ饅頭娘」


田舎娘の次は饅頭か。それが進歩か後退かは知らないが、こんなうら若き婦女子を捕まえて何を言うんだこの男は。
ホストらしからぬ雑な言葉遣いにわたしはむっと眉根を寄せたが、男は頓着していないようで。


「まあアレだ。次こそはジャンプ入れとけって店長に言っとけよ」

「だから、セ●ンに行ったらいいじゃないですか」

「ダメなんだよなー、俺もセ●ンはちょっと敷居が高い気がしてよォ」

「俺もって何ですか。わたしは胸を張って堂々とセ●ンに入れますよ」

「バカヤロー、俺は距離的な問題の話をしてんだよ」

「距離と敷居と何の関係が…あ」


下らない小競り合いをしていると背後から強い視線を感じた。何だと思い振り返ればバックヤードから顔を覗かせている店長が…ってあの人やっと起きたのか。


「何か呼んでるぞ」

「多分坂田さんが勝手に肉まん食べたから怒ってるんですよ。とっととお代払って下さいね」

「え、やっぱり俺が払うのコレ」

「当たり前でしょうが。わたしはお零れに預かっただけです」

「えー…俺今手持ちねえんだよなあ」


ひそひそと話しながらポケットを探る男はどこか滑稽である。不可思議な動作で衣服をパタパタさせる度、その眩い頭髪から夢の欠片がきらきらと零れ落ちるようで。
お。何かに辿り着いたような表情で男が声を上げる。そうしてスーツの内側に手を突っ込んだかと思えばそこから出てきたのは彼の髪にそっくりな色を持つ長方形の物体で。

「とりあえずコレで」言い放った男に改めてわたしは殺意に似た感情を覚えた。
“とりあえず”ゴールドカードってどういうことだ。何だか却ってみみっちいわ。



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