「まいど、秋刀魚4尾ね」
「ありがとー」
じんわりと夕暮れが迫る午後4時過ぎ、行きつけの魚屋さんで美味しそうな秋刀魚を見つけた。店頭に立つおじさんはぱっと見ヤのつく職業に就いてそうな風情だけれども、話してみれば何てことはない、人情味のある温かい人だった。今日も奥さんには内緒でおまけをつけてくれて、意外とつぶらな瞳を湛えた小さな双眸が悪戯っぽく笑っていた。
食料代が入った共有のお財布はどこか色褪せて、失くさないようにと下げた紐と鈴がぶつかり合って高い音を奏でている。既に数軒を回った右手には一杯のビニール袋。本当はエコのために買い物籠を提げたいところだけど、先日うちの可愛い神楽ちゃんが真選組の王子様との諍いで破壊してしまったので修復の真っ最中なのだ。
履き慣れた下駄が地面でカラコロと歌を歌う。ついつい鼻歌を口ずさみそうになるのを寸でのところで我慢しつつも、覚えてしまったとあるCMソングが喉元まで何度もせりあがってきた。
「あっ、名前!」
商店街を少し行ったところにある駄菓子屋の前で、先ほど脳裏に思い浮かべていた我が家の可愛い二人の子供たちに遭遇する。桃色の髪と真っ赤な番傘を夕日に染めた神楽ちゃんが先に私に気付き、まんまるの頬っぺたを綻ばせて疾風のように駆け込んできた。
「お帰りなさい、買い物おつかれさまでした」
その後ろから苦笑交じりにやって来るのは眼鏡をかけた新八くん。ご実家の恒道館では家事のほとんどを請け負っているとかで、時々私なんか足元にも及ばないオカンっぷりを発揮する。今日もどうやら酢昆布に目がない神楽ちゃんが暴走しないよう、お目付け役としてついて来ていたようだ。
懐かしい駄菓子やおもちゃが並ぶお店の前、私は二人に出迎えられてほっこりと笑みを作る。
「ただいま。今日はね、秋刀魚とお茄子を買ったんだよ」
お腹に引っ付いた神楽ちゃんをそのままに、夕飯のメニューをどうしようかと家族会議だ。予定としては秋刀魚の塩焼きに茄子の煮浸し。ついでにおまけに頂いたあさりで味噌汁を作ろうと言えば、二人が目に見えて喜んだのがわかった。
大量の酢昆布が入った紙袋を左手にした神楽ちゃんと手を繋ぐ。新八くんは紳士っぽく荷物持ちを買って出てくれた。一体そんな気配りをどこで学んで来たのだろう。少なくとも万事屋にいるばかりではこの振る舞いは身につかないだろうなあと、そんなことを考える。
少し遠回りをして辿る家路は夕日の茜色に染められて美しく色づく。川沿いを走る土手には既に人も疎らで、きらきらと斜陽を跳ね返す水面だけが宝石のように瞬いていた。その全てを写真に収めるよう静かに瞬きを繰り返す。過ぎ行く時を惜しむのは年を取った証拠かもしれない、なんて、まだ20代に乗ったばかりのみぎりで思うのは少しおこがましいことなのだろうか。
紙袋を振り回して調子の外れた歌を歌う神楽ちゃんの手はふかしたお饅頭のように暖かい。思わずぎゅっと力を込めれば驚いた青い瞳がこちらを向いて、次の瞬間には倍以上の力で左手を握り返されていた。
「いたたたた」
「ちょっ、潰れるから!神楽ちゃんが全開で行ったら名前さんの手潰れるから!」
軋む手の骨に気付いてか必死に新八くんが止めに入る。けれどどこか誇らしげな神楽ちゃんは相変わらずで、溜息を吐く新八くんと目を合わせてちょっとだけ忍び笑いが漏れた。
林立するビルが少しだけ遠退いて、代わりに背の低い家屋が立ち並ぶ通りに入る。ギラギラのネオンに背を向けて歩くこの道沿いから万事屋は既に目と鼻の先だ。
「すっかり遅くなっちゃいましたね。銀さん待ちくたびれてるだろうなあ」
「あんなモジャモジャ待たせとけばいいネ。一人寂しく当分摂取してるがいいヨ」
つんっと鼻先を背ける神楽ちゃんは、どうやら先日とっておきのお菓子を食べられたことを未だ根に持っているらしい。そっぽを向いても繋いだ手はそのままで、家路を辿る足取りもどこか軽やかだ。
ふと、三人で他愛ない話題に華を咲かせながら歩いていた矢先に人影が見えたような気がした。よくよく周りを見れば目の前には明かりの灯るスナックお登勢の看板が。
「…あらら」
そこから伸びる古びた階段の上、ぼんやりと空を眺めるような風情で立ち竦む人影が一つ。気のない素振りをしながらこちらを気にしているのが手に取るように伝わってくる。
「やっぱり待ちぼうけ食らってたみたいですね」
「これだから男は嫌アルなー。図体だけデカくなっても、留守番もできないガキのままネ!」
「ふふっ」
いつも通りのやりとりに思わず笑いが零れてしまう。何気ない日常だけれども、こんな瞬間が堪らなく幸せだなんて、私はなんて果報者だろうか。
「お、おーうオメーら、偶然だなァ」
「何か話しかけてきてますよ」
「無視ネ、無視するネ」
「皆の銀サンのお帰りだよー?…ってオイ神楽今露骨に目ェ逸らしたろ!」
「気のせいアル。定春ただいまヨー」
「コラてめーその態度は何だ!名前お前も何とか言ってやって!」
「はいはい、靴脱いだらちゃんと手を洗ってね」
「「はーい」」
「え?何それ銀さん>手洗い?お前らいい加減に「銀ちゃんもだからね」
「…えええ」
錆付いた階段を登ればすぐそこがあたたかい私たちのおうち。わざとらしく並んだ4つの影と、同じ数だけビニール袋の中で踊る秋刀魚たちに嬉しくなって、私はいつまでも笑っていられるような気がしたのだった。
ただの幸せな君に成り下がればいいよ