中身を零さぬよう両手を添えた杯がカツンと高い音を立てる。一気に呷る政宗さんを横目に見つつ、わたしは杯に浮かぶ月を存分に楽しんだ。侘び寂びだなんてものはよく分からないけれど、こういうひと時を惜しめるくらいにはわたしもこの世界に馴染んできているように思う。
「いただきます」一言小さく呟いて口をつけたお酒は、やっぱり苦くて正直あまり美味しいものとは思えなかった。


「お前、松島へは行ったか」

「いえ…ここからだと少し距離があると聞きました」

「That’s right.だがそれでも一度は行っておくべきだ。そのくらいあそこには価値がある」


元々地元愛というか、この奥州という土地を治める人間たる愛情を政宗さんは強く持っている。言動は突拍子もないし、つっけんどんなところもある人だけれど、本質的には優しくて思いやりがあるから沢山の人が集まるのだ。…と、小十郎さんがこっそり教えてくれた。
そんな政宗さんが言うくらいなのだから松島とは素晴らしいところなのだろう。東京からあまりはなれたことのないわたしとしては、かの松尾芭蕉が句を読んだというくらいの記憶しかないのだが。


「陸地から見るのも、船で漕ぎ出るのもいい。晴れた日に見るのがそりゃあ一番だろうが、例え曇っていようがありゃァいいもんだ」

「へえ…そんなに綺麗なところなんですか?」

「ああ。こう…いくつも小島が並んでいて一つ一つ形や由来が違ってる。どれも趣があっていいが、中でも特に気に入りのやつがあってな」


杯を持たない左手を大仰に動かしジェスチャーでその様を伝えてくる政宗さん。思わず聞き入るわたしにまた一つあのニヤリとした笑みを向けると、そのお気に入りである小島を思い浮かべてかすっと目を細めてみせる。


「大した大きさの島じゃァねえんだ。松島の中でもsmallな方だろうな」

「そうなんですか?どうせなら大きいほうがいいじゃないですか」

「ふん、分かってねえな」


片方の口角を上げる独特な表情を見せつつ、政宗さんは話を続ける。


「ただでかけりゃいいってモンでもねえんだよ、何事もな。例え小さくともこの俺が気に入るだけの何かがある。それだけで俺にとっちゃ十分な価値になる」

「そういうものですかね?」

「ああ。だから俺はあの島をこの場に持ってくることが出来る奴がいるんなら、例え千貫払ったって惜しくはねえと思ってる」

「えー…」


千貫、というのがどれくらいのものかよく分からなかったが、とりあえずその小島を政宗さんが取り立てて気に入っていることだけはよく分かった。


「何だかよく分からないですけど、政宗さんがそんなに褒めるところなら是非見てみたいです」

「じゃあ連れて行ってやるよ。俺の審美眼に驚いて腰抜かすなよ?」


冗談とも真面目ともつかない口調で政宗さんが言い、ついでとばかりに伸ばした左手でわたしの頭をわしわしと撫でた。既に体温は夜風に晒されて常のものまで戻っていたが、髪の毛の端からさえも感じられる無骨な手のひらの温度にどうしてか胸が熱くなるのを感じた。


「…政宗さん」

「Ah?」

「今日のお夕飯の茄子はね、わたしが小十郎さんと採ったんですよ」


沢山なっているもののうちから、できるだけ大きくて美味しそうなのを採ってきたんですから。


「趣がないとか、笑わないで下さいね」


ちょっとだけ頭を垂れてそう言うと政宗さんが目を見開くのを気配で感じた。その時彼が何を思ったか知らないが、ただ私はお酒の注がれた杯に浮かぶ月の光ばかりを見つめていたので。


「…So foolish.」


そう言って政宗さんが小さく笑ったことにも、気付けなかったのである。



ご機嫌麗しゅう



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